人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

鈴木優人 ✕ 読売日響でシューベルト「交響曲第4番」、ベリオ「レンダリング」、シャリーノ「夜の自画像」を聴く ~ 読響第603回定期演奏会

2020年11月20日 07時19分05秒 | 日記

20日(金)。わが家に来てから今日で2241日目を迎え、菅義偉首相は19日、18日に確認した新型コロナウイルスの新規感染者が過去最多を記録したことに関し「最大限の警戒状況にある」と語り、食事中の会話でマスクを着用するよう呼びかけた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     マスク着用のまま飲食できたらノーベル物理学賞ものだ よく噛めよ噛んで食べよう

 

         

 

昨日、夕食に「肉野菜炒め」を作りました 昨夜はコンサートがあったので冷蔵庫の余りものを使って簡単にできるものを、ということで作りました

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで読売日響 第603回定期演奏会を聴きました   プログラムは①シャリーノ「夜の自画像」、②シューベルト「交響曲第4番”悲劇的”」、③ベリオ「レンダリング~シューベルトの未完の断片を用いて」です    指揮は読響クリエイティヴ・パートナーの鈴木優人です

この公演は元々、①メシアン「忘れられた捧げもの」、②エトヴェシュ「チェロ合奏協奏曲」、③ショスタコーヴィチ「交響曲第12番」が予定されていましたが、指揮者のアレホ・ペレスとチェロのイサン・エンダースがコロナ禍の影響で来日できなくたったため、指揮者と曲目が総入れ替えになったものです

開演時間の7時に場内を見渡して、あまりの空席の多さに愕然としました 市松模様配置をとっていないのにガラガラです 全体の3分の1も入っていないのではないでしょうか。これについては仕方ない面もあると思います 最大の問題はプログラムの全面的な変更です。演奏曲目が3曲あれば最低1曲は当初のプログラム通りの曲目を残して他の2曲を別の曲に変更するケースが多いと思います 今回のケースを考えると、メインとなるショスタコーヴィチ「交響曲第12番」を残して、他の2曲を別の曲に差し替えたとしたら、これほどの空席はなかったのではないか、と思います もう一つは、選曲の問題です。私から言わせれば、シャリーノって誰よ? ベリオの「レンダリング」なんて聞いたことないし・・・と言った感じです 私の想像では、まず代演指揮者ありき、だったのではないか、と思います 指揮者のアレホ・ペレスとチェロのイサン・エンダースが来日出来ないことが分かった時点で、代演を誰にするかを検討し、クリエイティヴ・パートナーの鈴木優人の名前が挙がった ⇒ 演奏曲目について相談した結果、シューベルトの交響曲を中心に据えて、それに関連するベリオの作品を持ってくる ⇒ 2曲だと物足りないから短いシャリーノを付け加える・・・という流れだったのではないか、と思うのですが 実際はどうだったのでしょうか

ところで、今回の曲目変更に伴って、読響は欠席の場合は払い戻し措置を図ると事前に案内しています そこから想像すると、この日に来場したのは払い戻しをしなかったコアの読響会員だけだったのではないか、ということです

さて 問題は、この日 寂しい入りの聴衆を前に読響がどのような演奏をするか、です

 

     

 

1曲目はシャリーノ「夜の自画像」です   この曲はイタリア出身のサルヴァトーレ・シャリーノ(1947~)が1982年に作曲、翌83年にスイス・ルガーノで初演された作品です

オケの編成は左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置で6型(第1ヴァイオリンが6人)。コンマスは長原幸太です

鈴木優人の指揮で演奏に入りますが、冒頭から「夜」の雰囲気を醸し出した静謐な曲想で、10分弱の曲のうち95%はピアノかピアニッシモです    まるでガラス細工のような繊細な音楽で、聴いていると緊張感から非常に疲れます

2曲目はシューベルト「交響曲 第4番 ハ短調 ”悲劇的”」です この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828)が19歳のとき=1816年に作曲、シューベルトの死の21年後、1849年に公開初演されました   第1楽章「アダージョ・モルト~アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット:アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります   なお「悲劇的」というタイトルは本人が付けたものです

鈴木優人の指揮で演奏に入りますが、第1楽章と第4楽章はシューベルト版「疾走する悲しみ」とでも言うべき曲想です この曲で忘れられない名演があります。2008年5月17日にサントリーホールで演奏したユベール・スダーン指揮東京交響楽団による演奏です あの演奏はモーツアルト的な「疾走する悲しみ」に近いものがありましたが、この日の鈴木 ✕ 読響の演奏はベートーヴェン的な「疾走する悲しみ」に近いものを感じました 演奏ではフルート首席のフリスト・ドブリノヴ、オーボエ首席の金子亜未、クラリネットの藤井洋子の演奏が冴えていました 鈴木優人の指揮は、メリハリが効いて推進力に満ちていました 奇しくもこの日はシューベルトの命日(1828年11月19日)。天国で耳を傾けて、微笑んでいたかもしれません

 

     

 

プログラム後半はベリオ「レンダリング ~ シューベルトの未完の断片を用いて」です 音楽評論家・澤谷夏樹氏の「プログラム・ノート」によると、この曲はルチアーノ・ベリオ(1925-2003)がシューベルトの未完の 交響曲 ニ長調 D936A をもとに補筆した作品で、タイトルの「レンダリング」は「翻案すること」の意   シューベルトが残したのは3つの楽章の草稿で、譜面はオーケストラ譜ではなくピアノ譜とのこと ベリオは、「シューベルトの書き残した部分はそのまま生かす。オーケストレーションは19世紀のスタイルで。空白部分は20世紀後半の時代様式およびベリオ個人のスタイルに基づいて埋める」という方針で補筆・作曲に当たった その結果、シューベルトの時代の音楽様式と20世紀の音楽様式が行ったり来たりする曲想になっているーとのことです 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります

鈴木優人に指揮で第1楽章に入りますが、澤谷氏の解説通り、シューベルトらしい おおらかな音楽が奏でられたかと思うと、途中から混沌とした不協和音が登場し、そうかと思うと、再びシューベルトらしいリズムの曲想が登場するといった具合に演奏が進んでいきます    第3楽章の冒頭でコルンゴルトのような音楽が聴こえてきてビックリしました    全体的に、どこからどこまでがシューベルトで、どこからがベリオなのかが非常に曖昧です    それはあえてそうしているようにも思えます    全曲を聴き終わって、頭に浮かんだのは「換骨奪胎」という言葉でした

この日の公演は、どちらかというと玄人好みのプログラムでしたが、コアな読響会員にとっては聴きごたえがあったのではないか、と思います

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