生命こそ絶対にして最高の実在

2017年07月14日 18時06分10秒 | 社会・文化・政治・経済
自分の生命は自分で変えられる。
生命次元で人間の本質を明らかにした。
それが仏教の卓越性・深淵性の証であろうか。
生命こそ絶対にして最高の実在。
人間の尊厳を失わしめる、あらゆる歪んだ<目>に対する挑戦の開始。

相手を認め褒める習慣がある企業は発展するたどう。

自己執着やエゴからの脱却が不可欠。
でも、個性を消す必要はない<自分>は唯一無二の存在。
誰かに<変身>することはできない。



















藤田典子

2017年07月14日 18時00分39秒 | 医科・歯科・介護
「うまくいかないのが恋」作家・髙木のぶ子
「身に染みる薬も傷口から入る」
恋愛する人は実にたくさんのことをまなぶ。
思うに任せぬことが人間を深める。
恋は、人間に対する深い咀嚼を深めるチャンス。
恋愛の98%は思いがけないもの。
思いがかなうのは、せいぜい2%としかないでしょう。
自分の心を内側に封じ込めないで、外に出していくことが大切。
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「仕事だ」と言って家を出る。
「仕事ではない」と見抜いている妻の佳子が玄関まで追って来て「長男だけでも連れて行ってよ」と息子の幸太郎を連れてくる。
父親を恨めしそうに見る息子を元水信夫は威圧する睨みつける。
息子は母親の背後に身を潜める。
背中にデートと書いてあるわけではないが、夫のいそいそとした様子は如何にも怪し。
初めての日曜日のデートであった。
上野駅の「忍ばず口」の改札口の外に、藤田典子が待っていた。
人の姿が多い日であった。
緑色のトックリエーター姿の典子は何時ものように後ろ向き姿である。
「人に見られたくないの」と伏し目がちな典子は、華奢な体でどこか影が薄く映じる。
「日展」へ向かう人並みが続いていた。
絵にほとんど興味がない元水は、日展を観る柄ではないが、毎年観ているという典子の誘いである。
「今日はダメね。絵が少しも印象に残らないわ」と典子は笑顔を失っている。
「元水が一緒だがら?」元水は自嘲気味に言う。
「そうよ。一緒に来るんじゃなかった」典子は濃紺の手提げバックから灰色のニット帽を取り出して被る。
突風が吹き銀杏の葉が散ってきた。
「淋しいい季節になりそうね」
「別れの秋に?」
「そうね。それを願っているの」
典子は珍しく元水の目を凝視した。
19歳で出会って、2年の歳月が流れていた。
元水は家庭の臭いがしない男と言う人もいた。
「センセイ、なぜ、結婚していると言わなかったのですか?」32歳の時に親しくなった中国人の露露に問われたことを想いだした。
それから、2年後に池袋の同じサパークラブで典子と出会ったのだった。
天安門事件移行、北京に戻っていた露露からの手紙が途絶えていた。
彼女の中野のアパートに2度泊ったが、深い関係には至らなかった。
だから露露からの文通も続いていたのだ。
1度、その露露の話を典子にもしていた。
「私との関係も清いままで居れば良かったのにね」典子は複雑な表情をした。
「酒でも飲みますか?」
「どちらでも」
「ホテルは?」
「バカ!今日は行くわけないじゃいの」典子は拳骨で元水の腰を叩く。
結局、西郷さんの銅像を見てから、石段を下る時、典子が元水の手を求めてみた。
「どうしたのかしら?目まいがするの」典子の指は冷たくなっていた。
タクシーに乗り、浅草へ向かった。
浅草で典子酒を飲むのは3度目である。
色々な居酒屋があるが、お銚子3本を飲むと追い立てられる店だ。
中年男が、若い娘を苛めているような酒となってしまった。
嫌が上でも第三者の視点を意識する。
「本音を言ってしまったら、それきりになってしまうと思うの」
「酔ったら、その本音が出ますか?」
「私、酔わないもの」典子は毅然としていた。
「好きになってしまったの」と言われたのは出逢って3回目であった。
相思相愛の経験がない元水の心は、舞い上がってしまったのだ。
「好きになったのは間違いですよ、と言いたいのですか?」詰問口調になる。
「すべて、遊びだと言ってたらどうする?」
「それが、本音なのか?」元水は落胆する。
典子は落胆して俯く元水を見て、「本音は言わない。胸の締まって置くわ。でも2人は波長が合ってしまうのね。不思議な関係よ」
居酒屋を出て次の店へ向かう。
典子は何時ものように快活な足取りとなっていた。
「何処へ?」
「お参りですね」
雷門をくぐり、浅草寺へ向かう。
元水は昭和24年ころ、浅草の店で働いていた従姉に母と会いに行ったことを思い出した。
浮浪児たちが居て、物乞いをしている姿を忘れることができない。
浅草の記憶は元水にとって観光地としての賑いや明るい面だけではなかった。
結局、何時ものコースで神谷バーで電気ブランを飲む。
「酔わないな。どこか、遠くへ行くたい」
「とにかく、元水からも離れたい」
「そう。でもそのまま疎遠になるのは嫌」
2盃目の電気ブランがきいていた。
「そろそろ、酔った?」
「全然」
「私は、足にきた。帰りましょう」
酔い覚ましに隅田川に向かう。
吾妻橋に腕を乗せ、典子は隅田川を見つめている。
「夜の川は陰鬱ね」
「死に神が見えますか?」
「元水の死に神がね」
「まだ。愛しているでしょ?」
「分からない」典子は長い髪を左右に振る。
その髪が元水の頬を撫でる。
「好きなんでしょ?」
「分からない」また髪を左右に振る。
「もっと酔いますか?」
「私は酔わないもの。あなた一人で酔っている。羨ましいな」
隅田川は作家の芥川龍之介が子どものころ泳いだ川だ。
歌にも歌われている。
親しみのある川であるが、この日ばかりは淀み、さざ波は鉛色で陰鬱な模様を形づくり、私たちを手招きする「死神」は小舟を曳いてゆく。
なぜか、フランス映画の「オルフェ」の映像の中の死神が典子の姿と重なった。