熊取町和田にある曹洞宗寺院「円覚山:来迎寺(らいごうじ)」。『阿弥陀如来』を本尊とします。
創建等は不明ですが、かつては熊取町南部の雨山城にあったと伝えられます。後醍醐天皇と足利尊氏との間に起こった延元の乱、南朝方であった雨山城主『橋本正高』は八大竜王を祀り、武運長久、繁栄安泰の祈願堂としていたと云います。当初は天台宗に属し、後に真言宗寺院となり『快山傳秀』を開山とし、元禄2年(1689)に曹洞宗となったと伝えられています。
本堂は、寄棟造、四方三間の小堂で、嘉暦4年(1329)の建立。特に瓦の端部を細くし、1枚ずつずらすように葺き上げる行基葺が特徴。修理棟札に嘉暦(1326~1329)の記があり、様式上もその頃の建築と推定。鎌倉時代の建築様式を持つ小堂で、昭和24年に国重要文化財に指定されました。
本堂駒札の説明に添えられていた「応永31年(1424)銘の鬼瓦」
こちらはそんなに古いものではないと思われますが、それでも独特の風貌は個性的で、他にあまり類を見ません。
留め蓋の獅子さんも、独特の大きな鼻と、たらこ口が得も言われぬ味わいを醸しており、中々に楽しい一対(⌒∇⌒)
境内の一画に鎮座されていた阿弥陀如来坐像
本堂の右手に細くて短い坂道があり、その突き当たりに小さな祠が祀られています。中にはおだやかな笑みを浮かべて静かに佇まれる石のお地蔵様。
祠の前より仏域を守護されるのは文政2年建立の狛犬さん一対。河童を思わせる独特の風貌は、京都市内の神社でよく目にします。
甍の波を照らすお日様、ほんのりとピンク色に見える光に日々の平穏を願って手を合わせます。
参拝日:2015年10月8日
なんとも素晴らしい歴史のお寺ですね。
tibinekoさん、昨日の新聞を読んでいましたら、
ウクライナでは文化財の略奪が起こっているとのことです。
その数、数万点。
(また建造物のような文化遺産は破壊されているとのことです)
それらの被害は把握しきれておらず、
ブラックマーケットに流れている可能性もあるとか。
tibinekoさん、
私はこの報道を読むまで、文化財への侵略の影響をまったく想像できていませんでした。
お花畑の人たちよりは、深刻に考えていたつもりですが、
国が侵略されると、国の重要文化財のようなものが、
軒並み、侵略者に奪われ、彼らの金儲けのために
売り飛ばされていく。
国家的なレイプです。
(もちろん女性もろくな目に合いませんが)
近所の、あるいは日本人なら誰もが知っているような、
神社仏閣の文化財(本尊や絵画など)や狛犬やら建造物の飾りが、剥がされて
侵略者の個人邸宅の飾りやら、闇市での金儲けやらに使われるとしたら。
お花畑の人たちも、そんな事態にのんきな気持ちで
過ごせるのでしょうか。
・・そんなことを思いながら、tibinekoさんのブログを開けたら、
重要文化財の名にふさわしい、堂々たる由緒の本堂と飾りを見て、涙が出そうになりました。
本記事とあまり関係のないコメントかもしれませんが、
日本の古い歴史を愛するtibinekoさんならこのショックを共有していただけるかと思い、
コメントしました。
ご迷惑でしたらすみません。
自国の尊厳が踏みにじられていることが
どれほど耐え難い屈辱的な日々になることか、
日本の人たちにもっと分かってほしいです。
(私も想像が足りていませんでした)
長々とすみません。
どうぞなごやかな日曜をお過ごしください。
昔から最も恥ずべき事とされてきました。
ウクライナでの文化財の略奪・・・
価値も意味も歴史も知らない人間が
どれほどの価値があるかも知らないまま盗み
いくばくかの金を手にし
味を占めてまた次のものに手を出す
なんと浅ましく 恥ずべき事でしょう。
かって日本でも多くの家宝とされてきたものが米兵によって持ち去られたと言います。
まれにザザビーなどのオークションに掛けられて発覚する事が有るそうですが
それを主張する手立てはなく
(戦後処理の際、正当に入手したと言い張れば、覆せるてだてがありません)
決して他所の国の遠い出来事ではないのです。
九条なんて絵に描いた餅にどれほどの力が有るのでしょう。
自国を守る「心」を持たない国を
誰が、何のために護ってくれるでしょう。
そんな議論をする事さえ、戦争賛美だという愚かしい人間が
この国の政治を担う立場に存在するという現実・・
日本の各地に残された文化財を見て
涙が出そうになったと言って下さるまかろんさん
その言葉に、私は心から「ありがとう」を伝えたいと思います。
物の数にも満たないブログですが
たった一人でも心を動かせて頂けるなら
これほど嬉しい事はありません
コメントに心から感謝します。