豊岡市加陽に鎮座される「加陽(かや)天満宮」。御祭神は『菅原道真公』。
この社に案内等は無く、勧請年月・縁起・沿革等全て不明。拝殿と渡り廊下で繋がる本殿は覆い屋の中。
一見すると一般家屋のようにも見える拝殿。
その拝殿前より神域を守護されるのは、昭和7年(1932)3月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんの口元がすっぱりと切り取られたようで痛々しい限り・・
更にもう一組、拝殿前より神域を守護されるのは、昭和62年10月吉日建立の出雲構えの狛犬さん一対。吽形さんは片足に玉を持っています。
拝殿彫刻は獅子と・・・・何でしょう? 真正面から見てしまうと正体不明の神獣になってしまいました(^^;)
覆い屋に守られた御本殿。天満宮の梅の木は満開で柔らかな香りを振りまいています。
その梅の木の下で神域を守護されるのは、おそらく先代さんと思われる出雲構えの狛犬さん一対。阿吽共に尾が付け根から欠けているのがとても切なくてなりません。
足元に大切に置かれた一対の尾・・・この尾を体に付けてあげる事は出来ないのでしょうか? まだ今なら間に合うのでは??
次に出会えることがあるのかどうか・・今となっては自信はありませんが、心に残った狛犬さんのアップを。
境内社、社名:御祭神共に不明。
少しづつ太陽の光が薄れ始める境内。振り向いた先に静かに鎮座される社殿に一礼をし、急かされるように次の目的地へと車を走らせます。
参拝日:2011年3月30日
社殿を護る狛犬さんが、形を失っていくに任せられている神社は、やはり荒れていますね。
土地の人にも忘れられていく、というのでしょうか。それとも過疎地になり、見守る住民がいなくなっているのでしょうか。
折れた足、千切れた尻尾、欠けた顎などを見ますと、訪れた人の心も痛みますね。今から12年前の参拝ですから、現在はどうなっているのでしょう。
「次に出会えることがあるのかどうか・・今となっては自信はありませんが、心に残った狛犬さんのアップを。」
説明文の中に、貴方の悲しみを感じました。
( 話は変わりますが、ハンドルネームを変更されたのでしょうか。ふと気がつくと、貴方ご自身が、tininekoと書かれています。心配しております。 )
時には楽しい話題をと、マンホールカードに関する千葉日報の記事を紹介したいと思います。
「マンホールカード」というタイトルで、2、3日中に「ねこ庭」でご報告する予定なので、楽しみにしていてください。
市川市と長生市の記事です。ご存知かもしれませんが、ちょっと自慢したくて、新聞を切り抜いています。
それは仕方のない事なのですが、やはり狛犬好きには切ないですね。
せめて修復をと願っても、中々それが出来る人もいないのでしょう。
ただ、まだまだ現役でいられる狛犬さんを裏に追いやって「形だけ大きい、どこにでもいる姿かたちの、機械彫りの中国製のコマイヌ」に変える神社よりは、百万倍マシです。
むしろそんな状態になっても、神様のお使いとして、境内の一画に大切にされている事実に、崇敬の篤さが感じられて嬉しく思えるのです。
長生市のマンホールカード、夏の配布は無かったから、きっと冬に配布されるんでしょうね。
貰いに行きたくても、千葉は・・・遠いですね。記事楽しみにしています😀
HNは、ミスをそのまま気付かずに放置していたみたいで・・・教えて頂き、有難うございました(恥)
また趣味の対象で言えば、放棄農地に合わせて放置される溜池も多数。
田んぼダムで表されるように人の手が入ることで保たれる自然秩序もあります。
個人的には人口減少時代においては地方でのコンパクトシティという考え方には大いに協賛しますが、一方でこれまで農業や林業が間接的に担っていた「治水」や「治山」という部分については、公費での助成が必至だと思っています。
想像しただけで心が痛む光景ですね。
墓を守る人が居なくなってしまう。それも個人単位でなく、集落単位になるとさもありなんと思えます。
それはともかく「治水」「治山」への公費助成。これは早急に必要な対策だと思います。
殊に昨今のように、何か事あるたびに土砂崩れだの土石流だのの被害を聞くと、日本に牙をむいて笑う国への援助など速攻に止めて、そうした部分にお金を使うべき!だと、強く思います。
お届けしたいことがあってお邪魔したのですが、
あああ、廃寺ならぬ、廃神社?
(そう言えば、廃神社って言葉は聞いたことないですね)
皆さまにご迷惑にならないよう、
前の記事でと思ったのですが・・
なんとなく今の私にはこちらの記事が合っているように思えまして、失礼いたします。
えっと、お届けしたいのはですね、
今居るところの鎮守の神社は、手水場のところに
昭和天皇の御製を毎月ボードに書いて掲げているのですよ。
月ごとに替えていると思ったのですが、
先日の終戦記念日辺りに伺ったところ、
月半ばですが、新しいものに替わっていました。
その句を是非、tibinekoさんに・・。
「国がらを ただ守らむと いばら道
すすみゆくとも いくさとめけり」
(昭和天皇御製 昭和二十年)
ボードにあったそのまま、書き写しました。
コメント欄では、だから何って思われそうですが、
終戦記念日、そして神社においてこの句を見ると、
ただただ陛下の国を想う心が有難く思えまして・・。
是非、tibinekoさんにと。
神道は詳しくないのですが、
この句を見たときに直感的に、やはり天皇は
日本の精神文化や信仰の、基盤ではないかと思わずにいられませんでした。
頭を下げたいほどの威厳が、気高さが
そのボードにはあったのですよ。
まるで神そのものがそこに宿っているかのごとく。
(宮司さん?の手書きの字は下っ手くそでしたけどね😅)
記事に関係ないお話がけですみませんでした。
でもtibinekoさんにはきっとお好きな話題かな、と思い、お伝えしたかったのです。
どうぞお元気で。
失礼しました🙏
言葉に出来ない何かに胸が押しつぶされそうな気がします。
これほどまでに民を想い、民と共に生きてきた昭和天皇・・
現状をどのような思いでご覧になられているかと思うと・・涙をこらえきれません
おそらく同じ頃に詠まれたのだろうと思われます
昭和二十年に詠まれた御歌
「身はいかに なるともいくさとどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」
また昭和21年の御巡幸では
「戦ひの わざはひうけし国民を おもふこころに いでたちてきぬ」を御詠みになられました。
令和のマイホーム主義の方には決して理解できない、国と民を想う心が胸を打ちます。
美しいお知らせ、有難うございます