Gledilega paska! グレーズィレーガ・パウスカ! 復活祭の主日おめでとうございます。
日本ではあまりメジャーなあいさつ言葉ではないでしょうが、ついでに英語ではHappy Easterと言うのだそうです。Merry Easterではありません。(^-^;
Gledilega paska!!
今日はイースターサンデーですね。自動的に先の一週間は「聖週間」と呼ばれる特別な週でした。キリストの受難(十字架刑の死)を悼み覚える週です。
キリスト教文化圏のアイスランドでは、小中学校は週を通じてお休み。木曜日と金曜日は国の祝日でした。特に金曜日はキリストの死を悼む日で、教会やまれに一般の家庭でも半旗を掲げます。
この聖週間についてはこちらも;
アイスランドの聖週間
教会の鐘がミュートになる時...?
さて、特別職の牧師の私は(移民牧師)、職務の中心が礼拝(ミサ)ではなかったので、かつてはこの時期はわりとヒマで「旗本退屈牧師」となっていたのですが、事実上の「難民牧師」となったここ四、五年、様子が変わってきました。
難民の人たちとの集会が毎週欠かさずあるようになり、さらに付属する様々な実際的なサポート等が絶え間なく出てくるからです。
以前も書いたことがあるのですが、私は牧師が「忙しい」を連発するのはよろしくないことだ、という考えを持っているので、「忙しい」を禁句にしています。それでもこの二週間ほどはその禁句を叫びたくなる思いでした。
そうなった理由のひとつに、私のいるブレイズホルトゥス教会の聖歌隊のコンサートがありました。教会のコーラスを、日本語では「聖歌隊」と特別な風に呼びますが、こちらではただKorコールと呼び、町の「コーラス」と変わりありません。
こちらでは、地域や学校、施設等でそれぞれのkorを持っていることがよくあり、「コーラス文化」はかなり発達していると言ってよいでしょう
そのブレイズホルトゥス教会のコールが、昨年の十一月にコンサートを開きました。コールのコンサートは年間四、五回はあります。
その十一月のコンサートでは、ふたつの演目があり、ふたつともオリジナルのコーラス曲でした。作ったのはコールにいるふたりの若い女性メンバーで、ふたりとも音楽を専攻している学生でした。
これが偶然の一致で、両者とも「難民」をモチーフとしており、その関連からコンサート前から私も関心を持っていました。
ひとつは「スンネファ・ミグラント」といい、迫害を逃れて、人々を連れてボートで脱出したという、アイルランドの聖人スンネファ伝説を、現代のボート難民に被せています。
もうひとつは「チリからのスーラ」という、アイスランドの有名な詩を基にして、これも現代の難民問題と掛け合わせ、平和を祈願する内容となっています。
そして実際に、コンサートでふたつの演目を聞いたのですが、これがかなり素晴らしいもので、私はとても感激しました。
「感激「というのは、多少不正確な言葉でしょうね。初めて聞いたものなので、メロディも頭に入っていないし、歌詞も正確には理解できていません。でも、あの「衝撃」があるのです。
皆さんも、そういう経験はあると思うのですが、とても良い曲を、それでも初めて耳にした時は、十分咀嚼できていないので「ああ、なんかいい気がする」というだけのポコポコした気持ちを持ちますよね。あの感じでした。
ブレイズホルトゥス教会の円形の内部
ただ前に立って歌うだけではなく、教会内いっぱいに円に広がったり、また縮んだりしながら歌ったり、さらに「セリフ」も随所に散りばめられていて、多少ミュージカル風なところもあります。
さらに面白いのは、楽曲の一部として、教会の鐘が使われていることです。ブレイズホルトゥス教会の鐘というのは、普通のピアノのように、音階が作られていて、オルガンの脇にある鍵盤を操ることによって、「生」で演奏をすることもできるのです。
これを、生の演奏中にするのはかなり難しいのではないかと想像します。なぜなら、鍵盤を打ってから、鐘が動いて音を出すまでに、さらにその音が外の塔の鐘から内側に伝わってくるまでに時間差があるからです。
ですが、コンサートでは、見事に教会の外の鐘の音が、教会内でのコーラス、オルガンとマッチしていました。この教会の「外」「内」のコラボというのは、私にとっては初めて体験するものでした。
結果素晴らしいコンサートだったのですが、その時は、コールの指揮者であるオルンさん(教会のオルガニスト)も、パフォーマンスを作り上げるのに集中していて、それほど外部に向かっての宣伝等はしていませんでした。
で、コンサオートが終わるや否や、私はオルンさんと、教会の主任牧師、さらにその場に居合わせた教会の人たちに「これは是非とも再演を」と提案したのでした。
「モチーフが難民にある、素晴らしい楽曲なのだから、是非とももっと宣伝をして、特に難民と関わっている赤十字やその他の団体のスタッフを招いてみたい。加えて全国の教会にも呼びかければ、『難民問題』へのアピールにもなる」というんが私の考えでした。
それ以来、レイキャビク近郊の地区の基金に助成金を申請したり、ポスターを作成配布したり、チラシを作ったりとセッセと準備を進めたのでした。コールはパフォーマンスに専念。宣伝、マネジメントは私ひとり、という図式。まあ。いいや、そういうのには慣れてる。
コールの最終リハーサルの様子
そのコンサート、「スンネファ・ミグラント」と「チリからのスーラ」の再演コンサートが、先日聖木曜日の夕に開催されました。宣伝担当の私はコンサートタイトルをAkall um frid「平和への希求」として、ふたつの演目の間に、実際に難民だった経験を持つ人 -アブラヒムさん- に短い体験談を語ってもらうことにしました。
というわけで、木曜日前の一週間は、プログラムの作成とコピープリント(私の教会のコピーはモノクロなので、カラーコピーを借りに、古巣のヒャットラ教会まで三日連日で日参。ただで使うのは気がひけるので、ちゃんとお印のお花を献上)をしたり、アブラヒムさんのスピーチ作成を助けたりと慌ただしかったのです。
ですが、それだけでは宣伝部長の名にもとる。マスコミ対策も必要です。で、ラジオ局ふたつのインタビューも取り付けて、先の月曜日の午後はラジオデーとなりました。
ひとつ目はLindin「泉」というキリスト教系のラジオ。「チリからのスーラ」の作者である若いアイスランド女性が一緒に行ってくれました。助かります。一人だけで「アイスランド語で十五分」は結構しんどいのです。
二軒目はぼう国営放送のラジオで、今回はコーラスの指揮者オルンさんが一緒。どうもオルンさんは、福音系キリスト教のラジオであるLindinとはなにか確執があるらしく、同行をしぶっていたのですが、某国営放送には喜んでついてきてくれました。
宣伝部長とは、そのような個人的確執までカバーする必要があります。
クタクタになって木曜日当日を迎えましたが、ここから先は何もすることはできません。お客さんが大勢来てくれることを祈るばかりです。
幸い百人以上の方が来場してくれました。うち三十人弱が「元」もふくめて難民の人たち。本当は百五十人くらいを期待していたのですが、この聖木曜日は、教会に縁遠い人たちにとっては「長い連休の始まり」でもあり、そのことを鑑みれば十分な来場だったと思います。
こうして聖週間と復活祭の週末を乗り切って一安心していますが、次の目標が浮かんできています。それは、このふたつの楽曲「スンネファ・ミグラント」と「チリからのスーラ」のパフォーマンス、是非ともCDで発売してほしい。これから掛け合います。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
日本ではあまりメジャーなあいさつ言葉ではないでしょうが、ついでに英語ではHappy Easterと言うのだそうです。Merry Easterではありません。(^-^;
Gledilega paska!!
今日はイースターサンデーですね。自動的に先の一週間は「聖週間」と呼ばれる特別な週でした。キリストの受難(十字架刑の死)を悼み覚える週です。
キリスト教文化圏のアイスランドでは、小中学校は週を通じてお休み。木曜日と金曜日は国の祝日でした。特に金曜日はキリストの死を悼む日で、教会やまれに一般の家庭でも半旗を掲げます。
この聖週間についてはこちらも;
アイスランドの聖週間
教会の鐘がミュートになる時...?
さて、特別職の牧師の私は(移民牧師)、職務の中心が礼拝(ミサ)ではなかったので、かつてはこの時期はわりとヒマで「旗本退屈牧師」となっていたのですが、事実上の「難民牧師」となったここ四、五年、様子が変わってきました。
難民の人たちとの集会が毎週欠かさずあるようになり、さらに付属する様々な実際的なサポート等が絶え間なく出てくるからです。
以前も書いたことがあるのですが、私は牧師が「忙しい」を連発するのはよろしくないことだ、という考えを持っているので、「忙しい」を禁句にしています。それでもこの二週間ほどはその禁句を叫びたくなる思いでした。
そうなった理由のひとつに、私のいるブレイズホルトゥス教会の聖歌隊のコンサートがありました。教会のコーラスを、日本語では「聖歌隊」と特別な風に呼びますが、こちらではただKorコールと呼び、町の「コーラス」と変わりありません。
こちらでは、地域や学校、施設等でそれぞれのkorを持っていることがよくあり、「コーラス文化」はかなり発達していると言ってよいでしょう
そのブレイズホルトゥス教会のコールが、昨年の十一月にコンサートを開きました。コールのコンサートは年間四、五回はあります。
その十一月のコンサートでは、ふたつの演目があり、ふたつともオリジナルのコーラス曲でした。作ったのはコールにいるふたりの若い女性メンバーで、ふたりとも音楽を専攻している学生でした。
これが偶然の一致で、両者とも「難民」をモチーフとしており、その関連からコンサート前から私も関心を持っていました。
ひとつは「スンネファ・ミグラント」といい、迫害を逃れて、人々を連れてボートで脱出したという、アイルランドの聖人スンネファ伝説を、現代のボート難民に被せています。
もうひとつは「チリからのスーラ」という、アイスランドの有名な詩を基にして、これも現代の難民問題と掛け合わせ、平和を祈願する内容となっています。
そして実際に、コンサートでふたつの演目を聞いたのですが、これがかなり素晴らしいもので、私はとても感激しました。
「感激「というのは、多少不正確な言葉でしょうね。初めて聞いたものなので、メロディも頭に入っていないし、歌詞も正確には理解できていません。でも、あの「衝撃」があるのです。
皆さんも、そういう経験はあると思うのですが、とても良い曲を、それでも初めて耳にした時は、十分咀嚼できていないので「ああ、なんかいい気がする」というだけのポコポコした気持ちを持ちますよね。あの感じでした。
ブレイズホルトゥス教会の円形の内部
ただ前に立って歌うだけではなく、教会内いっぱいに円に広がったり、また縮んだりしながら歌ったり、さらに「セリフ」も随所に散りばめられていて、多少ミュージカル風なところもあります。
さらに面白いのは、楽曲の一部として、教会の鐘が使われていることです。ブレイズホルトゥス教会の鐘というのは、普通のピアノのように、音階が作られていて、オルガンの脇にある鍵盤を操ることによって、「生」で演奏をすることもできるのです。
これを、生の演奏中にするのはかなり難しいのではないかと想像します。なぜなら、鍵盤を打ってから、鐘が動いて音を出すまでに、さらにその音が外の塔の鐘から内側に伝わってくるまでに時間差があるからです。
ですが、コンサートでは、見事に教会の外の鐘の音が、教会内でのコーラス、オルガンとマッチしていました。この教会の「外」「内」のコラボというのは、私にとっては初めて体験するものでした。
結果素晴らしいコンサートだったのですが、その時は、コールの指揮者であるオルンさん(教会のオルガニスト)も、パフォーマンスを作り上げるのに集中していて、それほど外部に向かっての宣伝等はしていませんでした。
で、コンサオートが終わるや否や、私はオルンさんと、教会の主任牧師、さらにその場に居合わせた教会の人たちに「これは是非とも再演を」と提案したのでした。
「モチーフが難民にある、素晴らしい楽曲なのだから、是非とももっと宣伝をして、特に難民と関わっている赤十字やその他の団体のスタッフを招いてみたい。加えて全国の教会にも呼びかければ、『難民問題』へのアピールにもなる」というんが私の考えでした。
それ以来、レイキャビク近郊の地区の基金に助成金を申請したり、ポスターを作成配布したり、チラシを作ったりとセッセと準備を進めたのでした。コールはパフォーマンスに専念。宣伝、マネジメントは私ひとり、という図式。まあ。いいや、そういうのには慣れてる。
コールの最終リハーサルの様子
そのコンサート、「スンネファ・ミグラント」と「チリからのスーラ」の再演コンサートが、先日聖木曜日の夕に開催されました。宣伝担当の私はコンサートタイトルをAkall um frid「平和への希求」として、ふたつの演目の間に、実際に難民だった経験を持つ人 -アブラヒムさん- に短い体験談を語ってもらうことにしました。
というわけで、木曜日前の一週間は、プログラムの作成とコピープリント(私の教会のコピーはモノクロなので、カラーコピーを借りに、古巣のヒャットラ教会まで三日連日で日参。ただで使うのは気がひけるので、ちゃんとお印のお花を献上)をしたり、アブラヒムさんのスピーチ作成を助けたりと慌ただしかったのです。
ですが、それだけでは宣伝部長の名にもとる。マスコミ対策も必要です。で、ラジオ局ふたつのインタビューも取り付けて、先の月曜日の午後はラジオデーとなりました。
ひとつ目はLindin「泉」というキリスト教系のラジオ。「チリからのスーラ」の作者である若いアイスランド女性が一緒に行ってくれました。助かります。一人だけで「アイスランド語で十五分」は結構しんどいのです。
二軒目はぼう国営放送のラジオで、今回はコーラスの指揮者オルンさんが一緒。どうもオルンさんは、福音系キリスト教のラジオであるLindinとはなにか確執があるらしく、同行をしぶっていたのですが、某国営放送には喜んでついてきてくれました。
宣伝部長とは、そのような個人的確執までカバーする必要があります。
クタクタになって木曜日当日を迎えましたが、ここから先は何もすることはできません。お客さんが大勢来てくれることを祈るばかりです。
幸い百人以上の方が来場してくれました。うち三十人弱が「元」もふくめて難民の人たち。本当は百五十人くらいを期待していたのですが、この聖木曜日は、教会に縁遠い人たちにとっては「長い連休の始まり」でもあり、そのことを鑑みれば十分な来場だったと思います。
こうして聖週間と復活祭の週末を乗り切って一安心していますが、次の目標が浮かんできています。それは、このふたつの楽曲「スンネファ・ミグラント」と「チリからのスーラ」のパフォーマンス、是非ともCDで発売してほしい。これから掛け合います。
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