先日、参院選の期日前投票に行ってきた。思えば、期待も希望も何もない、単なる惰性だった。
子供のころから、選挙に興味を持ち、開票特番は欠かさず見ていた。選挙権を得てからは、選挙はより身近な出来事だった。学校を出た後はマスコミの末席に身を置いたことから、選挙は取材対象であり、いわば仕事だった。仕事が高じて、やがて、40半ばでマスコミから政治の世界に飛び込んだ。取材する側からされる側への勇気を振り絞った転身転職だった。あの頃が、真剣に政治と向き合った絶頂期だったと思う。そして代議士秘書を最後に政治の世界から足を洗ったのが50歳目前だった。足を洗った理由は、政治と無関係なクソみたいな話だけに今さら語る気はない。
それから、選挙の現場と一切かかわりを持たず今日まで過ごしてきた。
そして今になって、この国の選挙がいかに国民の意識とかけ離れた場所で行われているかという現実に虚しさを感じている。
たぶん、今頃、参院選の選挙事務所は追い込みで必至なことだろう。しかし、騒がしいのは選挙事務所とそこに張り付くマスコミだけで、一般市民にはその熱がまったく伝わらない。
自分がかかわっていたあの頃もきっと同じようなものだったのだろう。そう思うと、真剣に悩み感動したりした時代が気恥ずかしく、滑稽極まりない。
今や職場では選挙など全く話題にならないし、参院選とあって選挙カーの騒音公害もない。昔と比べてTVを見なくなったためか、政見放送も見ていない。ネットのCMは、スキップして終わり。そういえば、まだ投票依頼の電話も一本も来ていない。情けないかな選挙の争点すらわからない。
だから思うのだ。せめて有権者の7割が、真剣に政治に期待や希望を持って自らの意志で選挙に行ったら、どうなるのかと。もし、この国にそんな時代が来るとしたら、それは生きるか死ぬかが真剣に問われる状況になったときだろう。それが戦争なのか飢饉なのかそんな時代が来ないことを祈りたい。そんな怖い時代よりこの嘘っぱちな平和のほうがまだ居心地がいいと思うのが正直な気持ちだ。その代償が、いまや搾取としかいいようがない税金なわけだが、無関心な人間たちはぶつぶつ文句をいいながらも、見せかけの平和の代償として搾取に甘んじている。もちろん、自分もその一人ということだ。
あと何年生きられるかわからないが、永田町のクソ政治家どもが戦争を始める前に、クソ政治家を退治する若いヒーローの出現を真剣に願っている。
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