ご記憶の方もおられるかと思いますが、戦後の日本は「資本主義と言いながら、社会主義国以上に社会主義的だった」という評価がよく言われていました。
この言葉の意味は、社会主義国(共産主義国を含む)は、平等を謳っているが、内実は少数の特権階級が富を握っていて、国民は貧しい、それに対して日本は資本主義と言いながら金持ちや特権階級は居ず、みんな平等に豊かになって来ている」というほどの意味だったようです。
そして日本は、その社会体制を維持しながら高成長し、豊かな国になりました。その結果が、かつて言われ、また自称した一億総中流だったのではないでしょうか。
こうした社会体制を実現した具体的な要素を順次挙げてみましょう。
戦後、日本企業は身分制を廃して「社員」に統一しました。いまでいえば「正社員」です。例えば、銀行では清掃担当の用務員や現金輸送車の運転手もすべて「行員」でした。
日本の経営者団体の総本山の日経連(現日本経団連)の初代会長の桜田武氏が「戦後の日本経営者は身分制度を廃して従業員は全員『社員』とした」と誇りを持って語っていたのを聞いた方も多いでしょう。
賃金は年功賃金が主体でしたが、当時はこれは「習熟昇給」の意味と同時に、独身から結婚、子供の養育という生活コストに見合う事が大きな条件で、その中で家族手当制度は大きな役割を果たしていました。
従って、生計費基準ベースが主体ですから賃金格差は大きくならずに、工員もと職員も同じ賃金表だったり、管理職手当も残業代に追いつかず、取締役や社長になっても報酬の水準は初任給の15倍から20倍といった所でした(これは今もあまり変わりません)。
2倍仕事をしても給料は2割増し、3倍しても3割増しよいった感じの格差で、能力は、役職や資格などの名誉で代えられていたようです。
これは民間企業が自主的に作り上げたシステムですが、国の、税制による再分配政策はどうなっていたかと言いますと、それは所得税の累進税率で示すことが出来るでしょう。
個人所得の最高税率は1986年で見ますと国税70%、地方税18%で計88%です。
当時、国民からは日本の稼ぎ頭と思われていた松下電器の松下幸之助氏は「松下電器も私も、一生懸命稼いでいるが、それだけ税金を払ってお国に貢献している」と言い、国民も納得して、松下さんは偉いと尊敬していました。
因みに、現在の個人所得の最高税率は55%、法人税率は当時42%、現在は23.2%です。
こう見て来ますと、ジニ係数が北欧なみと言われたかつての時期と、今との違いが、どの辺りにあるのかが見えて来るような気がします。
先ず、全員正社員は、円高不況の中で雲散霧消、非正規社員40%以上というのが現在です。円高が解消した2014年以降も、非正規社員の比率はなかなか減らないのが実態です。経営者の感覚は全く変わったようです。
企業内の賃金格差の状態は、正社員の初任給と、経営トップの平均報酬の格差で見れば平均的にはあまり変わっていないようです。
然し、その下に非正規社員があり、当時の全員が「社員」による雇用の安定は大きく失われてしまっています。
個人所得税率の累進度は、アメリカのレーガン改革の真似をした頃から、様変わりで、最近下げ過ぎて税収不足からでしょうか、5%引き上げて55%になっています。
法人税は大きく下がり以前は「利益の半分は税金で消える」といわれたイメージはありません。アベノミクスの中でも年々下げて、端数までついて(42%→23.2%:上記)いるところです。
以上大きく見て来ましたが、戦後の貧しい時期から出発して、国民の生活の安定の確保をベースにして来た日本の人事賃金制度は、「豊かな社会では能力主義」という事でしょうか、能力、成果、貢献度といった言葉につられた結果が、「生活の安定の確保」が出来ないという格差社会(子供の6人に1人は貧困家庭と評される)を現実にしてしまっているようです。
何か日本としての経済社会の根本政策における勘違い(間違い)、それに影響された国民意識の変化があるように感じられるのが最近の日本社会の姿ではないでしょうか。
この言葉の意味は、社会主義国(共産主義国を含む)は、平等を謳っているが、内実は少数の特権階級が富を握っていて、国民は貧しい、それに対して日本は資本主義と言いながら金持ちや特権階級は居ず、みんな平等に豊かになって来ている」というほどの意味だったようです。
そして日本は、その社会体制を維持しながら高成長し、豊かな国になりました。その結果が、かつて言われ、また自称した一億総中流だったのではないでしょうか。
こうした社会体制を実現した具体的な要素を順次挙げてみましょう。
戦後、日本企業は身分制を廃して「社員」に統一しました。いまでいえば「正社員」です。例えば、銀行では清掃担当の用務員や現金輸送車の運転手もすべて「行員」でした。
日本の経営者団体の総本山の日経連(現日本経団連)の初代会長の桜田武氏が「戦後の日本経営者は身分制度を廃して従業員は全員『社員』とした」と誇りを持って語っていたのを聞いた方も多いでしょう。
賃金は年功賃金が主体でしたが、当時はこれは「習熟昇給」の意味と同時に、独身から結婚、子供の養育という生活コストに見合う事が大きな条件で、その中で家族手当制度は大きな役割を果たしていました。
従って、生計費基準ベースが主体ですから賃金格差は大きくならずに、工員もと職員も同じ賃金表だったり、管理職手当も残業代に追いつかず、取締役や社長になっても報酬の水準は初任給の15倍から20倍といった所でした(これは今もあまり変わりません)。
2倍仕事をしても給料は2割増し、3倍しても3割増しよいった感じの格差で、能力は、役職や資格などの名誉で代えられていたようです。
これは民間企業が自主的に作り上げたシステムですが、国の、税制による再分配政策はどうなっていたかと言いますと、それは所得税の累進税率で示すことが出来るでしょう。
個人所得の最高税率は1986年で見ますと国税70%、地方税18%で計88%です。
当時、国民からは日本の稼ぎ頭と思われていた松下電器の松下幸之助氏は「松下電器も私も、一生懸命稼いでいるが、それだけ税金を払ってお国に貢献している」と言い、国民も納得して、松下さんは偉いと尊敬していました。
因みに、現在の個人所得の最高税率は55%、法人税率は当時42%、現在は23.2%です。
こう見て来ますと、ジニ係数が北欧なみと言われたかつての時期と、今との違いが、どの辺りにあるのかが見えて来るような気がします。
先ず、全員正社員は、円高不況の中で雲散霧消、非正規社員40%以上というのが現在です。円高が解消した2014年以降も、非正規社員の比率はなかなか減らないのが実態です。経営者の感覚は全く変わったようです。
企業内の賃金格差の状態は、正社員の初任給と、経営トップの平均報酬の格差で見れば平均的にはあまり変わっていないようです。
然し、その下に非正規社員があり、当時の全員が「社員」による雇用の安定は大きく失われてしまっています。
個人所得税率の累進度は、アメリカのレーガン改革の真似をした頃から、様変わりで、最近下げ過ぎて税収不足からでしょうか、5%引き上げて55%になっています。
法人税は大きく下がり以前は「利益の半分は税金で消える」といわれたイメージはありません。アベノミクスの中でも年々下げて、端数までついて(42%→23.2%:上記)いるところです。
以上大きく見て来ましたが、戦後の貧しい時期から出発して、国民の生活の安定の確保をベースにして来た日本の人事賃金制度は、「豊かな社会では能力主義」という事でしょうか、能力、成果、貢献度といった言葉につられた結果が、「生活の安定の確保」が出来ないという格差社会(子供の6人に1人は貧困家庭と評される)を現実にしてしまっているようです。
何か日本としての経済社会の根本政策における勘違い(間違い)、それに影響された国民意識の変化があるように感じられるのが最近の日本社会の姿ではないでしょうか。