「世の中は 食うてばばして 寝て起きて 子が親になる 子が親になる」という戯れ歌があります。類歌もありますが、これが一番語調も滑らかで、スッキリしているので、いいなと思っています。
戯れ歌と書きましたが、一休禅師が言われたという言い伝えもあり、当たり前のことを並べたままですが、人生の奥深い意味を表しているといった解説もされています。
この所、世界は騒然です。戦争、内戦、紛争などなどで多くの人命が失われています。人が人を殺しているのです。まさに地獄の沙汰です。
そうであればあるほど、この三十一文字は重い意味を持っているように思うのです。
先日、還暦の長女からLINEで「孫が満1歳なって、家の中を走り回っています」というDOGAが送られてきました。
我々夫婦にとっては2人目の「ひ孫」で、結婚が早かった孫娘のところのひ孫はもう小学1年生です。
こんな事をのんびりと考えていると、世の現実は、冒頭の「みそひともじ」そのものだとつくづく感じ、しばし感慨に浸る事になりります。
孫が生まれた時はそこまで考えが及ばなかったようですが、ひ孫という事になりますと、我が家に遊びに来て「おじいちゃんが遊んでくれない」と泣き出したあの孫娘が、もうレッキとした母親になっているとか、写真を撮るというといつも白目をしたり大口を開けたりしていた孫息子が1人前の父親になって走り回る子供を抱き抱えていると思うと、本当に「子が親になる 子が親になる」という時の流れ、世代の移り変わりを実感として受け取ることになるのです。
人間も生物の種の1つです。種の保存は、人間が生物である限り与えられている願望でしょう。それがその願望通りに続いているという事の意味を知り、その実感を持っとき、矢張り人間は人生の幸せをごく自然に意識するのでしょう。
これが自然なのです。人間の活動のすべては、こうした種の保存の連続性に支えられているのです。
残念なことですが、人間はそれを知りながら、生命の連続性を断ち切る戦争という自然の摂理に反する活動を続けて来ました。そして今でも続けているのです。それは、人間は自然によって生かされているという人間の本質を冒涜する行為でしかあり得ません。
冒頭の戯れ歌が、誰にも共通に喜びと人の世への感慨を齎すような世の中が早く来てほしいとつくづく考える今日の土曜日です。