四季折々

~感じるままに~

アカデミック講座「広島城の石垣」

2024-02-04 07:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
昨日午後、みだしの講座を受講しました。
~他城郭との比較から広島城の石垣の特徴を探る~
というサブタイトルのシンポジウムでした。
     
日時 2月3日13:00~16:00  場所広島県立美術館 講堂
主催 公益財団法人広島市文化財団 広島城


204席が満杯となり、パイプ椅子が10数個並べられるというほどの盛況でした。

次の内容で進められました。
・概要報告 「広島城の石垣」   篠原達也氏(広島城主任学芸員)
・基調講演1「織豊期の城郭石垣」 伊藤雅乃氏((株)文化財保存計画協会)
・基調講演2「中国地方の城郭石垣」乗岡 稔氏(元岡山市教育委員会文化財課長)
・討論・質疑応答

概況報告では、
広島城は、毛利氏の時代、福島氏の時代、浅野氏の時代と城主と時代が変わり、
それぞれの時代の石垣の変遷が見られる。
しかし、それぞれの同時代の他城郭の石垣との相違が見られ、更に研究等を要する。
との説明がありました。

興味深かったので、その各期の概要を記録しておくこととしました。
1毛利期
広島城は、安土桃山時代の天正17年(1589)に毛利輝元が普請を開始し、
天正19年4月頃に入城した。翌天正20年には秀吉が広島城を訪問している。
石垣は、同時期の他城郭で見られる特徴がごくわずかしか見られない。

2福島期
関ヶ原合戦後、福島正則が城主となり、慶長5年(1600)に入封し、
石垣の無断修復をきっかけに改易される元和5年(1619)まで、広島城を居城とした。
発掘調査では大規模改修が確認されている。
また、改易に伴い、石垣が破却されたと認められるところが各所に見られる。

3浅野期
元和5年(1619)8月に浅野長晟が入封、以後広島城は浅野氏12代が居城とした。
浅野期の藩記録には石垣の修復に関する記述が散見されるが、大規模な改変はなかったと考えられる。
ただ、初期に改修したことが明らかな二の丸太鼓櫓の石垣などに、高度に整った積み方などの特徴が見られる。

基調講演1の「織豊期の城郭石垣」は、
配付資料に基づいて、織田信長、豊臣秀吉の活躍していた時代の城郭石垣の特徴について説明がなされた。

基調講演2の「中国地方の城郭石垣」は、
主として広島城と岡山城の相違点と、地方事情などについて、資料を基に説明がなされた。

討論質疑については、
概況報告と基調講演の追加説明がなされるとともに、
他城郭の石垣との違いの理由などについて、3氏による突っ込んだ討論がなされた。

全体を通じて、プロジェクターを活用して石垣の写真やCGを示しながら説明がなされ、分かりやすかった。
ただ、専門用語など理解しにくい面もあった。
ともあれ、いい勉強になりました。

早速、帰路、少し遠回りして歩き、広島城を眺めながら帰りました。
思い出として、ここにその写真を列挙しておくこととしました。

裏御門跡です。

堀の外沿いを左回りに北側から西側に進み、ところどころで写してみました。



東北角付近から見た石垣と天守閣



北側から見た天守閣と石垣



西側から見た天守閣と石垣
(小雨が降っていて薄暗く写ってしまいました)



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