近しい身内の方が亡くなり、昨夜が通夜、今日が告別式でした。子や孫など縁者が集まり、立派なお葬式でした。会場は、某市の中心街にあるセレモニーホールでした。最近建てられた真新しい会場でした。
親族控室は大型冷蔵庫、キッチンも供えられていました。
通夜の夜、親族が仮眠する部屋はビジネスホテル並みのベットが備え付けれれていました。
祭壇もロビーも立派でした。
納棺の時には映画「おくりびと」さながらに男女のスタッフが仏様をきれいに飾ってくれました。髭剃り、薄化粧、足袋に脚絆と立派に旅たちの装束をしてくれました。
通夜、告別式、斎条でもスムースに運んでくれました。
でも、私には事があまりにもマニュアル通りに進められるので、逆に別れの悲しみがあまり感じられませんでした。
私には、幟を立て、棺を担いで野辺送りをする方が悲しみがこみ上げてくるような気がしました。時代の流れの中で、そんなことは当然無理です。
告別式を済ませ、自宅に帰ると庭にはフクジュソウが芽を出していました。
亡くなった方がいる一方で新しい息吹も生まれる、これが自然の摂理なんでしょう。
亡くなった方のご冥福を祈りつつ、しばし、フクジュソウを眺めていました。