自己の資質を冷静に見極めた作者

2017年05月09日 17時52分55秒 | 社会・文化・政治・経済
創作活動の中期に、自己の資質を冷静に見極めた作者は、さらなる大輪を咲かせることになる。
文芸評論家・細谷正充さん
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藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい)
誕生
小菅 留治(こすげ とめじ)
1927年12月26日
日本 山形県東田川郡黄金村
(現・鶴岡市)
死没
1997年1月26日(満69歳没)
主な受賞歴
オール讀物新人賞(1971年)44歳
直木三十五賞(1973年)
吉川英治文学賞(1986年)
芸術選奨(1989年)
菊池寛賞(1989年)
朝日賞(1994年)
紫綬褒章(1995年)

藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12月26日 ~1997年(平成9年)1月26日69歳)は、日本の小説家。
山形県鶴岡市出身。本名、小菅 留治(こすげ とめじ)。血液型はB型。
江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。
とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。
2010年4月29日、出身地の鶴岡市に「鶴岡市立藤沢周平記念館」が開館した。
業界新聞に勤めはじめるも、倒産などが相次ぎ数紙を転々とする。
1949年、山形師範学校を卒業後、山形県西田川郡湯田川村立湯田川中学校(鶴岡市湯田川、現在は鶴岡市立鶴岡第四中学校へ統合)へ赴任し、国語と社会を担当。
1952年2月、東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)の篠田病院に入院し、保生園病院において右肺上葉切除の大手術を受けた。予後は順調で、篠田病院内の句会に参加し、静岡県の俳誌『海坂』(百合山羽公、相生垣瓜人主宰)に投稿をおこなうようになる。北邨という俳号を用いた。
またこの時期に大いに読書に励み、ことに海外小説に親しみ、作家生活の素地を完成させた。
1959年、三浦悦子と結婚。8歳年下の同郷者であった。

1960年に株式会社日本食品経済社に入社、『日本食品加工新聞』の記者となる。
以後作家生活に専念するまで同社に勤務、記者としての仕事は、本人の性にあっており、精力的に取材執筆を行う。
のちに同紙編集長に昇進し、ハム・ソーセージ業界について健筆を振るい、業界の健全化に尽力した。
コラム「甘味辛味」をほとんど一人で執筆。
取材先の一つで日本ハム創業者で当時社長の大社義規とは信頼関係を結んだ。
そのかたわら文学への情熱やみがたく、勤務のかたわらこつこつと小説を書きつづけていた

厚生省日比谷クラブメンバーには、作家志望の記者が何人かいた。
1970年代のころのことで、1980年代になると、30代後半になった記者仲間たちは、創作から身を引いて行く。
それだけの熱意(執念)が続かなかったのであろう。
それほどメジャーではない文学賞などを受けた者も居たのだが・・・
沼田利根

「精神の自由」を貫いた人々

2017年05月09日 08時29分34秒 | 社会・文化・政治・経済
何かに挑戦するなら、楽しくやることだ。
苦しんでやることはない。
肩肘張る必要はない。
心軽やかな気持ちでまず、人に会うことだ。
どんな情報・ツールがあろうと、最後は<人と人の出会い>で決まる。
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暗い時代の人々
森あゆみ著

言論が弾圧され、戦争に突き進んだ時代。
「精神の自由」を貫いた人々の評伝である。
治安維持法に反対して右翼に殺された国会議員・山本宣治、女性運動家・山川菊栄ら。
暗い時代に失われてならないのは文字通り「精神の自由」。
心の柔軟さ。(京)

映画「かあさん」

2017年05月09日 06時39分27秒 | 日記・断片
ぼたんが散り、バラが咲く。
季節の移ろいを目にしながら、早朝散歩である。
西田さんが「ネコが着いてくるので、まいてきた」と言う。
当方は東へ向かい、西田さんは西へ向かう。
最短距離を歩く。
どの道が近いかを試す。
4時30分に目覚めたが、家を出たのは40分過ぎ。
写真を撮りながら、出会う人に挨拶しながら。
通勤の人は速足ですれ違う。
始発バスは6時なので、皆さん徒歩で取手駅へ向かう。
坂のある道が近いが、新道や旧水戸街道の平地を遠回りして行く人もいる。
自転車の人は平地を行く。
通称蛇坂か、学園通りの坂道を自転車で行く人もいるが、途中で降りて自転車を押して行く。
昨日は夜、映画「かあさん」と観た。
田中絹代主演。
戦後、7年の映画であり、家人は東京・新宿の大久保も「こんな風景だったよ」と言う。
向が丘遊園地が出てきた。
心が温かく優しく賢く広い「かあさん」の姿である。
心を荒げる人は誰も出てこない。
娘2人で妹の息子を預かり育ている。
長男は結核で亡くなり、洗濯屋の夫も亡くなる。
夫の元使用人が手伝いに来る。
18歳の娘には彼氏がいる。
人間の温かい人情に結ばれたほのぼのとする映画であった。
貧しく「学校へ出してもらえる」と次女を養女に出す。
かあさんの兄の家は子どもが居ないので、養女を望んでいたのだ。
かあさんの妹は美容師を目指していて、試みに姪の頭を結い着物を着せ花嫁姿にする。
涙あり、笑いもある映画であった。
心理描写は時代背景を映し出す。
人間の心の微妙さや人情の機微を巧みに表現していた。
あの時代、「母物語」が多かったのは、人間を映し出すのに一番<母の愛情表現>が人々に強く訴えかけたからだろう。
家族の絆の中心に「かあさん」が居たのだ。
次女は「かあさん」の似顔絵を持って養女に行く。
その自分が描いた絵を壁に貼って眺めている姿もいじらしい。
「家計を助けるために」と覚悟(決意)して養女に行ったのだ。

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公開1952年6月12日
上映時間98分
おかあさん』は、1952年に公開された日本映画。
製作、配給は新東宝。モノクロ、スタンダード。
原作:全国児童綴方集
脚本:水木洋子
チーフ助監督:石井輝男
監督:成瀬巳喜男
キャスト
福原正子:田中絹代
福原年子(正子の長女):香川京子
福原良作(正子の夫):三島雅夫
栗原則子(正子の妹):中北千枝子
福原久子(年子の妹):榎並啓子
福原進(年子の兄):片山明彦
平井信二郎:岡田英次
木村庄吉:加東大介
良作の弟:鳥羽陽之助
年子のおばさん:三好栄子
福原こよ(良作の義妹):一の宮あつ子
平井信造(信二郎の父):中村是好
平井みの(信二郎の母):本間文子
おせい(小物屋):沢村貞子
廃品回収人:永井柳太郎
栗原哲夫(則子の息子):伊東隆



5月8日(月)のつぶやき

2017年05月09日 02時09分51秒 | 医科・歯科・介護