4日(木)。2日付朝日新聞朝刊に「言葉の力を信じて」という特集記事が載っていました これは朝日新聞(大阪版)が紙齢5万号を迎えた記念に、作家の瀬戸内寂聴さん、歌人の俵万智さん、元阪神タイガース選手の掛布雅之さんに「言葉の持つ力」について語ってもらったものです このうち、俵万智さんの「体温を乗せ 責任を乗せて」が一番共感を覚えたので超訳してご紹介します
「以前住んでいた沖縄・石垣島にも、いま住んでいる宮崎県にも、方言がある 方言はローカル文化の集約だ。そんな温かみのある方言に触れる一方、近年はネットの影響で体温がない言葉があふれているようにも感じる メールやSNSなどを介してこれほどまでに言葉を発し、受け取る時代はない その分、一つひとつの言葉がインフレのように軽くなっているのではないか こんな時代だからこそ言葉に体温を乗せ、自分の責任を乗せるシンプルなことを守りたい あふれる情報の中から自分の気持ちのいい言葉だけを受け取ってしまいがちないま、私たち一人ひとりが受け手として言葉を見分ける力が必要になっている」
俵万智さんの「一つひとつの言葉がインフレのように軽くなっているのではないか」という指摘は、まったくその通りだと思います 昨今の政治家の発言一つ取っても、まったく重みを感じません また 個人レベルの話としても、匿名をいいことに、差別用語を乱発し書きたい放題 書いて他人を傷つけ、独り悦に入っているようなブログも見受けられます 書くからには責任が伴うことを理解できていないケースです ブログの書き手としては「言葉に体温を乗せ、自分の責任を乗せる」ことを意識したいものです また、「自分の気持ちのいい言葉だけを受け取ってしまいがち」という指摘も的を射ています フェイクニュースを連発しようが どこまでもついていくトランプ前大統領の支持者がいい例です まさに「受け手として言葉を見分ける力が必要」だと思います
ということで、わが家に来てから今日で2245日目を迎え、米南部テキサス州のアボット知事は2日の記者会見で、新型コロナウイルス感染を防ぐためのマスク着用義務を10日にも撤廃すると発表したが、同州では新規感染者数が7日移動平均で1日7000人超と全米で最多であり、バイデン大統領が全国民にマスク着用を呼びかける動きに逆行する というニュースを見て感想を述べるモコタロです
さすがはトランプ党と化した共和党選出の知事だ 人命よりも経済活動優先だもん
昨日、夕食に「牛肉と玉ねぎの甘辛炒め」「生野菜とタコのサラダ」を作りました ちょっと玉ねぎが多すぎたかもしれません
昨日、新文芸坐で「フェリーニのアマルコルド」と「魂のジュリエッタ」の2本立てを観ました
「フェリーニのアマルコルド」はフェデリコ・フェリーニ監督による1974年製作イタリア・フランス合作映画(124分)です
1930年代のイタリア。港町リミニで暮らす少年チッタは、学校の友人たちとイタズラに明け暮れる毎日を送っていた。年上の女性グラディスカに憧れるチッタだったが、子ども扱いされ全く相手にされない。町にファシズムの足音が忍び寄る中、父親が政治的理由で逮捕され、母親が病気で死去するなど様々な出来事が起こり、その年はチッタにとって生涯忘れられない1年となる
この作品は、フェリーニの生まれ故郷であるイタリア北部の港町リミニを舞台に撮った半自伝的作品です フェリーニの幼少期のエピソードを盛り込みながら、15歳の少年が家族や遊び仲間や大人たちとの交流を通じて大人の世界に背伸びしようとする姿を、季節の移り変わりともに描いています
冒頭の綿毛が空を舞い冬の終わりを告げるシーンが印象的です まさにこれから春を迎えようとしている喜びに溢れています そして、主人公のチッタにとっては生涯忘れられない1年が過ぎ、再び綿毛が舞い散る季節となって幕が閉じます 「アマルコルド」というのは「私は覚えている」という意味だそうです。全編を通してニーノ・ロータの音楽が素晴らしい
いくつも印象に残るシーンがありますが、一番強く印象に残るのは雪の中で孔雀が羽を広げるシーンです 雪と孔雀はイメージとして結びつかないのですが、このシーンはとても美しく、フェリーニの美意識を感じます ところが、孔雀の到来は不吉な出来事の前兆であるというのです 間もなく、病気で入院していたチッタの母親が死んでしまいます きれいな薔薇には棘があるように、きれいな孔雀は不幸を運んでくるようです
「魂のジュリエッタ」はフェデリコ・フェリーニ監督による1964年製作イタリア・フランス合作映画(144分)です
裕福な夫と恵まれた生活を送る平凡な主婦ジュリエッタは、結婚15周年を迎えた夜に、夫が寝言で別の女の名前を呼んだことをキッカケに、彼の浮気を疑い始める 不安を抱える彼女は、夢と現実を行き来するようになっていく
この作品は、フェリーニの妻ジュリエッタ・マシーナをヒロインとして起用した、初の長編カラー映画です 今でこそフルカラーは映画の常識ですが、当時はモノクロ映像が普通だったことを考えると、登場人物のファッショナブルな衣装をはじめとして鮮やかな色使いがそこかしこに見られ、時代の最先端を行っていたのではないかと想像します
夫の浮気を疑うジュリエッタは、探偵社に夫の行動を調査するように依頼し、その結果、若い女性と浮気をしていることを突き止めます そして電話で相手の女性と直接話をしますが、軽くいなされてしまいます 夫を問い詰めると、そういう関係ではないと、こちらも軽くいなされてしまいます ジュリエッタは辛く悲しいはずなのに、ラストシーンではまるで悩みが解消したかのような明るい表情を見せています この辺がよく理解できません ジュリエッタは夢と現実を行き来している中で、まだ夢の中にいるままラストを迎えたのだろうか、と思いました