残念だった仙台G7
伊勢志摩サミットに続く経済政策論議の場であったはずの仙台G7は、残念ながら新しい展開はなにもなかったようです。
当初、国際協調して財政出動し、世界の景気を何とか持ち上げようという基本路線を掲げて議長国としての責任を果たそうとしたのでしょうが、主要各国の状況は、それほど簡単なものではないことも、現実にはわかっていたのではないでしょうか。
世界経済の成長に向けて、「参加各国が金融、財政、構造政策をとる」と合意してみても、それで何か変わると思う人はいないでしょう。
どの国もすでに必死で努力していることで、それが捗々しい効果を上げないからこそ「G7で何とかしたい」と考えるのでしょうから、本当は何か新機軸が必要だったのでしょう。
「協調して財政出動」では、現実に「財政出動は無理」というお家の事情の国が、日本を含めて、ほとんどでしょう。
為替についても過度な変動は望ましくないと一般論では言えても現実には、各国の主張はみんな違います。
財政出動についてはドイツが消極的だったようで、これはEUの盟主として、漸く達成している財政黒字をキープしなければ、ギリシャその他に示しがつかないということもあるでしょう。
日本は消費増税するかしないかを選挙の戦術にするように受け取られるのが現状で、既定方針通り実施すると言わざるを得ませんが、それでは財政出動の同調しない国といわれるでしょう。
また、ドイツにしてみれば、GDPの8パーセントにおよぶ経常黒字をユーロ圏としての立場で必要と考えるでしょう。
アメリカは、利上げを急ぐ姿勢を見せていますが、ドル高になれば、景気減速必至でしょうから、金利を上げてもドル高は避けるという戦略が必要と考えるでしょう。
日本は、先ごろ達成した$1=¥120が望ましいと考えるでしょう。
財政出動も為替レートの安定も、それぞれの国の事情と思惑の中で、揺れ動くのでしょうから、結論はどうしても「当たり障りのないもの」にならざるを得ないのは当然と言えば当然です。
客観情勢が難しすぎたということはあるでしょう。しかし、折角G7をやったのに何も変わらなかったというのでは、些か残念な気がするところです。
何か日本として主要国にアピール出来るような新機軸はなかったのでしょうか。
伊勢志摩サミットに続く経済政策論議の場であったはずの仙台G7は、残念ながら新しい展開はなにもなかったようです。
当初、国際協調して財政出動し、世界の景気を何とか持ち上げようという基本路線を掲げて議長国としての責任を果たそうとしたのでしょうが、主要各国の状況は、それほど簡単なものではないことも、現実にはわかっていたのではないでしょうか。
世界経済の成長に向けて、「参加各国が金融、財政、構造政策をとる」と合意してみても、それで何か変わると思う人はいないでしょう。
どの国もすでに必死で努力していることで、それが捗々しい効果を上げないからこそ「G7で何とかしたい」と考えるのでしょうから、本当は何か新機軸が必要だったのでしょう。
「協調して財政出動」では、現実に「財政出動は無理」というお家の事情の国が、日本を含めて、ほとんどでしょう。
為替についても過度な変動は望ましくないと一般論では言えても現実には、各国の主張はみんな違います。
財政出動についてはドイツが消極的だったようで、これはEUの盟主として、漸く達成している財政黒字をキープしなければ、ギリシャその他に示しがつかないということもあるでしょう。
日本は消費増税するかしないかを選挙の戦術にするように受け取られるのが現状で、既定方針通り実施すると言わざるを得ませんが、それでは財政出動の同調しない国といわれるでしょう。
また、ドイツにしてみれば、GDPの8パーセントにおよぶ経常黒字をユーロ圏としての立場で必要と考えるでしょう。
アメリカは、利上げを急ぐ姿勢を見せていますが、ドル高になれば、景気減速必至でしょうから、金利を上げてもドル高は避けるという戦略が必要と考えるでしょう。
日本は、先ごろ達成した$1=¥120が望ましいと考えるでしょう。
財政出動も為替レートの安定も、それぞれの国の事情と思惑の中で、揺れ動くのでしょうから、結論はどうしても「当たり障りのないもの」にならざるを得ないのは当然と言えば当然です。
客観情勢が難しすぎたということはあるでしょう。しかし、折角G7をやったのに何も変わらなかったというのでは、些か残念な気がするところです。
何か日本として主要国にアピール出来るような新機軸はなかったのでしょうか。