地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

スペシャル対談

2010年02月14日 | 展覧会・講演会
 


江國香織×山本容子の「スペシャル対談」、2人のトークと世界に魅了された

 今「ふくやま美術館」で開催中の「山本容子のワンダーランド」の関連行事として幾つかの企画があったが、私の目に止まったのは江國香織×山本容子のスペシャル対談「創作することの喜び」だった。聞きたいと思ったが、ただ開催が日曜日、しかも午前10時から整理券を配付し、対談そのものは14時からとなっていた。整理券の入手は困難かなと考えたりもした。しかし同じ時期に、「ふくやま文学館」で、名作「夏の花」の著者「原民喜展」が開催されると知り、ならば頑張って行ってみようと決断した。

 これまで山本容子のトークは聞いたことがあったが、直木賞作家の江國香織(坪田譲治文学賞の受賞作家でもある)の話は聞いたことがなかったので、是非とも聞いてみたいと思い、今日福山に行った。整理券配付が10時からなので、9時20分着の列車で行った。その列車に乗るには、我が家を出たのは午前7時30分だ。その意味では「ダメもと」と考えた。整理券がゲットできなかった場合は、二つの展覧会を楽しんで帰ろうと思っていた。

 ふくやま美術館までは、歩いて10分弱。歩いていると、同じ方向に足早に歩く女性達の姿がたくさん見える。多分同じ所だと思い、少しだけ気が焦る。会場に到着すると、想像通り大変な行列ができていた。定員200名に対して、私が列に並んだ9時30分で、140番目だった。整理券配付前に、「定員に達しました」の張り紙が貼られていた。座席番号も書かれていた整理券を手にした時に、張り紙を見て「甘かった」と悔しがられる方々がたくさんおられた。

 さて、今日のスペシャル対談は、江國香織の最新長編童話『雪だるまの雪子ちゃん』に、山本容子が銅版画でコラボレーションしたことで、誕生した企画だと思う。今日で三回目の対談とのことだ。「山本容子展」の企画ということで、山本容子が進行役も兼ねてのトークが繰り広げられた。2人ともとても魅力的で、2人のトークと世界にたっぷりと浸ることができた。90分はあっという間に過ぎていった。

 終わって帰ろうと思うと、大変な混雑だった。2人の対談を放映する第二会場が設けられており、トーク終了間際に生の2人を見ようと押しかけたせいだ。さすがに今の時代の最先端を走る2人の人気の凄さにを改めて認識するとともに、朝早くから列に並んで良かったとしみじみ思った。

 
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山本容子

2010年02月14日 | 展覧会・講演会
 


「山本容子のワンダーランド」で、山本容子の世界を堪能した

 このところ「山本容子展」は、ほぼ毎年と言ってよいほどに見ている。現に岡山でも丸善岡山店でも、現在開催されているし、昨日は山本容子のサイン会もあった。私も、幾冊かサイン本も持っている。

 そんな山本容子展であるが、今回は「不思議の国の少女たち 山本容子のワンダーランド」と題して開催されている。昨年の12月19日から3月7日迄と、大変に長期間開催される展覧会だ、この会期中に、山本容子はサイン会やワークショップ、アーティスト・トーク、そして今日のスペシャル対談と、4回も登場するという力の入れようだ。その他、「山本容子 Jazzingの世界を音で遊ぶ」と題しての「ミュージアムコンサート」なども開催される。

 それにしても、今58歳の山本容子は、まさに充実の時期を過ごしている、と今日の展覧会を見て感じた。デビュー当時の銅版画から最近の「不思議の国のアリス」や「平安の姫君」などの膨大な作品群を見ていて、その勢い凄さを感じる。今は「鏡の国のアリス」等にも取り組んでいるとのことだが、さらに旺盛な作家活動を展開することは間違いない。当分、山本容子の時代は続くことだろう。

 素敵な作品を鑑賞した後に、江國香織とのトークで、その作品誕生のいきさつ等を聞かせてもらい、山本容子がより身近になった。早朝に自宅を出て、たつぷりと丸一日、山本容子の世界に浸り、魅了され堪能した。豊かな時間を過ごすことができた。

 
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宇高航路

2010年02月14日 | ひとりごと
 


100年の歴史を持つ「宇高航路」来月廃止、まさに「国策に破れた」結果だ

 昨日の新聞各紙に「宇高航路」の事業廃止が報道されている。「瀬戸大橋開通前の1987年には一日148往復し、396万人の旅客と187万台の車両を運んだ」(2月13日付山陽新聞朝刊)そうだ。その「宇高航路」が、100年目を迎える今年の3月26日を最後に運行停止となる。とてもショックだし、寂しい。

 私の母の実家は、四国・高松にあり、子どもの頃にはよく「宇高連絡船」に載った。当時の国鉄で玉野まで行き、「連絡船」に乗り換える。その連絡橋は長く、母に手を引かれて走ったことを、昨日のように記憶している。「連絡船」内で食べる「おうどん」も楽しみだった。

 さて、今回の「宇高航路の事業廃止」は、「国策に破れた」との指摘は、まさにその通りと言えよう。高速道路を土・日1,000円とした当然の帰結だ。このまま、政府が「高速道路の無料化」に突き進むならば、次に待っているのはJRの赤字路線の切り捨てだ。「宇高・四国フェリー」も含めて、「暮らしの足」となっている公共交通的役割を担う「フェリー」やJRの廃船・廃線が、生活困難に拍車をかけることとなろう。その打撃を最も受けるのは、車に乗れないお年寄りなどの生活弱者だ。

 今回の「宇高航路の事業廃止」を教訓として、政府は「高速道路の無料化」施策について、再考してもらいたいと考える。瀬戸大橋などの高すぎる通行料金の見直しはするとともに、高速道路には適切な料金設定が必要だと考える。無料化で交通渋滞をもたらす施策は愚の骨頂で、高速道路と一般道の違いは、速く走れ時間も計算できるところにあると考える。重ねて、「高速道路の無料」施策について、再考をお願いしたいと考える。
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