阿夫利神社のお祭

2017年07月22日 10時59分58秒 | 日記・断片
阿夫利神社のお祭のポスターは例年以上に数多く貼り出されている。
7月23日(一曜日)に行われる。
カラオケ大会の出場には、16組、個人は10人。
子どもたちのグループが3組、2人で歌う人が2組。
消防団26分団体は4人くらいで歌うようだ。当方は4番目。
因幡晃さんの「わかれ」(別涙)
大館出身の因幡さんの2曲目の歌である。
彼の故郷の大館駅は奥羽本線。
当時は汽車・列車が走り、今のようにスピードが優先される時代ではない。
駅にロマンがあってドラマがあった。
旅行鞄、白いボストンバックを渡すシーンをもの影に隠れながら見ていた。
恋人との別れ、切なさ。
目の前に浮かんだ情景から哀愁を詩につづった。
色々なアーチストがカバーしているが、相田翔子さんがクロスカヴァーした。
相田さんの歌を聞いて、出会いと別れが交錯する駅から母の故郷の沼田駅を想い浮かべた。
高校生の頃の思い出、淡い恋心を重ねてみて、歌いたくなる。
女性の相田さんにとって、キーが違うので胸に響かない歌になっている。
キーを上げれが歌により幅・奥行きが感じられたかもしれない。



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別涙(わかれ)

作詞:因幡晃

白い旅行カバンを 渡す時
そっとふれた貴方の やさしい手
ひとごみに言葉 かき消され
涙がさようならを言っていた
いいのよ もういいの 私の事は

泣いてついて ゆきたいけれど
貴方には貴方の道がある
いつも心に決めていたの
別れという日が来ることを









憲法改正は元来<内閣の命題>か?

2017年07月22日 10時57分50秒 | 社会・文化・政治・経済
誤った思想を打ち砕き、「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を広めてゆくために、民衆救済の大言論闘争に立った日蓮大聖人は、1260年(文応元年)7月16日、時の最高権力者である北條時頼に、<諫暁の書・立正安国論>を提出した。
「立正」とは、一人の人間を最大に尊重する仏法の生命哲理を、人々の胸中に打ち立てることだ。
「安国」とは、社会の繁栄を平和を築くことだ。
つまり、正法を持つ一人が、社会の安定を祈り、行動することで、自他共の幸福が輝く社会建設していくことできるとの原理だ。
対話が人の心を変革する。
そして、心の変革を遂げた人間の連帯こそが「立正安国」実現への方途である。
これが日蓮大聖人の確信であった。
客(北條時頼)と主人(日蓮大聖人)との十問九答の問答形式で展開されている。
主人は、文証と道理を尽くして、誠実に粘り強く、かつ鋭く核心をついた言葉で対話を続けた末、客は心を改め、法華経の信仰を実践、語り広げていくことを決意する。
立ち上がった一人の民衆が、民衆を救い、社会を変革していく。
この「立正安国」の原理こそ、日蓮大聖人の仏法の魂である。
「立正安国」とは、即「世界平和」である。
どこまでも悩める人に寄り添い、一人の人間に内在する生命力を信じる。
なぜ、日本は戦争に突入したのか?
当時の軍国主義、生命軽視の誤った思想に日本全体が気付いていなかったからである。
思想・宗教・言論を統制・弾圧し、天皇制まで捻じ曲げた「12歳の少年」のような未熟な国であったのである。
さらに、治安維持法は悪法の元凶であった。
戦後は過去の日本を謙虚に反省し、断固として決別したことを宣言し、出発点にしたはずであるが、憲法改正を命題する内閣が誕生した。
憲法改正は元来<内閣の命題>ではなく、あくまでも<国民の命題>である。
内閣の命題としたところに思いあがりがある。