前々回に紹介した「物見櫓」で終わった其の一、二日目は同じく前々回に紹介した「藩邸馬場先櫓」。
今回は明るい時間帯なので角度を変えて写してみましたが、どうでしょう?(^^;)
「井戸」大きな格子の鉄蓋がありましたが、基本的にこういう構造物は近寄らない事にしています(-_-;) だって貞子が・・
「津和野藩庁正門跡」ここはかって津和野藩庁門の有った処で後、県立津和野中学校、県立津和野高等学校の正門として使われていました。
春の日差しを受けて流れる津和野川。それはそのまま絵葉書の世界のように美しく、こんな時に画才が有ったら、きっと座り込んでしまうだろな
津和野川沿いの道をのんびりと歩き、太鼓谷稲成の千本鳥居をほんの数段試し登り。すぐ近くに「総霊社」の鳥居を見かけて参拝。幕末に津和野藩の神葬祭政策で設けられた社ですが、神式の葬儀はあまり浸透しなかったようですね。
後に紹介する「藪原神社」参拝を終えて殿町通りへ。津和野川を跨ぐ山口線の鉄橋。これで電車とか来たら最高なんだけど、そう都合よくはいかないみたい(笑)
またしても徳川無声さんの句碑に目が留まって・・どうも文学碑に限らずですが、「碑」と名の付く物には何故か吸い寄せられてしまいます。そのくせしょっちゅう取りこぼしているのですが・・
7年前にも感動した殿町通りのこの景色・・今回は全面解体によって保存修理工事がなされ、改めてきちんと感動できました。きちんと感動ってどんな感動?などと野暮なことは聞かないように。
殿町通りの中心部では、鮮やかな鯉たちが掘割の中を優雅に泳ぎ、観光客を出迎えます。 鯉が飼われ始めたのは『坂崎出羽守』時代からと言われていますが、今では人口を超える数の鯉がいるとか。
掘割から飛び出すくらい沢山います・・(^_^;)
鯉はさて置き、さっそく養老館へ。今日は時間もたっぷり有るし、前回行けなかった場所は心残りの無いように行っておかなければね。
武術教場の上座には一段高く板の間が設けられ、養老館での学びの様子が描かれた屏風が置かれています。
稽古に励む藩士たちの掛け声が聞こえてきそうな空間。この日は何故か他の観光客とあまりかち合わず、ゆっくりと往時の雰囲気に浸れました。
中の通路越しに見えたこの建物は・・はて?何だったっけ??
敷地内に建立されていた「森鴎外遺言碑」。大正十一年七月六日、鴎外は親友「賀古鶴所」を枕元に呼び寄せ、【・・・余ハ石見ノ人森林太郎トシテ
死セント欲ス・・・・】の遺言を口述させました。
津和野の町歩き、まだまだ続きます
訪問日:2019年4月18日
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