レイキャビクでは、先週の木曜日の夕方くらいから雪が舞い始め、金曜の朝には「あー、雪が積もった」というくらいには雪が積もりました。そして気温も週末中を通して零下となりました。
冬かなあ?という気もしますが、私はまだこれは冬本番ではない、と踏んでいます。以前十月によくあった「寒〜い一週間」が遅れて十一月にやってきた、と勝手に思い込んでいます。だから、まだ半袖シャツでいます。(いえ、ちゃんとセーターとかジャケットは着ますよ、もちろん)
雪がまだ残る金曜の朝の街 カセドラル教会の中より
政治の方は、相変わらず政権の連立交渉が続いているようです。アイスランドでは国王がいませんので、大統領がまずは選挙の結果第一党となった党の党首に、組閣の取り組みを始める委任を与えます。
一定期間のうちに結果が出せないと、その委任が第二党の党首か、あるいは別のものの見方で世間の信頼を勝ち得ている、と判断できる党の党首に移って行きます。
で、今は緑の党かどこかが委任を携えているはずです。つまらないので(ウソです。忙しかったので)ニュースもロクにフォローしてません。結果が出るにはまだ時間がかかるでしょう。
十一月になって雪が降った、政権はまだできない、ではブログのネタになりません。どうしようかなあ、と考えながら「バイキング」を見ていると、「東尾理子さんが第三子を懐妊」のニュース。
石田純一さんは六十三歳にしてトータル五人の子のパパ、長男の壱成さんは四十二歳?上のお兄さんになるんだ、とか言っているのを見て思い出した話しがありした。
で、デスク脇の棚の下から見つけ出したのが今日のお話しです。今年の八月のモルグンブラウジズ紙に出ていたニュースです。見出しは「十九年間で十人の子供を授かる」
さすがにアイスランドでも今の時代に「子供十人」は珍しいことの様で、結構長いインタビューになっていました。しかも、同じお父さん、お母さんの直列?十兄弟ですから。
ご両親の年齢ははっきり書かれていませんが、写真から見て五十になるか、ならないか、くらいだと思います。お父さんはヘルギ·ソウルさん、お母さんはウッラさんと言います。今年の五月に銀婚式を迎えたということ。
ウッラさんはグリーンランドの生まれ。お母さんがグリーンランド人、お父さんがデンマーク人だそうです。ヘルギさんの方は夏の野外パーティーで有名なヴェストマンナ諸島の出身。
今を遡ること二十七年昔の1990年、本当はフェローアイランドへ渡りたかったウッラさんは、「つなぎ」のつもりでヴェストマンナ諸島へ渡り、オウペアになりました。そこで出会ったのがヘルギさん。二年後に結婚することとなりました。
生業はヘルギさんが漁師、ウッラさんが陸で魚の仕分けや出荷でした。ついでですが、結局ウッラさんはいまだにフェローアイランドへ行っていない、とのこと。
「若い頃、私は子供なんか作らないつもりでいました。だってうるさいんだもの」とウッラさん。それが十人の子持ちになるとは、人生わからないものです。お産が楽な体質であったことも影響しているようです。
ヘルギさんが言うには「(陣痛が始まったので)病院へ連れて来て、車を駐車場に回してから戻ってくると、もう生まれていたことがある」とか。
現在、お子さんたちは上が二十四歳から下は四歳まで。男の子七人、女の子三人。
「別にそうしようと思ったわけではないのだけど、(子供たちは)ただ出て来たのよ。でも九人目が生まれた時には、もう一人来るな、って気はしました」(ウッラさん)
ヘルギさん、ウッラさん一家を紹介する記事
でも、これだけ子沢山だと、それなりに苦労はあるようです。「夏休みを計画するのは本当に難しいですね。十人もいれば、必ず誰かが前もって予測できないような出来事を抱えて来てしまいますから」とヘルギさん。
ウッラさんにとっての難しさは学校にあるようです。「子供たちのうち五人が義務教育(小中一貫の十年制です)にあるとするでしょ。一年にひとりにつき三回の父兄面談があるとしたら、年間十五回の面談です。正直言って、学校には疲れたわ」ごもっともで。
それでも「私たちは十人の子供を持っているわけではありません。十人の個々人です」と言うご夫妻にとって、十人が醸し出す「多様性」は楽しいもののようです。
「子供たちがそれぞれ、互いに自己主張して、自分の理屈を展開しているのを聞けるのは、素晴らしいことです」とヘルギさん。
一家はグリーンランド(デンマーク領)で暮らしていた時期もあるようで、子供たちはデンマーク語もできるようです。十人とも、かどうかはわかりませんが。
「(デンマーク語が母国語の)ウッラは子供達といつでもアイスランド語で話しています。なぜだかわからないのですが、私はいつでもデンマーク語で話してしまうんですよね」(ヘルギさん)
夫妻の話しでは、それでも十人の子供を持つことは、肉体的な苦労ではないそうです。「苦労はやはり精神的なものですね。必ず心配事が何かしら付いて来ますから」
年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちは、下の子たちの良い手本になっている、と夫妻は語っています。「子供たちは互いに支え合い、カバーし合っています」
まあ、そういうのは兄弟の良いところなんでしょうね。ワタシなんざ、五歳上の兄貴がいるだけで、しかもいつもプロレスの技の道具にされていましたから、そういう美点はわかりませんでしたが。少なくとも子供と時は。
子供さんにも言い分があるようです。兄弟の頂点に立つ長女のダネイさんは「兄弟が十人もいれば、お互い助け合うようになるのが自然なんことだと、私は思っています」
さらに「実際には、私はもう大学へ行く歳になっていたので、一番下のイサクとはそんなに一緒に暮らしていないんです」
ダネイさんはもう自身の恋人もいるそうですが「私は十人もの子供を持ちたいとは思いません。だって、ものすごい量の仕事だから。私は、もう少し、外へ行ったり、旅行したり、自分のために料理したりする時間を持ちたいわ」なるほど。
最後に十人の子供を持つ親としての「知恵」は?
「物事が自分の思うようにうまく運ばないとしても、心配しないこと。必ずなんとかなるから。そういう時は冷静に受け止めること。そうすればしまいには明かりが見えてきます」
特に風変わりな「知恵」ではないかもしれませんが、十人の子持ちの夫妻から聞くと、なぜか説得力があります。今度、お説教で使わせてもらうかも。
インタビュー記事では触れられていませんでしたが、子供が十人いてもおおらかに生活できる社会環境というものが前提にあるのでしょうね。
日本の政治家の皆さん、少子化を考えるなら、土台から変えねばならないことはお分かりですよね?っていうか、その前に家庭を大切にすることを認識しないとダメですよね。不倫また不倫の国会議員さんらには無理な課題かも。
ヘルギさん、ウッラさんご一家に豊かな祝福のありますよう。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
冬かなあ?という気もしますが、私はまだこれは冬本番ではない、と踏んでいます。以前十月によくあった「寒〜い一週間」が遅れて十一月にやってきた、と勝手に思い込んでいます。だから、まだ半袖シャツでいます。(いえ、ちゃんとセーターとかジャケットは着ますよ、もちろん)
雪がまだ残る金曜の朝の街 カセドラル教会の中より
政治の方は、相変わらず政権の連立交渉が続いているようです。アイスランドでは国王がいませんので、大統領がまずは選挙の結果第一党となった党の党首に、組閣の取り組みを始める委任を与えます。
一定期間のうちに結果が出せないと、その委任が第二党の党首か、あるいは別のものの見方で世間の信頼を勝ち得ている、と判断できる党の党首に移って行きます。
で、今は緑の党かどこかが委任を携えているはずです。つまらないので(ウソです。忙しかったので)ニュースもロクにフォローしてません。結果が出るにはまだ時間がかかるでしょう。
十一月になって雪が降った、政権はまだできない、ではブログのネタになりません。どうしようかなあ、と考えながら「バイキング」を見ていると、「東尾理子さんが第三子を懐妊」のニュース。
石田純一さんは六十三歳にしてトータル五人の子のパパ、長男の壱成さんは四十二歳?上のお兄さんになるんだ、とか言っているのを見て思い出した話しがありした。
で、デスク脇の棚の下から見つけ出したのが今日のお話しです。今年の八月のモルグンブラウジズ紙に出ていたニュースです。見出しは「十九年間で十人の子供を授かる」
さすがにアイスランドでも今の時代に「子供十人」は珍しいことの様で、結構長いインタビューになっていました。しかも、同じお父さん、お母さんの直列?十兄弟ですから。
ご両親の年齢ははっきり書かれていませんが、写真から見て五十になるか、ならないか、くらいだと思います。お父さんはヘルギ·ソウルさん、お母さんはウッラさんと言います。今年の五月に銀婚式を迎えたということ。
ウッラさんはグリーンランドの生まれ。お母さんがグリーンランド人、お父さんがデンマーク人だそうです。ヘルギさんの方は夏の野外パーティーで有名なヴェストマンナ諸島の出身。
今を遡ること二十七年昔の1990年、本当はフェローアイランドへ渡りたかったウッラさんは、「つなぎ」のつもりでヴェストマンナ諸島へ渡り、オウペアになりました。そこで出会ったのがヘルギさん。二年後に結婚することとなりました。
生業はヘルギさんが漁師、ウッラさんが陸で魚の仕分けや出荷でした。ついでですが、結局ウッラさんはいまだにフェローアイランドへ行っていない、とのこと。
「若い頃、私は子供なんか作らないつもりでいました。だってうるさいんだもの」とウッラさん。それが十人の子持ちになるとは、人生わからないものです。お産が楽な体質であったことも影響しているようです。
ヘルギさんが言うには「(陣痛が始まったので)病院へ連れて来て、車を駐車場に回してから戻ってくると、もう生まれていたことがある」とか。
現在、お子さんたちは上が二十四歳から下は四歳まで。男の子七人、女の子三人。
「別にそうしようと思ったわけではないのだけど、(子供たちは)ただ出て来たのよ。でも九人目が生まれた時には、もう一人来るな、って気はしました」(ウッラさん)
ヘルギさん、ウッラさん一家を紹介する記事
でも、これだけ子沢山だと、それなりに苦労はあるようです。「夏休みを計画するのは本当に難しいですね。十人もいれば、必ず誰かが前もって予測できないような出来事を抱えて来てしまいますから」とヘルギさん。
ウッラさんにとっての難しさは学校にあるようです。「子供たちのうち五人が義務教育(小中一貫の十年制です)にあるとするでしょ。一年にひとりにつき三回の父兄面談があるとしたら、年間十五回の面談です。正直言って、学校には疲れたわ」ごもっともで。
それでも「私たちは十人の子供を持っているわけではありません。十人の個々人です」と言うご夫妻にとって、十人が醸し出す「多様性」は楽しいもののようです。
「子供たちがそれぞれ、互いに自己主張して、自分の理屈を展開しているのを聞けるのは、素晴らしいことです」とヘルギさん。
一家はグリーンランド(デンマーク領)で暮らしていた時期もあるようで、子供たちはデンマーク語もできるようです。十人とも、かどうかはわかりませんが。
「(デンマーク語が母国語の)ウッラは子供達といつでもアイスランド語で話しています。なぜだかわからないのですが、私はいつでもデンマーク語で話してしまうんですよね」(ヘルギさん)
夫妻の話しでは、それでも十人の子供を持つことは、肉体的な苦労ではないそうです。「苦労はやはり精神的なものですね。必ず心配事が何かしら付いて来ますから」
年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちは、下の子たちの良い手本になっている、と夫妻は語っています。「子供たちは互いに支え合い、カバーし合っています」
まあ、そういうのは兄弟の良いところなんでしょうね。ワタシなんざ、五歳上の兄貴がいるだけで、しかもいつもプロレスの技の道具にされていましたから、そういう美点はわかりませんでしたが。少なくとも子供と時は。
子供さんにも言い分があるようです。兄弟の頂点に立つ長女のダネイさんは「兄弟が十人もいれば、お互い助け合うようになるのが自然なんことだと、私は思っています」
さらに「実際には、私はもう大学へ行く歳になっていたので、一番下のイサクとはそんなに一緒に暮らしていないんです」
ダネイさんはもう自身の恋人もいるそうですが「私は十人もの子供を持ちたいとは思いません。だって、ものすごい量の仕事だから。私は、もう少し、外へ行ったり、旅行したり、自分のために料理したりする時間を持ちたいわ」なるほど。
最後に十人の子供を持つ親としての「知恵」は?
「物事が自分の思うようにうまく運ばないとしても、心配しないこと。必ずなんとかなるから。そういう時は冷静に受け止めること。そうすればしまいには明かりが見えてきます」
特に風変わりな「知恵」ではないかもしれませんが、十人の子持ちの夫妻から聞くと、なぜか説得力があります。今度、お説教で使わせてもらうかも。
インタビュー記事では触れられていませんでしたが、子供が十人いてもおおらかに生活できる社会環境というものが前提にあるのでしょうね。
日本の政治家の皆さん、少子化を考えるなら、土台から変えねばならないことはお分かりですよね?っていうか、その前に家庭を大切にすることを認識しないとダメですよね。不倫また不倫の国会議員さんらには無理な課題かも。
ヘルギさん、ウッラさんご一家に豊かな祝福のありますよう。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is