鍋を焦げ付かせ出火寸前、認知症の世界に向かっているのではと不安でいっぱい
今朝はとてもショックなことがあった。老いを超えて、認知症の世界に突入しつつあるのではと恐れを感じている。朝パソコンに向かっていると、何だか焦げ臭いがしてきたが、格別火を付けていないのでと思って作業を続けていると、より匂ってきたので台所に行った。
すると、台所のコンロに鍋が載って、そこから煙がもうもうと立ちこめていた。前が見えないくらいで、火が出る寸前だった。朝台所で、その鍋の中を確認したのは記憶しているので、その後無意識に火を付けたものと思われる。火事にならなくて、ほっとしている。
今朝のことがあり、義務化されている火災報知器を取り付けていなかったことを思い出した。深く反省するとともに、消化器も新しいのを買うこととした。 それにしても、「鍋を焦がすのは、老い・呆けの始まり」とも言われている。加えて、最近は様々なことを失念することが多い。先日も「あなたに話したのに、全く覚えていないのでしょう」と指摘された。そうしたことは、しばしばだ。
そろそろ、我が人生も「認知症」の世界に入っていこうとしているのかも知れないと思ったりもする。少しだけ恐ろしさで立ちすくんでいる。
久々にアンリュールでランチ、ダイエットの身なのにパンを食べ過ぎた
毎朝、起きてすぐ体重計に乗り、その数値を記録している。体重を記録するのは朝のみだが、入浴の際にも必ず体重計に乗る。また、血圧は朝と夜の二回計り、「血圧日記」に記録している。生活習慣病一式に直面している身としては、ダイエットはどうしても取り組まなければならない課題だ。その意味で、最大の敵は食欲だ。
ところが、昨日はアンリュールで、たくさんたくさんパンを食べてしまった。美味しくかつ食べ放題なので、どうしてもがマンガできない。困ったものだ。夜入浴の際に計ったら、体重計の針がとんでもない所を指していた。ショックだ。
食欲の秋だが、我慢することをしなければと思うのだが…。正直自信がないのが困りものだ。
周防正行監督・草刈民代主演映画「終の信託」を観た、命、愛について考えた
テーマが「終(つい)と愛」、そして主演が草刈民代といえば、これはもう観に行かないわけには行かない。その映画は「終の信託」。主演が草刈民代と役所広司、そして監督は周防正行だ。
この三人のタッグは16年ぶり、草刈民代のデビュー作である映画「Shall we ダンス?」以来だ。この映画で、周防監督と草刈民代は愛を育んだ。私はその「Shall we ダンス?」を今は大阪へ転勤した人と観たが、当然ながら愛は育たなかった。それでも今も年賀状だけは交流している。
さて、映画「終の信託」は、フライヤーには「医療か? 殺人か?」と大きく打ち出されている。「終末期医療」を巡って、人工呼吸器の装着装置を外すことの是非が、今大きな議論になっている。難しい問題はあるが、私は人工呼吸器を外すことが認められてもいいのではと思っている。
医師(草刈)と患者(役所)の枠を超えて深い絆で結ばれた中で、「信頼できるのは先生だけ。最後の時は早く楽にしてください」の言葉を胸に、心肺停止状態の患者(役所)に対して、医師(草刈)は決断する。それが刑事事件に発展して、刑事と医師(草刈)は向かい合う(フライヤーより)。
原作が実話を基にしているだけあって、とてもリアリティがあった。「リビングウイル」(「尊厳死の権利を主張して、延命治療の 打ち切りを希望する」などといった意思表示のこと)を考えている私としては、実に様々なことを考えさせられた。
それにしても、16年を経て映画に戻った草刈民代は素晴らしかった。その草刈民代が役所広司と組んで、生きることと愛することを示してくれた。素晴らしい映画だった。原作も読んでみようと思っている。
秋真っ盛りで稲刈りが進んでいる、昨日は畑作りに必要な籾殻をいただいた
10月も今日で終わり。早いものだ。秋真っ盛りで、我が家の周辺では稲刈りが盛んだ。そんな中で、昨日は親しくさせていただいているお宅へお邪魔して、大きな袋に3つもの籾殻をいただいた。
私のようにささやかでも畑作業をしている者にとっては、籾殻と藁は絶対に必要だ。それを収穫時期にいただき、一年間大切に使う。今年もつい先頃に使い果たして、そろそろ植えようかと思っているタマネギに、早速籾殻が必要だ。
そして、藁については先日の雨でまだ乾いていないので、乾いてからいただくこととしている。籾殻といい藁といい、本当にありがたいことだ。心から感謝している。籾殻や藁のお礼の意味でも、頑張って美味しいお野菜を育てなければと強く考えている。