作家アラン・ブースは、 1946 年ロンドンの下町生まれの英国人で、1970 年来日以後ほとんど日本で活動。
1977.6.29 から 同年 11.3 まで北海道宗谷岬から鹿児島県佐多岬までを徒歩で縦断した。
1988 東京書籍から「ニッポン縦断日記」を発行。goo の blog 「一日の王」さんはこれに魅せられ人生を変えた。
なおアランさんは 1993.1 癌のため46歳で亡くなられたそうである。(全て「一日の王」さんからの引用)
昭和 58 年ごろの週刊朝日が 103 回連載した「ひいきの宿」 99 回は、アラン・ブースさんの「翠明荘(青森・弘前)」であった。
北国の思い出 アラン・ブース
ある年の十一月の初め、私は函館から東京に戻る途中、弘前に二日間ばかり立ち寄ったことがある。
汽車がホームに着くと駅員の「ヒロサキィー」「ヒロサキィー」と叫ぶ声が木造の屋根の下に響き渡った。空気が爽やかで、昔親しんだワインの味のように、ほのかに懐かしい思いがしたのを覚えている。弘前城では散り遅れた花びらが菊人形の上に舞いおり、七五三の装いをした子供達が天守閣に映えて美しかった。そして、人なつっこい笑顔。私はこの町がすっかり気に入ってしまった。城下町弘前には私に「外人」を感じさせない自由で解放的な雰囲気があったのだ。
それからしばらくして、私は巫女(いたこ)と話をするために恐山祭に行った。私の相手の巫女は目が見えなかったが、私が話し出す前に私の手を取って「外人さんですね」と言う。
「はい、でも日本語は話せます」
と答えると彼女は言ったのだった。
「そうでしょうとも。あなたは必ずしも外人とは言えませんから。三百年前、あなたは北国のここ、弘前で生まれたのです・・・・・・」
なんとよくできた話であろうか。現実にはこのように完璧な結末というものはないものだ。でもこのような話がどれほど旅の思い出を豊かにし、人生を楽しくしてくれることか。私はいっそう弘前が好きになった。(作家)
翠明荘(青森・弘前)
{囲み記事}豪農の別邸として昭和10 年に建てられた仕舞屋風の宿。千本格子が美しい。各部屋は黒檀、紫檀、杉、桐などがふんだんに使われていて贅をこらした当時の生活ぶりが偲ばれる。「心おきなくサービスしたいから」と予約客以外は取らない。弘前城まで徒歩1~2 分なので観光の足場としても便利。
●住所 青森県弘前市元寺町
●電話 0172-32-8281
●交通 国鉄弘前駅より車で7 分
●料金 8.000円~16.000円
●客室 和室16 室、 洋室 2 室 (要予約)
写真① 9 × 16 大広間。富士山の彫刻の欄間が目をひく
写真② 3.7×5.8 磨き抜かれた欅の上がり框
写真③ 3.7×5.8 女将さんに会いたくて来る客も多い
写真④ 5.1×7.8 時には女将自ら台所に立つ。「おふくろの味」のする料理