昭和 58 年頃の週刊朝日連載記事「ひいきの宿」から抜け出せなくなってしまいました。今回は 84 番目の連載、アン・ヘリングさんの「ホテル音羽屋」(米沢)です。
江戸~現代の児童文学研究家、法政大学教授であったヘリングさんについては、ネット上に遠藤寛子さん(児童文学者)の「えにし」という一文を発見し、どんな方かぼんやりと理解しました。
明治文学ゆかりの宿 アン・ヘリング
「東北、すなわち片田舎」と、気候的にもっと恵まれた地方の人々は、なぜか思いがちである。しかし、東北の古い城下町から生まれた「冬の花」とでもいえる学問や芸術が、全国の文化にまで深い影響をあたえることがたびたびあった。
例えば、米沢市はまさにそのよい例である。明治時代だけでも、新しい出版文化を創り上げた指導者には、なんと米沢人が二人もいた。その先輩格には、「風俗画報」で有名になったかの東陽堂を創立した吾妻健三郎がいた。その吾妻氏が故郷米沢から東京の文壇に引っぱってきたのが、大橋音羽としてその名を残した渡部又太郎である。彼の雅号は実家にあたる旅館「音羽屋」に由来している。
その音羽屋は、今は本家・分家の二軒となって、きわめて健在である。かっての中心地、立町にあるのが音羽の実家である本家。
そして、一般の旅行者によく知られているのはその分家で、米沢駅前の「ホテル音羽屋」である。通人好みの和風の旧館と、こざっぱりした洋風の明るい新館とが、仲よくならんでいる。ここにもやはり、大橋音羽、勝海舟など、明治期の文化人ゆかりの資料がたくさん残されていて、泊り客を喜ばせてくれる。
近くには江戸後期から残る上杉文庫もあり、東北の一城下町で、なぜこのような文化が生まれたかを教えてくれる。紙魚(しみ)族にとって米沢は、決してただの田舎町ではない。(児童文学研究家)
掲載されている写真10.3×16.2 螺鈿の床の間や広重の本物の東海道五十三次の六双屏風のある「菊の間」
2.9×1.9大橋音羽の代表的な作品「歐山米水」 2.8×4.2家宝といえる堆朱の膳と椀。30人前そろっている。
4.0×6.0 2枚 「二代目が昭和12年に建てた本館。軒先や飾り窓などは銅板で覆ってある」「名物米沢牛のすきやき」
「編集部がつけ加えた昭和58年ごろのホテル音羽屋」
上杉家ゆかりの城下町米沢。その駅前で駅の開業より 2 年早い、明治 30 年から営んでいる。木造 3 階建ての本館には、堆朱や螺鈿をぜいたくに使った調度品や勝海舟直筆の額など、重要美術品や骨董品が多い。2 年ほど前にオープンしたビジネスホテル形式の新館とは廊下でいききできる。
●住所 山形県米沢市駅前 2 丁目1-40
●電話 0238-22-0124
●交通 奥羽線米沢駅から徒歩 1 分
●料金 ホテル 5.500~6.990円
和 室 8.500~13.000円
(1 泊 2 食付き)
●客室 シングル 31 室, ツイン2室, 和室 6 室