所得の配分に関わる2つの基本的視点
前回書きました所得配分の問題については、歴史的に「労働分配率論争」と「国民負担率論議」があります。
このブログでもそれぞれについて折に触れて書いてきましたが、ここで一応整理しておきたいと思います。
労働分配率につきましては、以前は「労使の力関係で決まる」といった見方もありましたが、現実にはそういう面があるにしても、それは望ましい形とは思われません。
適正労働分配率についてはいくつかの考え方(支払能力論)があり、いつかキチンと触れたいと思いますが、今回は具体論でなく理念について考えてみたいと思います。
企業の場における分配の在り方を大きく2つに分ければ、「貢献度による分配」と「将来志向の分配」になるように思います。
貢献度を重視すれば、装置産業では資本の貢献が大きいから資本への分配が大きく、労働集約産業では労働の貢献が大きいから賃金に多く配分するといった形でしょうか。
しかし現実の社会ではどうなっているか見ますと、昔は、衣類の仕立ては手作業の針仕事だったでしょう。しかし、ミシンを導入し、裁断機を導入し、機械は常に高度化され、どんどん生産性を上げて近代産業になっていきます。
99パーセント手作業でも、生み出した付加価値のうちの80パーセントを賃金に、20パーセントは資本蓄積=利益→設備投資として企業・産業は発展していきます。
そこには、単なる「貢献度による分配」とは違う、この仕事・この企業を将来どうするかという「将来志向の分配」の要素が大きな役割を果たしているのです。
将来志向の分配の典型は「家庭」です。貢献度の最も大きい父親は「定額の小遣い」の分配に甘んじ、大部分は子供の教育という「将来志向の分配」に回されます。
企業であれ、家庭であれ、それぞれに、貢献度と将来志向の最適なバランスを考え、適切に判断して行動しているのではないでしょうか。
そしてこの判断が、古今東西を通じて、社会の安定や将来の発展を決めていくのです。判断を誤れば、社会には不安や不満が生まれ、結果は混乱と停滞となるでしょう。
逆に適切な判断が出来れば、社会は安定と発展を手にすることになります。
国家の場合を考えれば、国民負担率(税+社会保障納付金/国民所得)によって再配分の財源を確保し、国家予算配分において、国の将来を考え、社会の安定と発展のために、より適切な所得(財源)の再配分をどこまで実現するかという問題でしょう。
アメリのような「アメリカンドリーム」を善しとする国は、成果主義・貢献度志向が強いのでしょう。国民負担率は30パ―セント台です。北欧諸国はその対極で、国民負担率は60パーセント前後になります。
しかし、アメリカの「現状」は、些か行き過ぎということでしょうか、富の集中が批判され、今回の大統領選挙戦でサンダース氏が台頭するなど格差問題の論争が従来になく盛んです。
日本では、アベノミクスの目指す「一億層活躍社会」が、現実には格差の拡大、貧困家庭の増加、子育てや高齢者介護の現場などに見られる社会の劣化で、足元から崩れる状態にあります。
1980年代前半に実現した「一億総中流」と言われた社会をいかにして回復するか、今まさに足元を固めなければならないときに来ているのではないでしょうか。
そのために何が必要なのでしょうか。
前回書きました所得配分の問題については、歴史的に「労働分配率論争」と「国民負担率論議」があります。
このブログでもそれぞれについて折に触れて書いてきましたが、ここで一応整理しておきたいと思います。
労働分配率につきましては、以前は「労使の力関係で決まる」といった見方もありましたが、現実にはそういう面があるにしても、それは望ましい形とは思われません。
適正労働分配率についてはいくつかの考え方(支払能力論)があり、いつかキチンと触れたいと思いますが、今回は具体論でなく理念について考えてみたいと思います。
企業の場における分配の在り方を大きく2つに分ければ、「貢献度による分配」と「将来志向の分配」になるように思います。
貢献度を重視すれば、装置産業では資本の貢献が大きいから資本への分配が大きく、労働集約産業では労働の貢献が大きいから賃金に多く配分するといった形でしょうか。
しかし現実の社会ではどうなっているか見ますと、昔は、衣類の仕立ては手作業の針仕事だったでしょう。しかし、ミシンを導入し、裁断機を導入し、機械は常に高度化され、どんどん生産性を上げて近代産業になっていきます。
99パーセント手作業でも、生み出した付加価値のうちの80パーセントを賃金に、20パーセントは資本蓄積=利益→設備投資として企業・産業は発展していきます。
そこには、単なる「貢献度による分配」とは違う、この仕事・この企業を将来どうするかという「将来志向の分配」の要素が大きな役割を果たしているのです。
将来志向の分配の典型は「家庭」です。貢献度の最も大きい父親は「定額の小遣い」の分配に甘んじ、大部分は子供の教育という「将来志向の分配」に回されます。
企業であれ、家庭であれ、それぞれに、貢献度と将来志向の最適なバランスを考え、適切に判断して行動しているのではないでしょうか。
そしてこの判断が、古今東西を通じて、社会の安定や将来の発展を決めていくのです。判断を誤れば、社会には不安や不満が生まれ、結果は混乱と停滞となるでしょう。
逆に適切な判断が出来れば、社会は安定と発展を手にすることになります。
国家の場合を考えれば、国民負担率(税+社会保障納付金/国民所得)によって再配分の財源を確保し、国家予算配分において、国の将来を考え、社会の安定と発展のために、より適切な所得(財源)の再配分をどこまで実現するかという問題でしょう。
アメリのような「アメリカンドリーム」を善しとする国は、成果主義・貢献度志向が強いのでしょう。国民負担率は30パ―セント台です。北欧諸国はその対極で、国民負担率は60パーセント前後になります。
しかし、アメリカの「現状」は、些か行き過ぎということでしょうか、富の集中が批判され、今回の大統領選挙戦でサンダース氏が台頭するなど格差問題の論争が従来になく盛んです。
日本では、アベノミクスの目指す「一億層活躍社会」が、現実には格差の拡大、貧困家庭の増加、子育てや高齢者介護の現場などに見られる社会の劣化で、足元から崩れる状態にあります。
1980年代前半に実現した「一億総中流」と言われた社会をいかにして回復するか、今まさに足元を固めなければならないときに来ているのではないでしょうか。
そのために何が必要なのでしょうか。