こんにちは/こんばんは。
前回のブログから少し間が空いてしまいました。忙しかったわけでもないのですが、仕事でいくつか難しい案件があり、そちらに気を取られちゃってました。
さて今回は読みたての新聞の記事からひとつご紹介したいものがあります。なんというか、変な表現ですが「アイスランド的な『昭和』」?感がするものでホンワカしたものを感じる内容です。
気持ち良い土曜日の午前 我が古アパートからの青空
Pic by me
今これを書いているのは、こちらの時間で土曜日の午前十一時前なのですが、たった今読み終えたMorgunnbladidモルグンブラージィズ紙の日曜版(土曜日に出ます)に載っていたものです。
まずは日曜版ではない普通紙の一面に出ていた短い紹介が目についたのですが、「尋常でない警察沙汰、六十四年ぶりに解決」とありました。こういうの大好き。さっそく日曜版にあるまるまる4ページ分の扱いに目を通しました。(まあ、そのうち2ページは写真ですが...)
「事件」はこういうものです。遡ること六十四年、1960年の五月の初め警察に通報が入りました。シーグリズルという女性警察官が電話を受けると、レイキャビクの西街にあるKronanという雑貨店(*現在の同名のチェーンスーパーとは別物)の前の歩道に、赤ちゃんの乗ったベビーワゴンが一時間も放置されている、とのこと。
シーグリズルさんが同僚とお店に出向き、赤ちゃんを確認。お店の近所の家で尋ねましたが「どこの子かわからない」。仕方ないので車に乗せて警察署に一旦引き取りました。
1960年当時のことなので、確かではないのですが、この時の警察署はダウンタウンの真ん中にある、後に「刑務所」として使われていた黒石仕様の建物と思われます。
赤ちゃんは一歳未満と思われ、「身元不明の迷い子」「失踪」「誘拐」の間の良くわからない何かの故に「放置」されたものとみなされました。そこでラジオで呼びかけがなされました。「こういう赤ちゃんがいます。心当たりの方は乞うご連絡」
するとこれも西街にあるか家庭から「ウチの子かもしれない」と電話。午前中に授乳した後、自宅の庭でベビーワゴンに寝かせていたのだが、ラジオを聞いて確認しようとしたらいなくなっている。そこで警察官が再びベビーワゴンごと警察車両に乗せてプリンセスのようにして送り届けたとのこと。「とってもいい子だったわ」とシーグリズル婦警。
1960年の記事はここで終わっており、どういう経過で自宅の庭でお休み中の赤ちゃんが、お店の前に取り残されていたのかについての説明はありませんでした。特定の個人名も示されていなかったようです。
1960年当時話題となった報道写真
Myndin er ur Mbl.is/ Olafur K. Magnusson
ただ、赤ちゃんを送り届ける際に、警察署の前で取られた写真はとても有名な「報道写真」になりました。撮ったのはモルグンブラージィズ紙のカメラマンのオーラブル・K・マグヌススソンという人。小見出しに「赤ちゃんはジェイルに入っていくのではなく、出ていくところ」とあったそうで。
この写真は、その後2009年と2015年にも何かの機会で同紙に掲載されたことがあるそうで、60年の事件当時と今回を合わせて計四回も誌面に登場したことになります。モルグンブラージィズ社の会議室にも飾られているとか。
その後六十四年間経ちましたが、ことの経緯は不明のまま。ところがです。今年になってFacebookのグループのひとつ「(アイスランドの)古い写真」にこの写真が紹介されると、ヨハンナさんという女性が、この赤ちゃんの「伯母」だと名乗り出たそうなのです。
それを伝え聞いたモルグンブラージィズ紙の記者がヨハンナさんに連絡すると「赤ちゃんの名前はナンナといい、当時は生後十ヶ月、今も健在でスウェーデンに住んでいる、とのこと。「スウェーデンの連絡先は?」と尋ねる記者に驚きの返事:「明日、帰ってきて私のところに滞在するわ」
ヨハンナさんは今でも同じ家に住んでいるのだそうです。そこで記者は帰国したナンナさんに連絡を取り、インタビューの許可をもらってその家に出向きました。そのインタビューによって、六十四年ぶりに事の顛末が明らかにされました。
ちょっとあらかじめ説明しておきますが、昔からアイスランドでは赤ちゃんをベビーワゴンに乗せて庭とかで寝かせる習慣があります。私がアイスランドに移った1990年代でもフツーのことでした。日本とかでは考えられないことですが、それくらい安全な国だったのです。
さすがに最近ではこの習慣はなくなってきたように思われますが、特に留意してこなかったので確かではありません。
で、1960年のこの日、ナンナさんの別の伯母さんのエリサベトさんがナンナさんのお守り役になっていました。「伯母」さんといっても当時十四歳。先のヨハンナさん、このエリサベトさん、そしてナンナさんのお母さんが姉妹なのです。多分、ナンナさんのお母さんが一番上。
記事中のナンナさんの写真
Myndin er ur Mbl.is
エリサベトさんはお店で買い物をする小用があり、行きつけのKronanへベビーワゴンを押して行きました。赤ちゃんは眠っていたので、店の前に残し中へ。ところが結構混んでいて、会計に思わぬ時間がかかりました。当時は、子供の会計は一番後に回される習慣があったのだそうです。
「学校に送れる!」とパニクったエリサベトさんは一目散に学校へと走り出し、赤ちゃんはその場に残されてしまった、というわけです。誘拐でも失踪でもありませんでした。まあ大失敗ではありますね。
ちなみにナンナさんが住んでいた家とお店は歩いて七、八分の距離の近場にあります。私の古アパートから歩いても十分(じゅっぷん)はかからないところです。みんな近所。昔のレイキャビクはホントに小さかったのです。
事の経緯が不明のままの六十四年間だったのですが、実際は警察はヨハンナさんやナンナさんのお母さん、エリサベトさんからも事情を聴取し顛末を把握していました。
ただこの失敗により、エリサベトさんが不必要に傷ついたり、差晒し者になることがないように配慮して、初めの記事以上の詳細は公表しないことにしたようです。そのこと故にナンナさんも、この出来事についてはいっさい他言してこなかったと語りました。
「本当だったら、あなたにもNOと言ったでしょうが、昨日の旅疲れでガードが下がちゃった」と記者に笑ったそうです。
このようなご近所 ただ正面のお家は内容とは無関係
Myndin er ur Ja.is
記者はさらにエリサベトさんにも話しを聞いたそうです。昔の事とはいえ「赤ちゃんを忘れた」ことはいまだに反省。ただそれ以外に言いたいこともあったようで、「あのお店は年中通っていた馴染みの店だったんです。店のおじさんとも顔見知りだし、ナンナのベビーワゴンも見覚えていたはず。
それを店主は家へ連絡する代わりに、警察へ通報したんです。ただ自分の店がニュースに出て宣伝になるように。それ以降、あの店での買い物はやめたわ」
というわけで、実際には「事件」ではなくティーンの「失敗談」でした。今だったら下手をすれば「ニグレクト」とかで追求されるかも。大事に至らなかった小事が、六十四年も経ってからまたニュースになったわけです。
この話しを読んで「なんか懐かしいレイキャビクだ。アイスランド的『昭和』だなあ」と感じてしまうのは、私自身がそれだけここで「昭和化」しているということなのでしょうか。(^-^;
私のご近所さんでもある、このヨハンナさんが住んでいるお家。なんとヨハンナさんの祖父母、つまりナンナさんの曾おじいさんと曾おばあさん夫妻が、1907年に自分たちで建てた家なのだそうです。百十七歳?
さらに不思議なのは、長らく保持してきたこのお家、記者が訪ねて行った日がヨハンナさんの家としては「最終日」で、翌日に売りに出されたとのこと。不思議なめぐりあわせですね。
またひとつ「昭和」が消えていくわけですが、消えてしまう前にこの1960年の出来事の顛末を語っておきたい、という「魂」がどこかにあったのかも... なんて考えてしまいました。
(*内容によっては、公人以外の個人名は仮名にして書くようにしているのですが、今回は元の新聞記事にすべて実名で載っていましたので、そのままとしました)
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
前回のブログから少し間が空いてしまいました。忙しかったわけでもないのですが、仕事でいくつか難しい案件があり、そちらに気を取られちゃってました。
さて今回は読みたての新聞の記事からひとつご紹介したいものがあります。なんというか、変な表現ですが「アイスランド的な『昭和』」?感がするものでホンワカしたものを感じる内容です。
気持ち良い土曜日の午前 我が古アパートからの青空
Pic by me
今これを書いているのは、こちらの時間で土曜日の午前十一時前なのですが、たった今読み終えたMorgunnbladidモルグンブラージィズ紙の日曜版(土曜日に出ます)に載っていたものです。
まずは日曜版ではない普通紙の一面に出ていた短い紹介が目についたのですが、「尋常でない警察沙汰、六十四年ぶりに解決」とありました。こういうの大好き。さっそく日曜版にあるまるまる4ページ分の扱いに目を通しました。(まあ、そのうち2ページは写真ですが...)
「事件」はこういうものです。遡ること六十四年、1960年の五月の初め警察に通報が入りました。シーグリズルという女性警察官が電話を受けると、レイキャビクの西街にあるKronanという雑貨店(*現在の同名のチェーンスーパーとは別物)の前の歩道に、赤ちゃんの乗ったベビーワゴンが一時間も放置されている、とのこと。
シーグリズルさんが同僚とお店に出向き、赤ちゃんを確認。お店の近所の家で尋ねましたが「どこの子かわからない」。仕方ないので車に乗せて警察署に一旦引き取りました。
1960年当時のことなので、確かではないのですが、この時の警察署はダウンタウンの真ん中にある、後に「刑務所」として使われていた黒石仕様の建物と思われます。
赤ちゃんは一歳未満と思われ、「身元不明の迷い子」「失踪」「誘拐」の間の良くわからない何かの故に「放置」されたものとみなされました。そこでラジオで呼びかけがなされました。「こういう赤ちゃんがいます。心当たりの方は乞うご連絡」
するとこれも西街にあるか家庭から「ウチの子かもしれない」と電話。午前中に授乳した後、自宅の庭でベビーワゴンに寝かせていたのだが、ラジオを聞いて確認しようとしたらいなくなっている。そこで警察官が再びベビーワゴンごと警察車両に乗せてプリンセスのようにして送り届けたとのこと。「とってもいい子だったわ」とシーグリズル婦警。
1960年の記事はここで終わっており、どういう経過で自宅の庭でお休み中の赤ちゃんが、お店の前に取り残されていたのかについての説明はありませんでした。特定の個人名も示されていなかったようです。
1960年当時話題となった報道写真
Myndin er ur Mbl.is/ Olafur K. Magnusson
ただ、赤ちゃんを送り届ける際に、警察署の前で取られた写真はとても有名な「報道写真」になりました。撮ったのはモルグンブラージィズ紙のカメラマンのオーラブル・K・マグヌススソンという人。小見出しに「赤ちゃんはジェイルに入っていくのではなく、出ていくところ」とあったそうで。
この写真は、その後2009年と2015年にも何かの機会で同紙に掲載されたことがあるそうで、60年の事件当時と今回を合わせて計四回も誌面に登場したことになります。モルグンブラージィズ社の会議室にも飾られているとか。
その後六十四年間経ちましたが、ことの経緯は不明のまま。ところがです。今年になってFacebookのグループのひとつ「(アイスランドの)古い写真」にこの写真が紹介されると、ヨハンナさんという女性が、この赤ちゃんの「伯母」だと名乗り出たそうなのです。
それを伝え聞いたモルグンブラージィズ紙の記者がヨハンナさんに連絡すると「赤ちゃんの名前はナンナといい、当時は生後十ヶ月、今も健在でスウェーデンに住んでいる、とのこと。「スウェーデンの連絡先は?」と尋ねる記者に驚きの返事:「明日、帰ってきて私のところに滞在するわ」
ヨハンナさんは今でも同じ家に住んでいるのだそうです。そこで記者は帰国したナンナさんに連絡を取り、インタビューの許可をもらってその家に出向きました。そのインタビューによって、六十四年ぶりに事の顛末が明らかにされました。
ちょっとあらかじめ説明しておきますが、昔からアイスランドでは赤ちゃんをベビーワゴンに乗せて庭とかで寝かせる習慣があります。私がアイスランドに移った1990年代でもフツーのことでした。日本とかでは考えられないことですが、それくらい安全な国だったのです。
さすがに最近ではこの習慣はなくなってきたように思われますが、特に留意してこなかったので確かではありません。
で、1960年のこの日、ナンナさんの別の伯母さんのエリサベトさんがナンナさんのお守り役になっていました。「伯母」さんといっても当時十四歳。先のヨハンナさん、このエリサベトさん、そしてナンナさんのお母さんが姉妹なのです。多分、ナンナさんのお母さんが一番上。
記事中のナンナさんの写真
Myndin er ur Mbl.is
エリサベトさんはお店で買い物をする小用があり、行きつけのKronanへベビーワゴンを押して行きました。赤ちゃんは眠っていたので、店の前に残し中へ。ところが結構混んでいて、会計に思わぬ時間がかかりました。当時は、子供の会計は一番後に回される習慣があったのだそうです。
「学校に送れる!」とパニクったエリサベトさんは一目散に学校へと走り出し、赤ちゃんはその場に残されてしまった、というわけです。誘拐でも失踪でもありませんでした。まあ大失敗ではありますね。
ちなみにナンナさんが住んでいた家とお店は歩いて七、八分の距離の近場にあります。私の古アパートから歩いても十分(じゅっぷん)はかからないところです。みんな近所。昔のレイキャビクはホントに小さかったのです。
事の経緯が不明のままの六十四年間だったのですが、実際は警察はヨハンナさんやナンナさんのお母さん、エリサベトさんからも事情を聴取し顛末を把握していました。
ただこの失敗により、エリサベトさんが不必要に傷ついたり、差晒し者になることがないように配慮して、初めの記事以上の詳細は公表しないことにしたようです。そのこと故にナンナさんも、この出来事についてはいっさい他言してこなかったと語りました。
「本当だったら、あなたにもNOと言ったでしょうが、昨日の旅疲れでガードが下がちゃった」と記者に笑ったそうです。
このようなご近所 ただ正面のお家は内容とは無関係
Myndin er ur Ja.is
記者はさらにエリサベトさんにも話しを聞いたそうです。昔の事とはいえ「赤ちゃんを忘れた」ことはいまだに反省。ただそれ以外に言いたいこともあったようで、「あのお店は年中通っていた馴染みの店だったんです。店のおじさんとも顔見知りだし、ナンナのベビーワゴンも見覚えていたはず。
それを店主は家へ連絡する代わりに、警察へ通報したんです。ただ自分の店がニュースに出て宣伝になるように。それ以降、あの店での買い物はやめたわ」
というわけで、実際には「事件」ではなくティーンの「失敗談」でした。今だったら下手をすれば「ニグレクト」とかで追求されるかも。大事に至らなかった小事が、六十四年も経ってからまたニュースになったわけです。
この話しを読んで「なんか懐かしいレイキャビクだ。アイスランド的『昭和』だなあ」と感じてしまうのは、私自身がそれだけここで「昭和化」しているということなのでしょうか。(^-^;
私のご近所さんでもある、このヨハンナさんが住んでいるお家。なんとヨハンナさんの祖父母、つまりナンナさんの曾おじいさんと曾おばあさん夫妻が、1907年に自分たちで建てた家なのだそうです。百十七歳?
さらに不思議なのは、長らく保持してきたこのお家、記者が訪ねて行った日がヨハンナさんの家としては「最終日」で、翌日に売りに出されたとのこと。不思議なめぐりあわせですね。
またひとつ「昭和」が消えていくわけですが、消えてしまう前にこの1960年の出来事の顛末を語っておきたい、という「魂」がどこかにあったのかも... なんて考えてしまいました。
(*内容によっては、公人以外の個人名は仮名にして書くようにしているのですが、今回は元の新聞記事にすべて実名で載っていましたので、そのままとしました)
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
なんとなくサザエさんのエピソードみたい、と思って笑っちゃいました。
そして、新聞にそんなに大きく取り上げられるとは羨ましい。痛ましい事件ばかりでなく、こういったことも拾い上げてほしいなあ、と思いました。
コメントありがとうございます。サザエさんですか?(*^^*)
確かに、結果として大事ではなかったものがニュースになるのもアイスランドのような小社会の特徴かもしれませんね。
記事を読み終えた後、天気も良かったし、その家の前まで散歩に行ってしまいました。(住所は記事に含まれています)野次馬根性は消えていないようです。
(^-^;