tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

茄子にまつわる諺など

2018年09月08日 22時01分39秒 | 社会
茄子にまつわる諺など
 今日の東京はいい天気でした。一時パラパラと雨が降ったりしましたが、また、多少風が強かったりしましたが、秋の風に吹かれて庭の草かじりをしました。

 狭い庭ですが、先日から雨が多かったせいで、雑草、私の記憶では「地しばり」がランナーを延ばし大変です。
 図鑑などでは花が咲くことになっていますが、花は見たことがありません。

 去年まで花壇だったところに植えた茄子の根元にもどんどん伸びていきます。未だ茄子は元気で花が咲いていますので、雑草は取って、秋茄子を食べようと思っています。

 日差しは結構強く日に焼けますが、それも気持いい感じなのはやはり秋だからでしょう。
 ナスを2つほど収穫して、糠漬けにしようか、焼きナスにしようかなどと考えながら「この堅さは秋ナスだな」など感じていると「秋茄子は嫁に食わすな」なんて言ったな、などという記憶な蘇ってきます。

 これには、「おいしい秋ナスは嫁には食わせない」という嫁姑の葛藤という解説と、「秋茄子を食べると髪の毛が抜ける」という嫁思いの解説(茄子は毒性の「ハシリドコロ」などと同族)があるようで、巧くバランスが取れているな、などと感じます。

 ついでに思い出してしまうのが「親の意見となすびの花は、千に一つの無駄もない」です。
 確かに茄子は、花が咲くと必ず実がなります。秋ナスは少しひねくれた実も多くなりますが、これは諺の通りです。

 一方「親の意見」の方はどうでしょうか。我々の世代は、そう言われて、100%とは言わないまでも「確かにそうだな」などと割合素直に聞いたものですが、最近マスコミでは毒親とか鬼親とかいう言葉も結構出て来て、どうもこの諺は簡単に「そだねー」とは言えないという意見もありそうです。

 最近は情報が多くなって色々な親がいることが知られてしまったからか、それとも、世の中が昔と違ってきたのか、その辺りは解りませんが、折角諺があるのに、何か残念な気持になります。