tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

金融資本主義と格差社会化(前回)の補足

2022年02月05日 12時33分30秒 | 文化社会
今、アメリカを典型的な例として、世界に広まっているマネー資本主義による格差の拡大に対する経済政策は、世界どこの国でもあまり進んでいないようです。

G20でしたか、金融所得への課税問題の議論はあったようですが、現実には法人税の最低税率15%の表明程度で、未だ本質に切り込むことはないようです。

岸田総理も、一時、金融所得課税問題に言及されましたが、その後、その動きはないようです。

この問題は多様な面を持っています。まず、金融所得と言っても、利子配当などのGDPの構成要素(インカムゲイン)と株式売買益のようなキャピタルゲインは、全く性格が違うという事をどう考えるかです。現在は共に20%分離課税ですが、これは経済理論から言えば安易に過ぎる対応策でしょう。

この20%の分離課税は、かつては10%だったものが引き上げられたのですが、さらに引き上げることいなれば、政府が宛にする株式市場の活性化に大きな障害になるでしょう。

政府は、公的年金資金をGPIFを通じて内外の証券市場で運用しています。この問題だけでも、課税政策の検討は簡単にいはいかないでしょう。

アメリカ政府も日本政府も、NY市場、東京市場の活況、ダウ平均、日経平均の水準には多大の関心を持っていることは否めません。

金融資本主義盛行については、理論的には問題にしつつも、現実には金融市場の活性化を望むという立場は変えられないのではないでしょうか。

更に、金融資本主義には奇妙な面があります。
それは、今、格差社会化の進行で、貧困家庭が増えているという深刻な事態が、金融資本主義の結果かという点については、余り納得的な説明がないのです。

恐らく、金融市場でマネーゲームに励む巨大な資本は、増加した資本の購買力を利用するというのではなく、更なる資本の増加の数字、その桁数をさらに大きくすることを競っているという面(目的意識?)が多いのではないでしょうか。

その巨大なマネー(資本)が、金融市場の中だけで回っているうちは、実体経済への影響は少なく、需要超過によるインフレなどは生じずに済んでいるという事になるのでしょう。

つい先ごろ迄の「インフレの無い時代になった」とか「財政赤字はインフレにはつながらない」といったMMT理論などは、その辺りから生まれてきているように思われます。

確かに、マネーゲームのマネーは、証券・債券・デリバティブといった上空のマーケットで、実体経済のおカネは地上の実物マーケットでという住み分けが出来ていれば、そうなのでしょうが、上空のマネーが、原油やその他の資源のような実態経済に関係するものの価格変動を狙って投資活動をする(地上に降りてくる)ようなことになりますと、これは、実体経済に混乱をもたらします。

現在起きている原油価格の高騰にはその影が見えます。原油供給量は微増で推移という事ですが、価格は大きく上昇しています。1ℓ=170円で地上の経済は大変です。

一方、マネーゲームは価格変動がないと成立しません。
昔から「株屋殺すにゃ 刃物は要らぬ 寄り引け同値でザラバなし」などといわれますが、マネーゲームの巨大資本は、売買で値の動きそうな対象があれば、その価格を指標にゲームをする可能性はあるわけです。
そしてマネーゲームでは価格が上がる時も、下がる時もキャピタルゲインを得るチャンスなのです。

金融資本主義の世の中では、資本を生産活動に投資し、そこから付加価値を生み社会を豊かにしつつ資本を蓄積する実体経済を形成する資本と、生産活動への投資とは関係なく、何らかの経済指標を基準に投資を行い、資本が直接資本を生むマネーゲームの資本が併存し、住み分けをしながら時に領空侵犯もあり得るといった状態を作り出します。

最大の問題は実体経済活動(生産活動)を通じて社会の富の増加に貢献して得られるインカムゲインと、生産活動はなく、資本が直接資本を生むキャピタルゲインが、結果的に同じ資本として、同じ価値を持つことです。それでも「資本主義」は健全に成立するのだろうかという疑問は残るのではないでしょうか。
 
マネーゲームは簡単に格差社会化を大きく進めます。それが今後、社会にいかなる影響を与えるかはまだ十分解っていません。
この問題は、資本主義のこれからの大きな課題になるのではないでしょうか。