飛び石で、何か連休らしくない今年のゴールデンウィークですね。まもなく取り壊しが始まる国立競技場ですが、東京オリンピックに思い入れのある世代としては、最後に見ておきたいとスタジアムツアーに参加してきました。
じつは、体調はイマイチでしたが、少し無理をして出かけました。今日に限って総武線の人身事故があって、地下鉄経由で何とか時間までに到着出来ました。スタジアム下の練習場にて参加費用1.000円を支払います。個人のほかに、新聞社主催のツアーも多く、かなりの人が来ていました。HPにより海外からの参加者も多いです。
写真はコンデジで記録程度に撮影して来ました。正面入り口上方に設置された東京オリンピックの金メダリストの名前が彫り込まれている優勝者名盤。新しい競技場にも引き継がれるのでしょうかね。
下から二番目は、マラソンの優勝者、エチオピアのアベベピキラ選手。
スタジアムの中に入りました。緑の芝生が素晴らしいですね。電光掲示板は当時とは印象が違います。
いろいろ撮ったのですが割愛します。スタジアムの大屋根。
100mのスタート地点付近。当時のイメージよりも小さいスタジアムに感じます。アンツーカーかと思いきや、樹脂のような舗装です。低い位置から撮ってみました。アメリカのボブ・ヘイズが見た景色でしょうか。
第4コーナー内側にある織田ポール。日本初の金メダリスト、三段飛びの織田幹雄氏の記録15mm21cmと同じ長さに出来ている。当時は五輪旗を掲揚しました。このポール、スマップのコンサートで邪魔となり、切断されて今は組立式となっている(画像)罰当たり者が・・
その横にある地下への入り口。中にはトイレが有って、選手が利用出来るようになっていたが、実際はあまり使用されなかったらしい。ソビエトのタマラプレスぐらいか?
半地下構造からグラウンドを望む。映画「東京オリンピック」を見て、「あぁなっているんだぁ」と思った記憶があります。
ロイヤルボックスを望む。この部分には特に構造物はありませんでした。左右に「のみのすくね」と「勝利の女神ニケ」の壁画があります。
ロイヤルボックスの裏側には、皇族方が待機される部屋があったんですね。
裏側のゲートを出て聖火台を望む。私、高所恐怖症と体調もあって、これから先は断念と思いましたが、坂井義則君が駆け上がった階段なので頑張って登ります。
でも結構急ですよ。下を見ない方が良いです。女性の方がお一人コケたし・・
登って来ましたよ。うぁ~高い。川口の鋳物職人が作った聖火台です。フタがしてありますね。
最上段でも、結構良く見えるものですね。遠くにマンハッタンが見える・・
私、風車のプロペラとか、このような照明塔を見るのが怖いです。
スタジアムに併設されている「秩父宮記念スポーツ博物館」も訪ねてみました。
あぁ、見覚えのある赤のブレザーですね。「真っ赤なブレザー、真っ白のズボン。日本選手団の入場であります」赤なので退色もあると思いますが、ちょっと印象が違いました。
東京オリンピックの金銀銅のメダル。あぁ、このストライプのリボン、見覚えがあります。
有名な東京オリンピックの組みポスター。これは今見ても素晴らしいセンスの作品だと思います。
これも見覚えがあります。3位のところに円谷選手が乗ったんだ。ちゃんと保管されているのですね。尚、博物館内の撮影はフラッシュと接写をしない条件で撮影許可の確認をして撮影しました。
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はい、もうすぐ取り壊しが始まりますので、最後に見ておきたかったのです。ツアーは今月あと1回ぐらい開催されると思います。
つくづく感じたことは、競技場は健康で体力のある方を対象に造られているようだということでした。エスカレーターはありませんので、移動はすべて階段になりますが、老人やハンディキャップを持った方には非常につらいことです。鉄道のホームでも、エスカレーターが設置されたのはそれほど古くはありませんから、60年代では、この設計で良かったのでしょう。
その意味でも、当初は、次のオリンピックもこの競技場で良いのでは? との思いを持っておりましたが、小さくて老朽化も進んでいることもあって、新しいコンセプトと耐震基準のスタジアムは必要だな、と感じました。完成は5年後だそうですが、それまで元気でいられることを願いました。
聖火台は川口の誇りです。感謝!感謝!
そうでした。川口は地元でいらしたですね。今でも、お身内の方が食用のごま油で定期的に磨いているようです。日本の職人の心意気です。しかし、現在では、映画「キューポラのある街」のような鋳物工場も減っているようですね。ホンダのCB750の初期型の砂型クランクケースは、川口産と聞いた記憶があります。