元旦は珍しく息子15歳とあるく。
(父ちゃんと7歳児は父ちゃんの実家へ帰省していて留守)
「受験生なので願をかけにうちから一番近い神社までいこう」ということになって
お昼を食べたあと出発。
元旦にしては雲の切れ目からおひさまの強い陽射しがたまに照って、暖かい、
と思ったら山の天気は変わりやすい。一転、氷混じりの雨。
こういう時間はもうなかなか取れなくなるだろうね。
少しずつ離れていく息子を感じる。
往復6km、一時間半、一万歩強。
結構きつい坂道もあって、しんどかったです。ふうう。
7歳児は今年のカレンダー制作。
一月はマル一個。二月はマル二個。
好きな色を混ぜながら、にじみを楽しんでいくんだけど
気がつくと色を重ねすぎるので、途中引き際をさりげなくこちらで示唆する。
こちら、トイレ用のカレンダーになりました。
〜おまけ
これ、昨年末クリスマスの贈り物にわたしから7歳息子に贈ったもの。
古道具屋さんで買って、サイズもぴったりだし、洗濯もしてピカッと!
さあこれを腰につけて、春になったら散歩だ散歩。
(本人はすごく嬉しそうな顔をしていないところがミソ)
なんだかお手紙をやりとりしているようで
わたしはとてもあったかいものを感じています。
ありがとうございます。
「困ったときになんとかする力」って本当にそう思います。
生きていく間に必ずいろんなことが起きる。
それをどう越えていくのか、それが大きいんだろうなあ。
受験にしても子供自身のことなのだから、
勉強するにしても、学校を選ぶにしても
自分の選択、そして結果は自分に返ってきちゃう。
それでどうなったとしても
いつも近くにいるからね、あったかいごはんとお布団はいつでもあるからね、っていう親でありたいな。
それ以上のことはできない、子供自身が越えていくもんだから。
そんな親は他にいないのか、学校に行くとわたし、
ちょっと変わったお母さん、のようです。
高校受験なのですね。ご多忙中つまらない投稿でお騒がせしてごめんなさい。しかし、いつも人生を自分の手で
切り開いてきたチマさんのご家族ですから、きっと
今回もご自分で何とかなさると思います。
私はたった一回の入試より、長い目で見て困ったときに
努力して困ったなら、なんとかする力というのがとても
大事だと思います。困らなくても、3年後はどういう人生を選ぼうか、と自分で考えるお子さんになると思います。
それは本当に大事なことだと思います。自分で選んだあるいは築いた道なら責任を以て進むでしょう。
でも基本はどういう風に困っても親は応援してくれていると信じていられるという安心感があるということでしょうね。今になってそう思う気づくのが遅い親です。
こちらの方では高校の数が少ないので、
中学生は大きく3〜5の高校へ分かれる感じなんです。
だから街中のように、「あともう少しでこっちの高校に入れる!」といったような緊迫感がなく
「まあこのままだったら、こっちの高校かなあ」という程度です。
なのでtenfingersさんの息子さんのように努力を重ねて自分の結果を出すことはあまりしてないです。
もし大学を受験するならそのとききっと初めて自分が今できることとやりたいことの間に立たされるんじゃないかな。
わたしは行きたい大学に浪人までしても行けず
そのとき大きく後退した感を持ちました。
でも別の大学に行ったおかげで、道が大きく変わり、そちらの方がわたしの道だったんだなあ〜なんて今だから思ったり。
だから息子や、働いている塾で接する受験生たちに
「どんな学校に行くことになっても、それがきっとあなたにとって一番の学校だから、そうなったんだよ」
と言いたい。
どこに行っても楽しい時間はあって、友達もできる。
学校以外の場所にだっていっぱい行けばいいし。
とりいそぎ家族の中で風邪は要注意!
はちみつを舐めて風邪予防です。
しかし父ちゃんだけが咳鼻水風邪をひいていて
困ったもんだー。
のどかなお散歩で新年の幕開けとは羨ましい。
思えば、高校受験は人生で一番大変かもしれませんね。
私自身は中学から続いている高校に行ったのですが
長男は中学受験で敗退したので公立高校を受験しました。中学は落ちても公立に自然に行けます。大学は
落ちても浪人すればよいし、そうする人も大勢いるので気になりません。高校は不退転の決意で臨んだと思います。(親は)
当人の弁では一番努力と結果が直に結びついている、そうです。公立高校の入試は努力すればするほど確実なものとなるそうです。 問題は過去と大きく違わないし、突然変わったものも出ない、人生はこうあるべきだ、と力説しています。でも15歳の人間にとって、
今までの経験は参考になるほど無いはず。健闘をお祈りします。まずは丈夫な体で当日にを迎えられるようにね。