まずは、世界をパニックに落とし入れた感染症の代表格、「ペスト=黒死病」流行時の惨事を簡単に振り返っておく。
ご存じの通りペストの流行は繰り返され、14世紀にヨーロッパで猛威をふるった際には少なくともヨーロッパ人口の約3分の1が犠牲になったと記録されている。ペスト流行の原因については、広く知られるネズミ原因説のほかにも「占星術的な病因説」や「キリスト教の敵説」があった。
前者は、「火星と木星が水瓶座に集合したため」という、現代なら「???」というものだが、後者は「ユダヤ人が井戸に毒を放った」「ユダヤ人が毒入りのぶどう酒を作った」という、“人間関係を汚染源”とするものだった。
当時、ユダヤ人には裕福な人が多くペストを予防できたため、犠牲者が少なかった。それがかねての宗教的対立を激化させ、ペストは「ユダヤ人のせいだ!」という根拠なき噂や臆測をもたらし、ユダヤ人迫害という民衆の行動を招いた。
1382年、暴徒たちはパリのユダヤ人街で略奪と破壊を行い、1391年には、セビリアの助祭長が「ユダヤ人に対する聖戦」を扇動。暴徒はユダヤ人街に押し寄せ、およそ4万1000人のユダヤ人が殺害され、ストラスブールでは、 2000人のユダヤ人が火刑に処せられたという記録もある。
まさに「目に見えない敵からの脅威を感じているときは、仲間なのに潜在的な侵略者と見なす心理」(by校長先生)が、いくつもの根拠なき噂を生み、常軌を逸した行動につながったのだ。
日本でも感染病によるパニックがたびたび起きた
似たようなことは日本でも、江戸から明治時代にかけて数年間隔で猛威をふるったコレラの流行で起こっている。
1879年(明治12年)の大流行では、患者は感染病専門病院に収容され、自宅療養患者の家族は外出禁止など、感染を防ぐための配慮から隔離する措置が執られていた。
また、感染予防のために魚介類や生鮮食品の販売が禁止され、関係者は大打撃を受ける。そんな折も折、新潟町(過去の文献の記載のまま)では大火や洪水が発生し、米価が急騰。人々のコレラへの恐怖心や不安感はピークに達することになった。
恐怖の矛先はコレラ患者と警察に向けられ、ついに沼垂町では竹やりなどを手にした人々が警察や病院などを破壊。駆けつけた警察によって鎮圧されるも死者を出す事態に発展したという。
そういった異常事態は全国にも伝わり、「沼垂ではコレラに感染すると殺すらしい」「警察は人の生き肝を米国に売っているらしい」「コレラの原因は毒まきが毒をまくためだ」といった噂話が広がり、「毒まき」と疑われた人が市民の手によって警察に連行される騒ぎも起こる。
「死刑にしろ!」と騒ぎ立てる市民と、それを鎮圧しようとする警察との間で衝突が起こり、暴動に発展するなど、異常事態の連鎖が続いたそうだ(鏡淵九六郎編『新潟古老雑話』より)。
……とまぁ、今とは時代が違うので「昔話」のように思えるかもしれないが、今回の新型コロナウイルスでも「動物からの感染じゃないらしい!」「ウイルス兵器の実験中だったものじゃないか?」などとSNSで発信しているメディアもある。首尾一貫性を好む人間は、兎(と)にも角にも原因を突き止めないと気がすまない。
「隣人や自分と同じ土地に暮らす人々を、敵と見なすか?同胞と見なすか?で人々の行動が変わる」というのは自然災害時の通説だが、ウイルスのように目に見えない恐怖では、見えている「誰か」を危険な存在だと見なし、排除することで、恐怖から逃れようとする心理が強く働くのだ。
先週、ドラッグストアの店員さんが「コロナより人間が怖い」とtwitterで悲鳴を上げ、多くの共感が集まったが、その根っこにある心の動きは過去の感染症流行時と全く同じだ。
ドラッグストア勤務歴12年のベテラン店員さんのツイートは、デマ情報にだまされドラッグストアに殺到するお客さんへの対応について書いたものだった。
「今まで優しかった人々が、殺気立って、とにかくイライラをぶつけてくる。『次の入荷はいつ?』『いつもないじゃない』『1個くらい取っておいてよ』と電話でも、対面でも何度も何度も聞かれ、その度に『すみません』『申し訳ありません』と頭を下げている。人が鬼に見える。正直ノイローゼ気味だ」などと書かれ、リツイートは33.5万件、いいねは59.8万件を超えた(5日19時現在)。
店員さんが「今まで優しかった人々」としていることから分かる通り、幼稚で暴力的な言動に走るのは、決して「特別な人」だけではない。
恐怖にあおられればあおられるほど、人の生存欲求はかき立てられ、利己的な言動が引き出される。自分でも驚くような大きな声を出してしまったり、後から考えると反省しきりの行動をしてしまったりする愚かさを、私たちは持ち合わせている。実に恐ろしいことだ。
3月3日には、「『トイレットペーパーが品薄になる』という虚偽情報を流したのは、うちの職員だった」と、鳥取県米子市の「米子医療生活協同組合」が謝罪したが、その数分後には、SNS上で職員の実名が拡散され、にわかに信じがたいおぞましい言葉が職員に浴びせられていた。“二次被害”が出ないこと願うばかりだ。
冷静さを取り戻す鍵はリスクコミュニケーション
いずれにせよ目に見えない敵に恐怖を感じたときの人間は実に愚かで、暴力的かつ刹那的な言動に走りやすい。それを防ぎ、「正しく恐れる」(←知識人が好む言葉ですね)には、リスクコミュニケーションを徹底するしかない。
「リスクコミュニケーション」は個人、集団、組織などに属する関係者たちが情報や意見を交換し、その問題について理解を深め、互いにより良い決定を下すためのコミュニケーションだ。それは一方通行ではなく双方向で、批判的ではなく建設的に、1回限りではなく継続的にやりとりされる「相互作用の過程」である。
すなわちリスクコミュニケーションとは一般の人たちの「知る権利」であり、リスクに対する彼らの不安や被害をできる限り減らすための唯一の手段なのだ。
リスクコミュニケーションの重要性は、原発の事故発生時やその後の再稼働のときにも散々指摘されてきたが、特に予測が難しい感染症時のリスクコミュニケーションでは、専門家の役割が極めて重要になる。
専門家には一般の人たちの目線と、難しいことを平易な言葉で分かるように伝えるスキルと、「こんなこと言っても分からない」とあきらめない姿勢が求められる。
リスクコミュニケーションでは、専門家が意思決定の裁量を持ち、情報の一元化を徹底することが極めて重要となる。例えば、リスクコミュニケーション先進国である米国では、新型インフルエンザが大流行した際、米疾病管理予防センター(CDC) がリーダーシップを執り、情報提供窓口を一元化した。政府や自治体、企業や学校などもCDCを一次情報源とした。
CDCは、感染者数、感染源、治療法などどんどん更新される情報を、逐一国民に発信し、その際も国民の生活目線を忘れず、迅速かつ分かりやすさを徹底したと報告されている。
例えば、小学校や保育施設など施設別の行動指針やハイリスク者に関する情報、乳児の保護者向けの情報や、夏休み前にはキャンプ時の感染予防策など、豊富な切り口で情報提供した。CDCのホームページを見るだけで、幅広い情報ニーズを満たすことができるようになっていたそうだ(「新型インフルエンザのリスク認知とリスクコミュニケーションのあり方に関する調査研究」より)。
さらに、CDCは暫定的な行動指針やガイドラインなどもリアルタイムで公表、都度更新し修正を加えるなど、まめな情報発信に努めた。
徹底的に正確な情報提供を続けるからこそ、国民の情報への信頼は高まる。生活者目線の情報だからこそ、誰もが「自分の身に何が起こるか? 何に備えておけばいいか? 必要なものは何か? 困ることは何か?」と考え、具体的な行動につなげることができる。
そのような過程の先に、オバマ大統領の「国家非常事態宣言」があり、その後もきちんとそれまでのプロセスと決定を振り返り、検証も行うなど、最後まで双方向の基本原則を貫いたという。
メディアは一次情報と連携すべし
リスクコミュニケーションでは、二次発信となるメディアの役割も極めて大きい。にわか専門家や、コメンテーターなどが、国民の不安をかき立てるようなことがないように、一次情報発信者(専門家チーム)と密接に連携する。メディアの記者たちには、専門家や政府などが行う記者会見で、適切かつ意義ある質問ができるだけの最低限の知識と生活者目線を持つことが求められる。そのためには専門家たちがリーフレットを配ったり、ミニ講習会を開くなど、マメに「汗をかく」必要もある。
当然ながら政府の役割と責任は極めて大きく、国民に発信するときには、「何を根拠に、そういった決定がなされたのか?」を、一次情報に基づき、きちんと説明し、記者からの質問にもきちんと対応し、双方向の原則を守らなくてはならない。
日本では、リスクコミュニケーションの重要性は「厚生労働省健康危機管理基本指針」にまとめられているし、新型インフルエンザが流行したときの経験を踏まえたリスクコミュニケーションの課題は、研究者がいくつもの調査報告書にまとめている。
一次情報の窓口となった厚労省からのリアルタイム発信が乏しかった、WHOの情報と政府の対応の関係の食い違いが不安と不信感を高めた、マスコミの過熱した報道姿勢など、いくつもの問題が指摘されているのだ。
……にもかかわらず、それが全く生かされていない現実がある。
今回の新型コロナウイルス感染拡大防止策は、当初から「誰がリーダーシップを取っているのか?」が不明だったし、専門家会議を立ち上げるのも遅かった。
安倍晋三首相自身が全国の小中高校などへの休校要請について、「直接、専門家の意見を伺ったものではない」と、専門家会議の提言に基づく決定ではないと明かしたり、記者会見でも記者の質問に答えずその場を去ったり、5日に発表された「中韓からの入国規制」については、政府対策本部の専門家会議メンバーの押谷仁・東北大教授が、困惑した様子で受け止め「まずは国内の対策に力を入れるべきではないか」と疑問視したと一部メディアで報じられている。
本来、鍵を握るべき専門家の立場は? 生活者目線は? どこに行ってしまったのか。
安倍首相の政治決断を「英断!」と評価する人もいるけど、納得いく説明もないままにトップダウンの発信だけが進んでいることが、余計な不安感や恐怖心、疑念、差別、偏見、間違った知識などにつながっている。
確かに厚労省は、twitterやFacebookで発信を行っている。しかし、防止策の意思決定はどのように行われているのか? どこに双方向のプロセスがあるのか? 分からないことだらけだ。
一貫しない言動が続く政府とメディア
当初、テレビに出演する専門家たちは「マスクは予防にならない」と口をそろえ、手洗いが最大の防止策と言っていたにもかかわらず、マスクを国が買い取り北海道の人々に配布した。
その後、介護職員らでつくる労働組合が全国の介護事業所4043カ所への緊急調査を行い、マスクがすでにない事業所が約2割、訪問介護に限ると3割、在庫が2週間分以内の事業者は3分の2に達していると、政府にマスクの確保を訴えた。
これにより政府は、「1人に1枚行きわたるようにする」と発表した。
ところが突然、マイナンバーで買えるようにするだの、何だのと、「え? 今、それ??」という発信もあり、政府もメディアも右往左往する状態がまだまだ続いている。
今からでも遅くない。せめて、新型インフルエンザのときの経験を生かした情報発信と対応をしてほしい。
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