想像したとおりの映画だった、私的には松たか子でなければ観なかった映画だ
山田洋次監督がその著書『映画館(こや)がはねて』(1984年、講談社刊)の「まえがき」で、次のように書いている。
「映画館(こや)がはねて、青空を仰ぎながら家路につく観客の胸が幸福な気分でつつまれ、さっき観た一場面を思い返して、おもわず一人笑いしてしまうような作品ができることを念じつつ『男はつらいよ』を作っている」。
そう「映画を見終わって、幸福な気分に包まれる」、そんな映画が私は好きだし、映画に求めるものだ。
今日やっと観た「告白」は、「幸福な気分に包まれたり」、「おもわず一人笑いしてしまう」、そんな映画とはほど遠い映画だ。私がある意味で観る前に想像していた通りの映画だった。正直、松たか子でなければ観なかった映画だ。しかしこれは個人的な感想で、平日で割引のない日なのに、今日もたくさんのお客さんが入っていた。
監督の中島哲也は「松さんの舞台を観ていると、その時々で全然違う顔を持ってる人で、奥深いなっていうか、得体の知れない女優さんだなぁと。底の知れない人のほうやっぱり面白いんですよ。『告白』はまつさんじゃなかったら、誰がこの役をやればいいのか、今でもまったく思いつかない」、と語っている(「パンフレット」より)。それにしても、女優はスゴイ。どんな役でも演じてしまう。その意味では、松たか子の新たな魅力に惹かれた。
ところで、この湊かなえ著の本屋大賞を受賞した原作本『告白』の文庫本(双葉社刊)を購入しており、映画を観たら読もうと思っていたが、当分ページを開くことは難しい気がする。