昨年、2013年の6月中旬、梶川町に出現した防音ハウス。
長らく道の真ん中に鎮座していました。岐阜大仏の真横だけに大仏殿を圧倒するような物体はいやがうえに目立ちます。
季節は移り、夏から秋。そして冬。
その冬がようやく終わりに近づいた2月中旬。防音ハウスの形が変わりだしました。カバーが取り外され、骨組みも少しづつ解体されて、3月11日には完全になくなってしまいました。
できた当初は無粋だから早く撤去してほしいと書きましたが、慣れというのは恐ろしいもので、毎日見慣れていたものがなくなると、妙に寂しいです(ー_ー)
ところで、この防音ハウスの中(地下)で行われていたことは何でしょう?
もともとが梶川町貯留槽工事ですから掘削作業であることはわかります。横に立ててあった看板を写しておきました。
(クリックすると大きな画像が見られます)
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ということで、防音ハウスを作る前から地下では工事がなされていたわけです。目に見えない所での工事だけに色々な困難や苦労があるでしょう。
早く完成して貯留槽のお披露目をしてもらいたいものです。
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長らく道の真ん中に鎮座していました。岐阜大仏の真横だけに大仏殿を圧倒するような物体はいやがうえに目立ちます。
季節は移り、夏から秋。そして冬。
その冬がようやく終わりに近づいた2月中旬。防音ハウスの形が変わりだしました。カバーが取り外され、骨組みも少しづつ解体されて、3月11日には完全になくなってしまいました。
できた当初は無粋だから早く撤去してほしいと書きましたが、慣れというのは恐ろしいもので、毎日見慣れていたものがなくなると、妙に寂しいです(ー_ー)
ところで、この防音ハウスの中(地下)で行われていたことは何でしょう?
もともとが梶川町貯留槽工事ですから掘削作業であることはわかります。横に立ててあった看板を写しておきました。
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ということで、防音ハウスを作る前から地下では工事がなされていたわけです。目に見えない所での工事だけに色々な困難や苦労があるでしょう。
早く完成して貯留槽のお披露目をしてもらいたいものです。
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