頻発する自然災害と人類
自然災害の異常ともいえる連続に心を痛める日々です。人類を生み育ててくれた地球を大事にしないことの咎めでしょうか。何か恐ろしさが募ります。
犠牲になられた方、被害を受けられた方々には申し上げる言葉もありません。
今、人類は繁栄の絶頂にあるようで、一部に驕り高ぶる人々や国々もあり、自然に対してあまりに不遜になっているような気がします。
自然を征服し、 自然を自分たちの思うが侭に活用(収奪)して、「今」の生活を謳歌しようという自尊と我儘が強すぎるのではないでしょうか。
古来「母なる自然」とか「母なる地球」と言う言葉はありますが、現代人は地球の自然を「母」のように「敬愛」しているでしょうか。
月や火星に住めるという「浮気」も研究としては結構ですが、それが地球を蔑ろにすることにつながったのでは、恐らく人類の未来はないでしょう。
今回は、地球環境における2つの大きな問題が連続したことに恐怖感に近い驚きを感じていますが、地球環境破壊の結果の異常気象と、地球の構造自体に由来する地震の連続です。
今回の北海道に山崩れは、この両者の複合によるもののように感じますが、このところ「これまでに経験しなかったような」という形容句が余りに頻繁に使われることで、自然災害のレベルが一段上がったように感じるのは私だけではないでしょう。
異常気象問題は議論としてはそれなりに尽くされているようにも思われますが、地震については、余りに未知なことが多く時に専門家が、首都圏で直下型地震はなどと「確率の形で地震予知」などやり、マスコミも報じますが、どう信用していいのかわからにというのが実情でしょう。
まだまだ人類にとって自然は解らない事ばかりでしょう。気象予報の正確度は増しましたが、出来るのは予報だけです。
地震の場合は、予報も役に立つようなものではありません。
残念ながら現状では、人類は、自然に如何なる現象があっても、受け入れるしかないのです。異常気象問題ではCO2濃度などの研究は進んでいます。因果関係についての「異見」もありますが、研究は大事でしょう。地震についても研究が大事な事は当然です。
しかし、今の人類が驕り高ぶり、予測、予知も可能とか対策も可能のように考えるのは行き過ぎでしょう。
縄文以来、日本列島に住む人々は、自然災害と戦いながら、その影響をいかに緩やかなものにするようにと対応策を考え、時に凶暴な自然と巧みに共存することに知恵を絞って来ました。
この状況は、基本的には今も変わらないと思います。残念ながら、人類は地球環境が人類にとって些か凶暴の度を強めるようなことをしてきてしまったようです。
今現在できることは、些か凶暴さを増した自然環境に対し、その影響を和らげるような防衛策を早期に講じ(治山治水のレベルアップ)、今日の自然と共存できる体制の再構築をすることでしょう。
そしてより長期的には、多様な研究を進め、さらに基本的な所で自然との共存の在り方を高度化するといった努力を続けることではないでしょうか。
そして、地球の自然は、あくまでも人類(すべての生物)の「母」であることを常に忘れるべきではないでしょう。
自然災害の異常ともいえる連続に心を痛める日々です。人類を生み育ててくれた地球を大事にしないことの咎めでしょうか。何か恐ろしさが募ります。
犠牲になられた方、被害を受けられた方々には申し上げる言葉もありません。
今、人類は繁栄の絶頂にあるようで、一部に驕り高ぶる人々や国々もあり、自然に対してあまりに不遜になっているような気がします。
自然を征服し、 自然を自分たちの思うが侭に活用(収奪)して、「今」の生活を謳歌しようという自尊と我儘が強すぎるのではないでしょうか。
古来「母なる自然」とか「母なる地球」と言う言葉はありますが、現代人は地球の自然を「母」のように「敬愛」しているでしょうか。
月や火星に住めるという「浮気」も研究としては結構ですが、それが地球を蔑ろにすることにつながったのでは、恐らく人類の未来はないでしょう。
今回は、地球環境における2つの大きな問題が連続したことに恐怖感に近い驚きを感じていますが、地球環境破壊の結果の異常気象と、地球の構造自体に由来する地震の連続です。
今回の北海道に山崩れは、この両者の複合によるもののように感じますが、このところ「これまでに経験しなかったような」という形容句が余りに頻繁に使われることで、自然災害のレベルが一段上がったように感じるのは私だけではないでしょう。
異常気象問題は議論としてはそれなりに尽くされているようにも思われますが、地震については、余りに未知なことが多く時に専門家が、首都圏で直下型地震はなどと「確率の形で地震予知」などやり、マスコミも報じますが、どう信用していいのかわからにというのが実情でしょう。
まだまだ人類にとって自然は解らない事ばかりでしょう。気象予報の正確度は増しましたが、出来るのは予報だけです。
地震の場合は、予報も役に立つようなものではありません。
残念ながら現状では、人類は、自然に如何なる現象があっても、受け入れるしかないのです。異常気象問題ではCO2濃度などの研究は進んでいます。因果関係についての「異見」もありますが、研究は大事でしょう。地震についても研究が大事な事は当然です。
しかし、今の人類が驕り高ぶり、予測、予知も可能とか対策も可能のように考えるのは行き過ぎでしょう。
縄文以来、日本列島に住む人々は、自然災害と戦いながら、その影響をいかに緩やかなものにするようにと対応策を考え、時に凶暴な自然と巧みに共存することに知恵を絞って来ました。
この状況は、基本的には今も変わらないと思います。残念ながら、人類は地球環境が人類にとって些か凶暴の度を強めるようなことをしてきてしまったようです。
今現在できることは、些か凶暴さを増した自然環境に対し、その影響を和らげるような防衛策を早期に講じ(治山治水のレベルアップ)、今日の自然と共存できる体制の再構築をすることでしょう。
そしてより長期的には、多様な研究を進め、さらに基本的な所で自然との共存の在り方を高度化するといった努力を続けることではないでしょうか。
そして、地球の自然は、あくまでも人類(すべての生物)の「母」であることを常に忘れるべきではないでしょう。