傍若無人

2017年05月19日 18時25分20秒 | 日記・断片
人間はかくも簡単に亡くなるのか?
台宿の雇用促進住宅の近くに住む山崎さんのことである。
中学の同窓生たちと行った温泉地のホテルの風呂で急死したのだ。
悪友の小菅君と度々「おい、山崎酒飲ませろ!」と傍若無人に自宅に押し掛けたものだ。
奥さんは嫌な顔せず、酒、ビールを運んで来た。
小菅君は顔が灰色になり、50代で亡くなった。
小菅君とは喧嘩もした。
互いに深酒の自制がきかず、タクシーの中で口論となる。
「おい、降りろ。殴ってやる」と小菅君は突然荒れたが、当方は逃げた。
深夜2時ころ、約2㌔歩いて帰る。
彼はトラックの運転手で、ある時の早朝。
紙袋が道路に落ちていたのでトラックを止めて確認したら、何と紙袋に300万円が入っていた。
「幸運!」とつぶやき、届けない。
「本当なのか?!」と居酒屋で草野球仲間が聴くが、「届けるもんか。俺が財布を落とした時、届いてなかったんだ。
当然、いただきよ!」とニヤニヤ笑っていたのだ。

カメラのカード異常の表示

2017年05月19日 12時34分29秒 | 日記・断片
カメラのカードをパソコンに入れて外出。
古いカードが定期券のケースに入っていた...

浅草の景色、模様をカメラにおさめようとした。
まさかのカード異常の表示が出るとは、カードはパソコンに入れたままで忘れた。
そこで定期券入れにあたカードを使用。それが異常だったのだ。
その異常が何とか回復した。



















体重測定

2017年05月19日 10時53分11秒 | 医科・歯科・介護
体重は、3キロか4キロ太ったと思っいたら、反対に2キロ減っていた。そのため以前のズボンはもうはけないと思っ試したらはけた。日本酒を止め、果実酒にしたのと、パンやうどんにしたので、痩せたようだ。
浅草の祭は、初めてだ。来る機会がなかった。人力車が増えたように映じた。外国人観光客がとても多い。食欲がないので、電気ブランだけにした。1階席で食券を買う。2階のように待っていた。注文に来なかったはずだ。

台所も暗くなる

2017年05月19日 08時18分46秒 | 日記・断片
台宿の雇用促進住宅から東6丁目に移転して来た時には、自宅の右側が畑であった。
左側は大きな広場で、毎朝中学生たちが登校するのに広場を横切っていた。
裏の左側は自動車販売展の社長の自宅で、右側を遮りものはないので遠くまで見通せた。
やがて畑に2軒の家が建ち、広場にアパートと家が5棟建った。
通称グリーンベルトの桜も伐採された。
庭が35坪で狭かったが、越して来た当時は周りが庭のように想えていたのだが・・・
現在、裏にも家が建築中であり、台所も暗くなり昼間でも電燈を必要としている。
2階の次男の部屋の窓の前も壁となる。

<今、ここから>の人生

2017年05月19日 06時11分17秒 | 社会・文化・政治・経済
誰に何と言われようと、人生は自分自身のもの。
諦めない限り、勝機は必ずある。
失敗したなら止まって、もう一度、自分でスタートラインを引けばいい。
常に<今、ここから>の人生

先入観を捨て<心の扉>を開く。
心が大切なのだ。




明るい笑顔が満ちていて、みんな幸せそうに映じる

<ビジネスとしての農業の魅力>

2017年05月19日 05時34分26秒 | 社会・文化・政治・経済
利害を超えて、協調的な世界を築く。
国連食糧農業機関(FAO)が目指すのは、人類の栄養・生活水準の向上や農業の発展の問題で挑戦していることだ。
FAOは農業への支援を通して農村地域の発展を促し、雇用を創出する手助けを担っている。
それぞれの地域が豊かになれば、資源の奪い合いなどが鎮静化する一助になる。
食糧が行き渡る体制がぜい弱なため、食べられずに捨てられている。
FAOは、飢餓や栄養不良の根絶を目指し、持続可能な自然資源の使用、農村地域の貧困の減少と農業の強化などに注力してきた。
2015年時点で飢餓の直面する人は、およそ8億人もいる。
いよいよ飢餓人口ゼロを目指している。
最も考慮しなければならないものの一つが気候変動による影響。
気候変動は、水の循環や生態系などの影響を与え、結果として、食の安全保障にも影響を及ぼす。
農村世帯への投資や社会保護メカニズムの設置。
食べられずに捨てられている食糧への対応も大切だ。
物流の発達、そして、これが最も重要かもしれないが、<消費者の気付き>によって、生産を増やさなくても、飢餓と貧困に立ち向かう力になる。
農業の魅力をアピールし、若者たちに<明日を担う従事者>になってもらう必要がある。
青年に<ビジネスとしての農業の魅力>を感じてもらえるように努力している。
その中で、新しい経営感覚や新し生産技術を持った青年たちが生まれてくると信じている。
現場に根差した知恵、小さな声をすくい上げ政策につなげていきたい。
国連食糧農業機関(FAO)ダ・シルバ事務局長

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わずか2年であったが、協同農業新聞に勤務した時期がある。
廃刊となったが、社長の坂本茂男さんに営業のノウハウを学んだ。
農林行政、系統経済事業の現状と今後、系統団体における農政活動、営農活動、信用共済事業の現状と今後―が紙面の特色であった。
それが日本歯科新聞社の営業(昭和53年以降)に応用された。
歯科医院の経営に焦点を当て、歯科器材などを特集としていく。
倒産後、(臨床通信)の建て直しに活かされたと自負している。
坂本さんが農協を対象としたように、歯科医師会、歯科大学、歯科大学同窓会を対象に読者を獲得していく。
当時、誰も発想しない営業ノウハウであった。