松本市島立三ノ宮に鎮座される式内社「沙田(いさごだ)神社」。信州三ノ宮とも、また産の宮とも称されます。御祭神は『彦火火見尊(ひこほほでのみこと)・豊玉姫命・沙土煮尊(すいじにのみこと)』。『沙土煮命』は大地を鎮める盛り土の神、土砂を神格化した女神とも言われます。
由緒「孝徳天皇の御宇大化五年(649)六月二十八日、この国の国司勅命を奉じ初めて勧請し幣帛を捧げて以って祭祀す。其の後大同年間、坂上田村麿将軍有明山妖賊征伐にあたり、本社の御神力の効する所なりとて国司と謀り社殿を造営する。降って文徳天皇の仁寿元年(851)、勅評を蒙り社の造営あり同三年二条大納言有季を勅使として神位を賜る」境内案内より
二の鳥居から真っ直ぐに、瓦葺きの入母屋:妻入の「御仮屋殿」。
御仮屋殿前の左右より神域を守護されるのは、もはや旧知の間柄と言っても過言でない(笑)松本型狛犬さん一対。お行儀よく揃えた前足の爪が何気に凄い・・・😊
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「石工:田近勝之助(二代目)、正一(三代目)・製作年月:大正14年9月。六年に一度、例大祭にあわせて行われる御柱祭が松本市より無形文化財に指定されている沙田神社境内に佇む狛犬は、松本式狛犬の特徴である鬣(たてがみ)はやや小ぶりながら独特の表情でそそり立つ御柱を守る」田近石材本店HPより
御仮屋殿後方に瓦葺、入母屋平入の拝殿。拝殿屋根の御神紋は「三階菱」。
拝殿褄下彫刻は「鷹に松」。松の一株一株が写実的で、とても力強く、鷹の飛翔をより引き立てて見えます。この鷹は、松の間に何を見つけたのでしょうか?鋭いくちばしで何を捕らえたのでしょう?
社殿左に鎮座される境内社五社。中央の「御子安神社」のみ社号標在り。
社殿右手に鎮座される境内社「神明社・熊野社・石尊神・秋葉社・火雷神・・他」
広い境内には面白いと言ったら叱られそうですが、興味深いものが色々と散りばめられています。まずはお諏訪さんでも無く、祭神も全く別の神様ですが、何故か「御仮屋殿」の周囲には四本の黒木の御柱が空高く屹立しています。山のない地区につたわる御柱祭りは、7年目ごとに、卯(うさぎ)と酉(とり)年の沙田(いさごだ)神社例大祭が行われる9月26日を目安に挙行されます。
波田町からの寄進とされる「沙田神社一之御柱~二之御柱」
「人を見るなら一之宮(諏訪大社)、綺羅を見るなら二之宮(小野神社)、衣装見るなら三之宮(沙田神社)」のフレーズ通り、各柱毎に衣装を凝らした氏子さんたちによって、諏訪大社の形式で行われる島立沙田神社の御柱祭。2000年6月30日に、松本市の重要無形民俗文化財に指定されました。
「沙田神社三之御柱~四之御柱」
御伽草子に登場する『ものぐさ太郎』再び登場😊 。本殿の裏手に建立された「ものぐさ太郎の塚」は古くより「ものぐさ太郎の墓」と伝えられてきたとか。新村地区には「ものぐさ太郎が寝そべって、地頭に餅を拾わせたとされる伝承地」もあるそうです。
社殿右手に「御手洗の池」。池とありますが水はありません。
二の鳥居から真っ直ぐに伸びる参道を進むと、左手に株だけとなった「御神木」が覆い屋の下に大切に保存されています。御神木に巻かれた縄は御柱に巻いた綱と思われます。
参道脇の灯篭には「明治三十七年・国威宣揚記念燈」の刻。同じく参道脇に「忠霊碑」
達筆すぎて全く読めなかった歌碑(^^;)、何かの記念碑二基。
自然石を用いた灯篭
手水舎
裏参道鳥居
一の鳥居
参拝日:2010年10月17日&2016年4月21日
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