6日(日)。昨日、初台の新国立劇場でアルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」を観ました 新国立劇場の建物に入ると、正面2階にカフェがオープンしていました。ガラス張りなのでオープン・カフェのようです
劇場のホワイエのコーヒーの値段を見ると400円で据え置かれていました。天下のオペラ・パレスですから、上野の〇〇軒のように便乗値上げなんて恥ずかしくて出来ませんよね
閑話休題
キャストはヴォツェックにゲオルク・二グル、鼓手長にローマン・サドニック、アンドレスに望月哲也、大尉にヴォルフガング・シュミット、医者に妻屋秀和、マリーにエレナ・ツィトコーワほか。演奏はギュンター・ノイホルト指揮東京フィル。演出はアンドレアス・クリーゲンブルク。2009年11月公演の再演です あれから4年半も経ってしまったのか、と感慨深いものがあります
ストーリーは、
「貧しい兵士ヴォツェックは、内縁の妻マリーと子どもを養うために、医者の人体実験のモルモットになり糊口をしのいでいる そのため幻覚を見るようになっている。一方、マリーはヴォツェックとの生活に疲れ、鼓手長の誘惑に負けて関係を持ってしまう
ヴォツェックは酒場で妻と鼓手長が躍るのを目撃するが、酔った鼓手長に殴られる。ヴォツェックは罪の意識に苛まれ神に許しを乞うマリーを連れ出すが、赤い月を見て錯乱しマリーを刺殺してしまう
ヴォツェックも池で溺死し、何も知らない子どもだけが後に残される
」
というもの。どうです。暗いでしょう このオペラは、19世紀のドイツの小国ヘッセン大公国出身の作家ビューヒナー(1813-37)の戯曲を土台に、ウィーンの作曲家アルバン・ベルク(1885-1935)が1922年に完成させた3幕もののオペラです
舞台は、室内のシーンと床に水を張った屋外のシーンが交互に現われます。主人公ヴォツェック、妻マリー、子ども、鼓手長以外の登場人物は、表情のない無機質な顔をしています
この「ヴォツェック」を観て思うのは、「果たして、これはオペラだろうか?」ということです。アリアがある訳ではなく、そうかといって、まるっきりセリフばかりかと言えば音楽的であるし・・・・この問題は1,000円で買ったプログラムの中に回答がありました
東京藝大出身の石川亮子さんが「『ヴォツェック』における歌唱表現~シュプレヒシュティンメとその用法について」というテーマの興味深い論考を寄せています。超訳すると
「同じ1920年代の、例えばプッチーニの『トゥーランドット』と比較しても、決して耳蝕りのよい音楽とは言い難い それでも『ヴォツェック』が20世紀オペラの古典として、世界的に上演され続けてきたのはなぜか。ベルクはエッセイ『オペラにおける声』の中で、『リズム的朗誦』、さらに『メロディとリズムと強弱が規定された語り』をシュプレヒシュティンメと呼び、その唱法を『ヴォツェック』に取り入れた
同じエッセイの中で、楽劇を『歌う声による伴奏付き大オーケストラのための交響曲』と揶揄したうえで、オペラの本質は『人間の声』にあり、『語られる言葉』もまた、『歌われる言葉』と同等に扱われなければならない、と繰り返し説いた
」
なるほど、ベルクはそういう風に考えてこのオペラを作ったのか、とどうにか理解できました シュフレヒシュティンメの”シュプレヒ”って”シュプレヒコール”の”シュプレヒ”かな、と思いましたが、どうだろうか?
このオペラで、おやっと思ったのは、水膨れのように太った大尉が登場する時の”テーマ”がベートーヴェンの「交響曲第6番”田園”」の冒頭の音楽なのです。これはそれまでのクラシックに対するパロディですね
ヴォツェック役の二グルは、しだいに追い詰められて気が狂っていく主人公を、鼓手長役のサドニックはヴォツェックを痛めつける役を、それぞれ見事に演じ歌っていました。個人的には大尉役のシュミットとマリー役のツィトコーワが体当たり演技とハリのある歌唱で素晴らしかったと思います
それにしても、20世紀の音楽はベルクの師匠シェーンベルクの「無調」から「12音技法」へと「聴衆を置き去りにして」唯我独尊の道を歩みました。”暗い病気”の時代です。人呼んで「暗sick」時代、なんちゃって どうして作曲家というのは、聴衆に理解されない音楽を作ろうとするのでしょうか
どこかで若手の作曲家が「今までにある曲と同じような技法で曲を作ったのでは意味が無い。まったく新しい音楽を作ることに意味があるのだ
」というようなことを書いていましたが、作る側から言わせれば、そうなんだろうな、と思います。が、やっぱり聴く側から言わせてもらえれば、耳に心地よい音楽を求めたいと思います
飽きられる曲は消えるけれど、本物の名曲は生き残ります
シェーンベルクの「聴衆を置き去りにした」音楽からクラシックを救ったのは、先日「東京・春・音楽祭」で取り上げられていたエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトではないかと思います
「救いようのないオペラ」の休憩なしの約1時間半強の上演には、チト辛いものがありました