コロナ禍に思う:日本はダメになったか?
新型コロナ対策は上手くいっているのでしょうか、それとも、なかなか思うようにいかずに苦慮しているのでしょうか。
見方はいろいろあるでしょう。このブログでも政府の政策が、どちらかというと後追い中心で、本来打つべき鍵になるところが遅々としていると書いて来ています。
しかし、政府に言わせれば、欧米諸国に比べて死者の数が圧倒的に少ないではないか、これこそ、政策が成功している証拠ではないかと 言いたいような節が垣間見えるところです。
死者の数は欧米とは2ケタほど違います。
韓国の2倍は超えているようですが、人口も2倍ですから、現状では、そう遜色ないという見方もできるでしょう。(今後は?)
最も遅れていると指摘されているのはPCR検査の能力がなかなか増えないことです。安倍さんは早期に1日2万件と言いましたがまだ1万件強?。
発表されている感染者等の数字はすべて「検査した人」が対象ですから、検査を受けていない人は、感染の有無にかかわらず、統計から除外されているということになります。
つまり、検査能力が少ないというのは、問題のごく一部しか掴めていないという事です。
検査を受けたくても受けられない人、感染しているか不明で孫の面倒を見てもいいのかどうか困っている人等が皆除外されているデータを使って政策を打とうと思っても、解らない事が多くて、結局は「腰だめ」という事になるのでしょう。
そのせいか、今までも決定も、結果的にみれば、「連休明けまで」、「5月いっぱいまで」、「早ければ5月15日前」とかキリのいい日を選んでいるだけで、根拠はなにも知らされず、その日が来ても、また新しい日にちを決めるというだけになっているようです。
なぜこんなことになるかの説明する人もいて、「研究や設備の金がない」、「人がいない」というのですが、山梨大学の例のように、1日100人検査の体制を作り、「人はいる」、「やればできる」という意見もあります。
アベノマスクはまだ届きませんが、そういうのは民間に任せて、466億円を検査の設備や研究、人員募集に使ったら、更には10万円の制限をつけて12.9兆円のうちいくらかでも医療と研究開発に使えば、 状況はかなり違っていたのではないでしょうか。
(立ち遅れたアメリカでも、今は1日20万人の検査ができるそうです)
それなのに、なぜ日本では死者が少ないのでしょうか。これを「政府の政策が成功だったから」という人はあまりいないようです。(政府や専門家会議に「我々の実績による」などと言ってほしくない人の方が多いのではないでしょうか)
理由は多分「日本人の衛生観念の高さ」、「社会規範を守ろうという気質」、「いろいろな場面で整然とした行動を評価されていく日本人だから」といった、生活者としても(感染者としても)、医療関係従事者としても、日本人の資質のレベルの結果と言えそうな気がします。
(中には、仕事がなくても金と暇があるから、隣の県の営業しているパチンコ屋に通うという人もいますが・・・)
安倍さんが一生懸命言っても、政府関係機関(官僚)が動かないという意見もあるようですが、この問題には、また折があったら触れたいと思います。
しかし、まだ事は流動的です、早期の終息を願いつつも、出来る限り予断を排し、日本人1人ひとりが身を持していくことが要求されているのでしょう。
新型コロナ対策は上手くいっているのでしょうか、それとも、なかなか思うようにいかずに苦慮しているのでしょうか。
見方はいろいろあるでしょう。このブログでも政府の政策が、どちらかというと後追い中心で、本来打つべき鍵になるところが遅々としていると書いて来ています。
しかし、政府に言わせれば、欧米諸国に比べて死者の数が圧倒的に少ないではないか、これこそ、政策が成功している証拠ではないかと 言いたいような節が垣間見えるところです。
死者の数は欧米とは2ケタほど違います。
韓国の2倍は超えているようですが、人口も2倍ですから、現状では、そう遜色ないという見方もできるでしょう。(今後は?)
最も遅れていると指摘されているのはPCR検査の能力がなかなか増えないことです。安倍さんは早期に1日2万件と言いましたがまだ1万件強?。
発表されている感染者等の数字はすべて「検査した人」が対象ですから、検査を受けていない人は、感染の有無にかかわらず、統計から除外されているということになります。
つまり、検査能力が少ないというのは、問題のごく一部しか掴めていないという事です。
検査を受けたくても受けられない人、感染しているか不明で孫の面倒を見てもいいのかどうか困っている人等が皆除外されているデータを使って政策を打とうと思っても、解らない事が多くて、結局は「腰だめ」という事になるのでしょう。
そのせいか、今までも決定も、結果的にみれば、「連休明けまで」、「5月いっぱいまで」、「早ければ5月15日前」とかキリのいい日を選んでいるだけで、根拠はなにも知らされず、その日が来ても、また新しい日にちを決めるというだけになっているようです。
なぜこんなことになるかの説明する人もいて、「研究や設備の金がない」、「人がいない」というのですが、山梨大学の例のように、1日100人検査の体制を作り、「人はいる」、「やればできる」という意見もあります。
アベノマスクはまだ届きませんが、そういうのは民間に任せて、466億円を検査の設備や研究、人員募集に使ったら、更には10万円の制限をつけて12.9兆円のうちいくらかでも医療と研究開発に使えば、 状況はかなり違っていたのではないでしょうか。
(立ち遅れたアメリカでも、今は1日20万人の検査ができるそうです)
それなのに、なぜ日本では死者が少ないのでしょうか。これを「政府の政策が成功だったから」という人はあまりいないようです。(政府や専門家会議に「我々の実績による」などと言ってほしくない人の方が多いのではないでしょうか)
理由は多分「日本人の衛生観念の高さ」、「社会規範を守ろうという気質」、「いろいろな場面で整然とした行動を評価されていく日本人だから」といった、生活者としても(感染者としても)、医療関係従事者としても、日本人の資質のレベルの結果と言えそうな気がします。
(中には、仕事がなくても金と暇があるから、隣の県の営業しているパチンコ屋に通うという人もいますが・・・)
安倍さんが一生懸命言っても、政府関係機関(官僚)が動かないという意見もあるようですが、この問題には、また折があったら触れたいと思います。
しかし、まだ事は流動的です、早期の終息を願いつつも、出来る限り予断を排し、日本人1人ひとりが身を持していくことが要求されているのでしょう。