自分たちは被害にあっていない。
日々の生活は前のままだ。
しかし思いは千々に乱れる。乱れてばかりでなんにも役に立たん。
神戸の震災の時、被災地に住んでいる知人が教えてくれた。
地震のあと、一番最初に店を開けたのは薪でパンを焼く町のパン屋さんだった
地震で家や家族、思い出を失った人たちは、そのパンの香りにどれだけ助けられたことか。
今このはなしを思い出すと、ものを作ることができる手の尊いこと。
わたしの仕事はそんなところまでいってないし、なおかつ休業中。
でも何ができるか考えると、土を起こして種をまき、子どもの世話をし、日々の生活を大事に送ること。
まずここからかな。
そしてその上でできることをまた順番にやっていけばいいんだな。
できることをちまちまやってると、落ち着いてくるもんですね。
被災にあわれた方々にも一日も早く日常がやってきますように。。。
昨年秋見切り品コーナーにあったセージ(かな?)の苗。
霜に当たったりしてしょんとなったけど、新芽でました。
こういう時だから誠実に、いつものように過ごすこと。
簡単に怒りの気持ちにとらわれない事、
あわてない事、変に悲しい気持ちにならない事に
気をつけています。
>今このはなしを思い出すと、ものを作ることができる手の尊いこと。
そうです。僕らがそのうちしっかりとした力の出せる人に
ならなくてはね。 コツコツ準備していきましょう。
つい批判したり悲観したり、に流されそうになります。
すかすかさんみたいな考え方をしてるひとが友だちでとてもうれしい。
あせらずすぐには成果がでなくても
日々の暮らしの中、できることをやっていくことが先々につながるとわたしも思いました。
わたしが出来る事は何だろう。
アトリエで絵なんか描いてる場合じゃないんじゃないか?とか
悶々と考えていたりしました。
でも、長くかかるであろうこの状況を乗り越えるためには
たまたま震災に遭わなかったわたしのすべきことは、
生活を今まで通り淡々と過ごすことではないのかと。
日々を一生懸命生きよう。
それが積み重なれば、この状況を底から持ち上げることには
ならないだろうか、と。
やれることをこつこつと。
ちまちまちま、こつこつこつ。
小さいけど安心できるかわいい響きですね。
自分が、間違いなくこの国の歴史の中に生まれた一つの点なんだって。
そして無力さも。
でも、目の前にある、できることを自分なりに、焦らず怠らず頑張り過ぎてへたることなく… できたらいいな。
祈ることしかできないこの気持ちから目をそらさずに、形にできることに会えたなら、躊躇なく踏み出せたらいいなと。
人は思ってるよりも強いって、信じたい!
テレビやネットを見るとそういう気持ちになりやすい。
暗く思い詰めることは簡単だけど
その一歩先を考えていきたいところですね。
>日々を一生懸命生きよう。
これを亡くなった方々、被災された方々が教えて下さってるんですね。
これをしてると落ち着いてくるのはわたしだけではない気がします。
(それでわたしは朝からトイレ掃除を入念にしましたが←ちょっとサボり気味だった最近)
針仕事とか手で洗濯とか、もちろん料理、
チカラ仕事だったら薪割りなんてすごく落ち着くし自分を取り戻せる気がする。
文明の利器はわたしたちにそれを見せている。
こういう時代に生きて、いろいろな情報を知ったわたしたちは湧いてくる怒り悲しみ嘆きを越えなきゃいけないんだろうなって思います。
祈るってことはそこにあるのかな。
わたしも信じたいです。
ひとこと、ひとこと、考えて考えて書かれたことばを何度もくりかえし読みました。
このような思いがただ流されるのではなく
重なっていって、いつかカタチになっていくん
ですね。
未来はあかるい!ていうかあかるくしてゆける!
地球も宇宙も同じです。
大なり小なり波はあり動きます。
停滞せずに動いているから進化します。
出せているから良いのかなと思います(自分自身もかなりの毒出し中かと感じる日々)。
出せずに一気に来て破綻するよ、小まめな毒出し(=掃除)は本当に有り難いなと確信してます。