車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 奈良県三郷町

2023年06月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

生駒郡三郷町(さんごうちょう)は奈良県の西部、信貴山の東南麓に位置する町です。古代の大和国の地であり、風神を祭る「龍田大社」が鎮座し、また「紅葉の錦」と謳われた「竜田の紅葉」で知られています。平群町、斑鳩町、王寺町に、また県を跨いで 大阪府八尾市、柏原市に隣接。町名は立野、勢野、南畑の三ヶ村が合併し、三郷村(みさとむら)となった事に由来します。「町の木:モミジ」「町の花:ヒマワリ」を制定。

キャッチフレーズは「万葉のさと 共に いきいき やさしさとぬくもり広がるまち 三郷」

明治22年(1889)、町村制の施行により、平群(へぐり)郡勢野村・立野村・南畑村の区域をもって三郷村が発足。

1897年、郡制の施行により添下(そえじも)郡・平群郡の区域をもって生駒郡が発足。

1966年、三郷村が町制を施行、改称して生駒郡三郷町となりました。

マンホールには『能因法師』が詠んだ百人一首の情景が美しく描かれています。

昭和41年4月1日制定の町章は「合併した三村を図案化したもので、住民一人ひとりがしっかりと手をつなぎ、互いに連帯・協力し合って、まちづくりをめざすことを象徴しています。」公式HPより

古代の大和国平群郡の地であり、風神を祭る延喜式名神大社「龍田大社」が鎮座される三郷町。神域は紅葉の名所としても有名で、摂社:龍田比売社の御祭神『龍田姫』は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきました。【 嵐吹く 三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり 】『能因法師』のこの歌は小倉百人一首にも収録されており、ご存知の方も多いと思います。

画像は、町制施行前の三郷村当時の村章。鮮やかな紅葉の錦に三の文字が印象的です。

撮影日:2009年4月19日

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マンホールカード、頂きました

2020年7月2日、第12弾としては全国53自治体で62種類(計535自治体667種類)のマンホールカードの無料配布が開始されました。  「三郷町」のマンホールカードは、「三郷町立図書館」でいただけます。

2019年に設置開始されたマンホールには「童謡のまち」の文字と「たつたひめ」がデザインされています。

「童謡”きらきらぼし”の日本語詞を作詞された武鹿悦子氏の在住地でもあり、豊かな美しい自然環境と数多くの古社寺に囲まれた三郷町は、昔から大阪と奈良を結ぶ交通の要所として栄え、奈良時代の歌集・万葉集でも本町と関連のある歌が多数詠われています。 こうした本町の魅力ある資源や童謡の価値を更に高めていくこと等を目的として、本町では平成30年に「童謡のまち」宣言を行いました。 この蓋のデザインは、その際に童謡”きらきらぼし”をイメージした”夜空に光る星”や町のイメージキャラクター”たつたひめ”のほか、万葉集で詠われた龍田山等を表現し、公募により選ばれたものです。」

 

 

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ご当地マンホール in 奈良県御所市

2023年06月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

御所市(ごせし)は奈良県大和平野の西南部に位置する市です。西部に金剛山・葛城山が峰を連ね、東南部の丘陵地から平地の広がる緑豊かな自然に囲まれた田園都市で、市内には数多くの延喜式内社が鎮座され、また、武内宿禰を被葬者と伝える「室大墓(むろのおおはか)」をはじめ、古代遺跡などが豊富に残されています。大和高田市、橿原市、五條市、葛城市、高取町、大淀町に、また県を跨いで大阪府千早赤阪村に隣接。「市の木:楠」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「自然と笑顔があふれる 誇れるまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、葛上(かつじょう)郡御所町・葛村・吐田郷村・葛城村・西松本村・櫛羅村・東松本村・竹田村・鎌田村・小林村・楢原村・三室村・秋津村・掖上村が発足。

1897年、郡制の施行により、葛上郡・忍海(おしみ)郡の区域をもって南葛城郡が発足。

1915年、櫛羅村・東松本村・竹田村・鎌田村・小林村・楢原村・三室村が合併、南葛城郡大正村が発足。

1954年、御所町が秋津村を編入。

1955年、御所町が掖上村を編入。

1956年、葛城村、吐田郷村が合併、南葛城郡葛上村が発足。

1958年、御所町・葛村・葛上村・大正村が合併、御所市が発足。

1977年、御所市大字重阪字内谷の一部・大字内谷字内谷の一部を五條市に編入。

マンホールには「葛城山・ロープウェイ」と「市の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和33年3月31日制定の市章は「「ご」「せ」の文字を図案化したものです。」公式HPより

セキスイハイムの住宅街にあった企業用汚水桝

撮影日:2009年6月27日

 

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ご当地マンホール in 奈良県上牧町

2023年06月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

北葛城郡上牧町(かんまきちょう)は奈良県の北西部、奈良盆地の西部で馬見丘陵のほぼ中心に位置する町です。香芝市、北王寺町、河合町、広陵町に隣接。古代、大和国葛下郡の地。式内社「伊邪那岐神社」が鎮座され、「上牧」の由来は、この地が緩やかな丘陵地帯で放牧に適した土地であったことからその名がついたとされています。「町の木:槇」「町の花:笹百合」を制定。

キャッチフレーズは 「みんなで築くパークタウン上牧-「夢」「感動」「友愛」のある美しいまちづくり-」

明治22年(1889)、町村制の施行により、葛下(かつげ)郡上牧村が発足。

1897年、郡制の施行により葛下郡・広瀬郡の区域をもって北葛城郡が発足。

1972年、上牧村が町制を施行、北葛城郡上牧町となる。

マンホールには、町章を中心に「町の花・ゆり」がデザインされています。

昭和48年2月1日制定の町章は「上牧の「上」を図案化しており、花を形どった中心部には町の木である「槙」の葉とクローバを組みあわせています。 八つの葉はそれぞれ住民の幸福と各種の職業を表し、中心にレイアウトすることで町政の大切さを表し、人が輪を作って町の繁栄に協力する姿を表しています。」公式HPより

撮影日:2009年6月27日

 

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ご当地マンホール in 奈良県三宅町

2023年06月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

磯城郡三宅町(みやけちょう)は奈良県の北西部、大和平野の中央に位置する県内で最も狭い、全国でも2番目に小さい町です。古代の大和国城下郡三宅郷の地であり、倭(やまと)屯倉に比定。旧三宅村を中心とする微高地上(自然堤防)には、倭国造家の墳墓と見られる三宅古墳群が所在し、町周辺には旧国名・地名が多く残されています。天理市、川西町、田原本町、広陵町、河合町に隣接。「町の木:金木犀」「町の花:八重桜&あざさ」を制定。

キャッチフレーズは「ふれあいと心の通うまちづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、式下(しきげ)郡三宅村が発足。

1897年、郡制の施行のため、式上(しきじょう)郡・式下郡・十市(とおいち)郡の区域をもって磯城(しき)郡が発足。

1974年、三宅村が町制を施行、磯城郡三宅町となる。

マンホールには「三宅町の町花である八重桜とあざさ、町の木であるキンモクセイと、歴史ある町三宅町をイメージして神社の鳥居や白山神社(屏風)の腰掛石をデザインしたものとなっています。」公式HPより

「万葉の花:あざさ」

三宅村章を、昭和61年12月19日に町章として制定「三宅町の頭文字「M」と「Y」を図案化、太い線で力強さを示しつつ、丸は和を示します。」公式HPより

「町花:八重桜」タイル

「町木:キンモクセイ」タイル

2009年に誕生した三宅町マスコットキャラクター『みやっぴぃ』は、万葉集に詠まれた「あざさ」の妖精。特技は出会った人を幸せな気分にすることです。

三宅町マスコットキャラクター『みやぼう』。生まれも育ちも三宅町の男の子。頭に咲く「町花:あざさ」がチャームポイントです

三宅町伴堂「牧之辻:地蔵菩薩」

「三宅の原」比例地の説明

撮影日:2009年7月18日&2017年4月26日

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一口メモ

「微高地(自然堤防)」、洪水時に河川が運搬した粗粒~細粒の物質が流路外側に堆積したもので、低地との比高が 0.5~1m 程度以上のもの。

「あざさ(浅沙、阿佐佐)」、5月から10月頃にかけて黄色の花を咲かせる水草。5枚ある花弁の周りにはレース状の襞が多数あり、早朝に咲き昼頃に萎むうえ、朝の気温が20度以上にならないと見ることが難しく「幻の花」とも言われている。

 

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ご当地マンホール in 奈良県香芝市

2023年06月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

香芝市(かしばし)は奈良県中西部、奈良盆地西端に位置する市です。市域は二上山の東麓の扇状地に広がり、市の西域は金剛生駒紀泉国定公園の区域内にあり、豊かな自然に恵まれています。大和高田市、葛城市、王寺町、上牧町、広陵町と、また金剛生駒紀泉国定公園を挟んで大阪府羽曳野市、柏原市、太子町に隣接。市名の「香芝」は「香の池尻」の俗称地名「カマシバ」の転訛の説が有力で、大字の「鹿島」があった事、下田の鹿島神社の鎮座する「鹿島」との間に小字「鹿島前」があった事。これが、「カマシマヘ」と訛り、音節の転倒によって「カマシバ」・・・「コウノシバ」「香の芝」となったのだと考えられています。(私にしては珍しく長い地名の説明)「市の花:スミレ」「市の木:樫」を制定。

キャッチフレーズは「笑顔と元気!! 住むならかしば」

明治22年(1889)、町村制の施行により、葛下郡五位堂村・下田村・二上村・志都美村が発足。

1897年、郡制の施行により所属郡を北葛城郡に変更。

1956年、五位堂村・下田村・二上村・志都美村が合併、北葛城郡香芝町が発足。

1991年、北葛城郡香芝町が市制を施行、香芝市が発足。

マンホールには「市の木:樫」と「市の花:スミレ」がデザインされています。

雨水用のマンホールには、網目柄の中央に「市の花:スミレ」がデザインされています。

市章は、昭和34年制定の町章を継承「「カシバ」を図案化したもので、円形にまとめたのは和の精神を表し、両横に張り出した翼の形は将来への発展飛躍を表現しています。」公式HPより

香芝町時代の消火栓。自治体名と町章が刻まれています。

撮影日:2009年6月27日

 

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大直禰子(おおたたねこ)神社 in 奈良県桜井市三輪

2023年06月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

大神神社を後にして向かったのは「若宮獣燈」が指し示す先。

桜井市三輪に鎮座される「大神神社」の境外摂社で「大直禰子(おおたたねこ)神社」。御祭神は三輪の大神様の神孫『大直禰子命(おおたたねこのみこと)』。祭神の母君である『活玉依媛(いくたまよりひめ)』と、大和の国づくりを手伝ったとされる『少彦名命』が配祀されます。

由緒「御祭神大直禰子命は、御本社大物主大神の御神孫で、第十代崇神天皇の御代に神託によって茅渟県陶邑(堺)より大神神社の初代神主として召されました。大神氏の始祖であります。この神社は、奈良時代には大神寺、鎌倉時代には大御輪寺として、本地仏十一面観音(現在国宝・聖林寺安置)と併祀されていましたが、明治の神仏分離以後は大直禰子神社として祀られます」境内案内より

若宮社の拝殿は大御輪寺の本堂だった建物で、奈良時代の大神寺創建当初の部材も残っており、重要文化財の指定。

鳥居の内より神域を守護されるのは、明治43年建立の浪花系の狛犬さん一対。お腹まで届く巻き毛のたてがみが、この上なくお洒落。

境内に設けられた「御饌(みけ)石」。駒札には「この御石はお正月のご神火祭りの時に、久延彦神社に神饌をお供えする石です。知恵の神様 久延彦神社にお参りできない方はここから遥拝して下さい。」

大神神社のご祭神と活玉依媛との神婚譚に由来する「おだまき杉(緒環杉)」「活玉依姫の元に、夜な夜な大そう麗しい若者が通ってきた。姫はほどなく身ごもった為、両親は若者の素性を姫に訊ねたが、姫も分からぬまま。そこで両親は、床のまわりに赤土をまき、苧環と呼ばれる糸巻きの糸を針に通して若者の着物の裾に刺すよう教えた。翌朝、糸を辿っていくと、糸は戸の鍵穴を通って、三輪山まで続きこの杉のところで終わっていた。」奈良の昔話より

鳥居の向こうに見える大神の社前町

青い空いっぱいに広がる真っ白なうろこ雲は、秋の気配を伝えてどこまでも広がっています。

〆鳥居の先は狭井神社への参道で「くすり道」と呼ばれており、薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられています。時間的な制約で、鳥居前からの参拝だけで失礼させて頂きました。

三輪山の麓に鎮座される「久延彦神社」。御祭神である『久延毘古命』は、世の中の事をことごとく知っている智恵の神と古事記の中に記されています。

久延彦神社から見る大和三山。山並みの向こう、輝きを失いつつあるお日様に急かされて三輪の地を後にしました。

参拝日:2006年10月9日

 

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大神(おおみわ)神社 in 奈良県桜井市三輪

2023年06月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

桜井市三輪、「山辺の道」の始まりである三輪山の麓に鎮座される「大神神社」。式内社(名神大社)で大和国一宮。御祭神は「三輪山」を神体とする『大物主大神』。旧くは「美和乃御諸宮」、「大神大物主神社」と称し、中世以降は「三輪明神」に。明治時代に「大神神社」と改名。大鳥居は、昭和天皇御在位60年を奉祝して、昭和61年5月28日に建立。高さ32.2メートル、柱間23メートルの日本一の大鳥居で、その向こうにご神体山が美しく横たわるのが見えます。

由緒「『古事記』によれば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとある。『日本書記』でも、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂・奇魂」であると名乗られたとあり、三輪山に鎮まることを望まれた。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮しずまられたという。」公式HPより

大神神社は「三輪山(三諸山)」を神体山として拝するようになっている為、ご神体が鎮まられるための本殿をもたず、拝殿から三輪山そのものを仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残します。

寛文4年(1664)、4代将軍徳川家綱によって再建された国重要文化財の拝殿。棟札には、金屋の茂左衛門と手代福本又次郎を番匠棟梁とし造営されたものとあり、それ以前は三ツ鳥居とそれに続く瑞垣が巡るに過ぎなかったと云います。

営造物の中において中枢の地位を占める重要文化財の三ツ鳥居(三輪鳥居)は拝殿の奥深くにあり、そこから「辺津磐座(へついわくら)」までが禁足地とされています。山中には上から「奥津(おきつ)磐座」・「中津(なかつ)磐座」「辺津磐座」があり、麓の山ノ神祭祀遺跡などからは、古墳時代中期以降の土器や勾玉などが出土しています。

二の鳥居から続く参道は神域らしい張り詰めた空気に満ち、見上げた瞬間におのずと伸びる背中。ゆっくりと深呼吸をして一礼。

手水舎で参拝者を出迎えるのは酒樽に巻き付く蛇体。祭神である『大物主神』は蛇神であると考えられ、水神または雷神としての性格を合わせ持ち、稲作豊穣、疫病除け、醸造などの神として特に信仰を集める神とされています。

手水舎の後方に「しるしの杉」「三輪の大神のあらわれた杉、神の坐す杉とされていました。しるしとは、示現のことで、当初、神杉として信仰されていたすべての杉のことを指していました。この杉も覆屋が作られ、根本だけが残っています。」公式HPより

「巳の神杉」は、大物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられた御神木。樹齢500年とも言われ、幹の周囲には蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされています。

「衣掛(ころもがけの)杉」は、謡曲「三輪」に知られる『玄賓(げんぴん)僧都』の衣を掛けられたという神木。周囲10メートルにおよぶ株が大切に保存されています。

心身を祓い清めるとされる祓戸の四神が祀られる「祓戸(はらえど)神社」。神社に参拝の時は先ずここにお参りをし、俗世の汚れを払うのが正しい参拝手順となります。

三輪の神と人の子である女性の恋物語を伝える「夫婦岩」。神の鎮まる磐座の一つとされ、縁結び・夫婦円満のご利益があるとされています。

古来より『大物主大神』が鎮まる神の山として信仰されてきた「三輪山」。高さ467メートル、周囲16キロメートル、面積350ヘクタールのお山は松・杉・檜などの大樹に覆われ、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれてきました。木々が生み出す命の気を体いっぱいに吸い込み、次なる聖地「大神氏」の始祖が祀られる地へと向かいましょう。

参拝日:2006年10月9日

 

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ご当地マンホール in 奈良県桜井市

2023年06月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

桜井市(さくらいし)は奈良県中部、奈良盆地の中央東南部に位置し、奈良県総面積の2.7%を占める都市です。市西部および北部は奈良盆地の東南に位置し、寺川や初瀬川が流れる比較的平坦な田園地帯で市街地を形成。奈良市、橿原市、天理市、宇陀市、田原本町、明日香村、吉野町に隣接。市域には、日本で最も古い神社の一つともいわれる三輪の大神神社、初瀬の長谷寺など由緒ある社寺も数多く、宗教的にも深い歴史を持ち、古代信仰の形体を知る上でも重要な地区と言われています。

地場産業である木材は、良質材の産地として、また、吉野材の大規模集散地として「木材のまち桜井」を全国に知らしめています。南部から東部にかけては竜門山地がそびえ立ち、その冷涼な気候を利用して大和茶や、素麺の生産においては、素麺発祥の地として独特の技法が受け継がれた伝統の味を生み出し、日本三大手延べ素麺“三輪素麺”として全国に知られています。「市の木:杉」「市の花:山桜」を制定。

キャッチフレーズは「生活文化都市 -人にやさしいふれあいのまち-」

明治22年(1889)、町村制の施行により、十市郡桜井村・安倍村・多武峰村・朝倉村・大福村・香久山村、式上郡城島村・朝倉村・上之郷村・初瀬村・織田村・纏向村・三輪村が発足。

1890年、桜井村が町制を施行し、十市郡桜井町となる。

1891年、三輪村が町制を施行し、式上郡三輪町となる

1892年、初瀬村が町制を施行し、式上郡初瀬町となる。

1896年、郡制の施行により、式上郡・式下郡・十市郡の区域をもって磯城郡が発足。

1942年、 桜井町が磯城郡城島村を編入。

1954年、桜井町が磯城郡安倍村・多武峰村・朝倉村を編入。

1954年、磯城郡桜井町大字笠間・安田が宇陀郡榛原町に編入。

1955年、三輪町、織田村、纏向村が合併、磯城郡大三輪町が成立。

1956年、磯城郡大福村・香久山村を編入。即日市制施行して桜井市となる。

1956年、磯城郡上之郷村を編入。

1959年、磯城郡初瀬町を編入。

1963年、 磯城郡大三輪町を編入、現在に至ります。

マンホールは市章が記載された規格品のみで、デザイン蓋はありません。

昭和31年9月1日制定の市章は「桜井の地名が「桜の井」とよばれる井戸にはじまると云われている事から、地名に因んで、桜の花弁を図案化し、中心より大きく広がつた花びらは若さと発展する桜井を表わします。」公式HPより


三輪山の麓から石上布留を通り、奈良へと通じる「山の辺の道」は、歴史に登場する道路のうちで最古の古道と呼ばれています。

歴史街道・山の辺の道プレート

撮影日:2009年7月11日

 

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ご当地マンホール in 奈良県川西町

2023年06月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

磯城郡川西町(かわにしちょう)は大和盆地のほぼ中央に位置する、東西3.4キロメートル、南北1.9キロメートル、総面積5.93平方キロメートルの町です。北は生駒郡安堵町と大和郡山市、南は磯城郡三宅町、東は天理市、西は北葛城郡河合町に接し、4つの河川が一同に集結して大和川に注ぐ水辺の町です。大和川を北限とし、寺川・飛鳥川・曽我川などの河川が大和川に合流する地点に位置します。町の全体が平坦な地形で、古代の大和国城下郡三宅郷の地であり、町域の唐院には延喜式内社の「比売久波神社」が鎮座、近くには倭国造の墳墓と見られる周濠付きの前方後円墳「島の山古墳」があります。地場産業の「貝ボタン」は全国トップシェアを誇り、「結崎ネブカ」の生産地として、また、能楽観世流発祥の地としても知られています。「町の木:欅」「町の花:コスモス」を制定。

キャッチフレーズは 「~ひと 暮らし 自然 輝く~ にぎわい やすらぎ うるおいのまち かわにし」

明治22年(1889)、町村制の施行により、式下郡川西村が発足。

1897年、 郡制の施行により、式上郡・式下郡・十市郡の区域をもって磯城郡が発足。

1975年、川西村が町制施行して磯城郡川西町となる。

マンホールには、町章を中心に「町の木:ケヤキ」と「町の花:コスモス」が交互に描かれています。

昭和35年4月1日制定の町章は「川西町の頭文字「カ」を簡潔優美に図案化し、町の豊かな発展と平和隆昌を大きく爽快に表現したものです。」公式HPより

山辺広域行政事務組合消防本部の消火栓、知章は「山辺」の文字を図案化したものです。

撮影日:2009年6月27日

 

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ご当地マンホール in 奈良県安堵町

2023年06月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

生駒郡安堵町(あんどちょう)は奈良県の北西部、大和盆地中央部に位置する町です。田園地帯が広がる面積4.31平方キロ(東京ドーム約100個分)の町は、大阪府忠岡町、奈良県三宅町に次いで全国で3番目に小さい町。町の西側には富雄川、南側には大和川が流れ、隣接する大和郡山市や川西町とともに、西名阪自動車道沿道付近を中心として工場や倉庫が点在します。大和郡山市、斑鳩町、川西町、河合町に隣接。「町の木:モチノキ」「町の花:テイカズラ&ナデシコ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かで美しい自然と数々の歴史遺産、文化財 町民文化を誇るまち-安堵町生活文化発信宣言」

明治22年(1889)、町村制の施行により、平群郡安堵村が発足。

1897年、郡制の施行により、添下郡・平群郡の区域をもって生駒郡が発足。

1986年、安堵村が町制を施行、生駒郡安堵町となりました。

マンホールは町章がある規格蓋のみで、デザインタイプはありません。

昭和46年2月12日制定の町章は「「安」が図案化された町章で、円をとりまく五つの羽根は、町の大字、円は「和」を以って貴しとされ、明るい町作りを。横一文字の大翼は、町政水準の力強い統一と限りない発展をあらわしています。」公式HPより

撮影日:2009年4月19日

 

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