21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

橋下知事の君が代に思う

2011-05-26 09:50:52 | 雑記帳
 橋下大阪知事が進める君が代条例のニュースを見ていて、つくづく時代の流れを感じた。

 私が義務教育を受けたのは約40年前である。当時は、君が代斉唱の際、起立斉唱しない生徒や教師は意外にも少なかった。ちなみに私は小学校のときは歌っていたと思うが、中学の途中から今日に至るまで歌ったことは一度もない。戦争に目を向けたとき、日の丸の前で君が代を歌うことができなくなったのだ。反戦思想といえば確かにそうなのだろうが、私の中で自然に日の丸、君が代イコール軍国主義という図式ができあがっており、それを未だ引きずっているだけである。

 それでも、日の丸については、国旗として受け入れており、今さら、変えろとは思っていない。オリンピックで日の丸が上がれば素直に嬉しい。かといって、日の丸に頭を下げる行為にはなかなかなじめす、これまで式典などでそういう場面が何度かあったが、たぶんきちんと下げなかったと思う。一方、君が代は今でも歌えない。

 橋下知事はたぶん、世代的にそうした経験が全くない方なのだろう。だから、マネジメントの一環などと簡単に言ってしまえるのだと思う。「教え子を戦場に送るな」という言葉は日教組の専売特許ではなく、教師の率直な思いである。その思いゆえに、いつまでも日の丸君が代を受け入れられない教師がいてもおかしくはない。

 戦後、日の丸、君が代問題は、何度かクローズアップされてきたが、そのほとんどが教育現場がその舞台だった。今回もそうである。そもそも、この問題は、教育現場に限ったことではない。君が代が歌えない世代は確実にいて、その本質が語られることがなかっただけのことだ。

 確かに国旗、国家に敬意を表さないのは、おかしなことかもしれない。そのおかしなことがなぜ生まれたのか。それは、戦争がすべてである。というより敗戦といったほうがいいだろう。断言できるが、多くの犠牲者を払った敗戦によって、日本人は国家との距離感に疑いを持たざるを得なくなった。長い間、日の丸、君が代が国旗国歌と制定されなかったのもそうしたことが原因だったと思う、時代が流れ、日の丸君が代が正式の国旗国歌になった。しかし、反戦運動とリアルタイムで向き合った世代の中には、少なくとも自分の中で消化できないものがまだまだいるということだ。

 起立斉唱しない教師はクビということが果たしていいのかどうかは、大いに疑問が残る。かといって、国家や国旗を受け入れられないことも確かに困ったことではある。おそらく後、30年も経てば、このジレンマは自然消滅するだろう。

 私としては君が代問題は、戦後の国家再建の過程で置き去りにしてきた国民感情であり、時の流れにまかせた問題に過ぎないと思っている。

 もし放置することが教育上よろしくないのであれば、歌えない世代がいるという事実をそのまま語って聞かせればいい。そりゃあ、思想として断固君が代を拒否するという輩もいるかもしれないが、日の丸君が代を右左で分けるのではなく、なぜ起立しない、歌わない大人がいるのか、歴史上の事実を教えるのが教育だろう。起立しなかった教師が処分されることを単に条例に違反したから悪いでは、真の教育ではないと思う。

 

コメント (1)
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