雨曇子日記

エイティライフの数々です

一球に泣いた 仙台育英佐藤世那投手

2015-08-20 18:03:43 | 野球談義

2015 夏の甲子園高校野球大会は 8 月 20 日が決勝戦。

この大会のスーパースター早実清宮、関東一オコエが消えて、やや魅力を欠くと思われたが、高校野球 100 年の悼尾を飾る、実に見ごたえのある試合となった。

 

     東海大相模  2   0   2   2   0   0   0   0   4     10

          仙台育英    0  0   3   0   0   3   0   0   0      6

 

両チーム死力を尽くしての戦いは、8 回まで 6 ー 6 、 9 回表 東海大相模は 9 番小笠原慎之介投手からの打順。佐藤世那投手が投じた第一球を一振すると、打球は右翼スタンドに吸い込まれていった。

佐藤投手には悪夢の一瞬だったことだろう。

もし、この回を 0 点で切り抜けていたら、すでに 152 球を投げていた小笠原投手のほうが力尽きていたかも知れない。

救援を仰がず投げきった両投手は勿論、野手たちの全力プレーは迫力があって、一時たりとも TV から目を離させなかった。思わず引き込まれ、私は閉会式までずーっと見続けてしまった。

 

仙台育英の 3 年 右翼手 百目木(どめき)優貴選手は、千葉県袖ヶ浦市百目木(どうめき)出身かと思ったが、仙台市立茂庭台中出身だった。

でも、千葉県出身の選手は 2 名いた。

3 年 捕手 郡司裕也  市原市ちはら台南中

2 年 投手 中島隼也  木更津市富来田中 


8 月  手賀沼緑道の花とコブハクチョウ

2015-08-19 18:13:28 | 手賀沼  秋

手賀沼への道すがら、目立つのは、百日紅の赤と、オクラ畑の黄色です。

 

             

             

     

 

ユーモラスな石像が並ぶ坂道を下って手賀沼緑道に出ると、百日紅はじめ、いろいろな花と出合いました。

 

             

             

     

             

                  (ジャスミンの香りがするクサギの花)

     

                   (勢いよく伸びるヤブガラシの花)

             

                (ヤマボウシは赤い実をつけている)

 

コブハクチョウの家族は、ヒナがすっかり大きくなって、見かけでは親鳥と区別がつきません。(親鳥は嘴が赤い)

 

     

     

 

ヒナたちは、イネの籾が気に入ったようで、田んぼに出入りしています。

 

          

             

 

「(田んぼに出入りしないように)そろそろ注意しないといけないかな」親鳥はそう思っているのではないでしょうか?

 

             


2015 わが家のタカサゴユリ  ②

2015-08-18 11:26:43 | 花散歩

去年も咲いたわが家のタカサゴユリ、8 月 18 日は満開です。

 

     

 

抜きん出て高い一本は信号灯のようです。

 

                     

 

大正 13 年に台湾から持ち込まれ、今や野生化しているタカサゴユリ、気をつけて見ると道端のあちこちで見られます。

 

     

     

 

でも、どこか気難しいこの花は突然生えて来なくなることもあり、我が家で毎年花を咲かせてくれるのは、うれしい気がします。

 

             

          

             


虎 快進撃!

2015-08-17 21:50:15 | 野球談義

公男「虎さん 甲子園を明け渡していよいよ強しだね」

虎子「長期ロードに出て、今日( 8 月 17 日)で、9 勝 3 敗と、まあまあ好調ね」

公男「 2 位ヤクルトに 3 . 5 ゲーム差をつけた」

虎子「 6 ー 1 で勝った 16 日のヤクルト戦は、 38 歳福留選手が 4 打点の大活躍」

 

公男「10 年ぶりのリーグ優勝が見えてきたね」

虎子「うーん、でも、まだまだ安心できないわ」

 

公男「ところで、甲子園はすごいことになっている」

虎子「そうそう、関東一高のオコエ・ルイ、早実の清宮幸太郎など、ビッグスターが大活躍ね」

公男「東西の東京勢が四強に進出するのは 28 年ぶりとか」

 

虎子「清宮幸太郎クン、是非阪神に来て下さい!君こそ猛虎の名にふさわしいヒーローです」

公男「でも、彼はまだ 1 年生だから、ドラフトはだいぶ先だよ」

虎子「それなら、まず、オコエ選手、来て下さい。わが阪神タイガースに!」

公男「日本ハムファイターズも待ってますよ~う」

 


柏市・鷲野谷  香取神社の彫刻

2015-08-16 21:35:27 | 柏(旧手賀村など沼南地区)を歩く

     

             

 

大町桂月の長女愛さんが嫁いできたことで知られる染谷家長屋門前の道は香取神社に行き着く。

 

             

             

 

小ぶりな神社だが、仔細に眺めると、細部にわたって立派な彫刻が施されている。

 

           

             

             

             

             

             

 

天明 8 年( 1788 )の銘のある鳥居まで行ってみると、田を渡る風が吹き上がってきた。

 

     

     

     

             

 

ここが、柏市内で一番涼しいのではないかと思われた。

 

 


戦死者の慰霊碑

2015-08-15 15:28:55 | 柏(大津川流域)を歩く

戦後 70 年の 8 月 15 日が巡ってきた。

私は 80 歳でなんとか生きながらえている。ふと思いついて、名戸ヶ谷の香取神社に自転車で出かけた。

 

     

     

 

大津川のカワウ、道端の百日紅を眺めて進み、お盆の時期なので、農家の入り口には先祖の霊を迎える花や供え物があった。

 

     

 

神社に着くと、いつもの静かなたたずまいの中で、鳥居だけがが新しくなっていた。

 

             

     

             

                  

 

いつになく、境内の戦死者慰霊碑の文言をていねいに読んだ。

 

             

 

                日中戦役 太平洋戦争  戦役者之碑 

勝敗の如何を問わず戦争ほど強烈にして無残な体験を人間に強いるものはない。

そしてわが国の史上例を見ない大戦であった日中戦争と引続いて勃発した太平洋戦争に軍人として参加した私達の場合平和を希求する目的から、この異常な戦争体験を次代に伝承すべきか否かは極めて重い問題意識として常に心を占めているところである。

この戦争に際し、戸数僅か九十六戸の名戸ヶ谷から百八名の壮丁が戦場に出た。然し「古来征戦幾人かかえる」ある者は南太平洋海域に於ける絶海の孤島に散り、ある者は熱帯の密林の中に異国の土や草木を血に染めて死んだ。

その数は二十七名、なにぶん戦場の範囲が広く、北にアリューシャン列島から南は豪州海域に及び、陸では中国大陸からインドとの国境にもわたるものだっただけに遺骨の蒐集さえ出来なかったものもあり、まさに「鬼哭シュウシュウ声天に沸く」の思いというべきであろう。

歳月の流れは容赦なく事物を風化させ、すべては歴史の中に埋没する運命にあるが、生き永らえて故国に帰った私共の責務の一端として、まず戦死者の慰霊碑を建立すべきだという事に意見の一致をみた。

そのために、幼児からなじんだ産土の神の境内に一基の碑を建て、いまは亡き戦士たちの名と私共の追憶の想いを刻んで、御霊安かれと祈るものである。

昭和 55 年 7 月 吉日   

 

 

 

 


手賀沼の蓮

2015-08-14 16:15:53 | 手賀沼  夏

             

 

2015. 8 . 13 手賀沼緑道の手賀大橋東約 500 m から東方に広がる大群生の蓮が、今年は結構咲いています。

 

             

             

 

蓮見台とでも言うべき木造の展望テラスからの蓮です。

 

             

             

                 (風で葉が裏返り白っぽく見えます)

 

展望台から緑道を更に東に進むと、しばらくは蓮が見えます。

 

     

     

             

             

 

沼と反対側の風景も涼しげです。

 

             

 

             


弁栄(べんねい)上人生誕の地“鷲野谷”

2015-08-13 21:16:31 | 柏(旧手賀村など沼南地区)を歩く

             

                     

     

 

安政 6 年( 1859 )下総・鷲野谷村の豪農山崎嘉平の長男として生まれた山崎啓之介は成人の頃まで父の許で農業に励みますが、21 歳で浄土宗の僧となります。

以来幅広い宗教活動によって大正の法然上人と呼ばれ、弁栄上人と崇められるようになります。

“ふるさとは いずこと問わば しもふさの 手賀のうらべの わしのやの里”

柏市鷲野谷医王寺薬師堂前の立派な顕彰碑は、昭和 54 年 4 月 12 日の建立です。

 

薬師堂は、東葛大師巡りの 88 番札所になっています。

 

             

     

     

 

薬師堂から石段を下りると浄土宗医王寺に出ます。

 

     

     

 

お盆の時期で、ちょうど住職の八木秀哉師がおられ、お話が伺えました。

 

     

 

法然上人の肖像画、弁栄上人の書、古い絵馬を拝見しました。

 

                  

             

             

             

             

             

 

 


2015  わが家のタカサゴユリ

2015-08-12 21:59:54 | 花散歩

去年も咲いたわが家のタカサゴユリが、今年は 8 月 12 日に最初の花をつけました。

 

     

 

この植物の一般的な丈の長さは、40 cm ~ 1 . 8 m と言われます。

わが家の日陰に育った 2 本は、約 1 . 8 m です。

 

             

           

 

日陰に育てば、日光を求めて必ず高く伸びるかといえば、そうとも限らないようです。

この株などは、その例です。

 

     

 

とも角、全ての蕾が花開いてくれるのを楽しみにしています。

 

   


連勝ならず! 大谷投手

2015-08-11 21:50:42 | 野球談義

8 月 11 日(火)西武球場の日本ハム VS 西武ライオンズ戦は岸・大谷両投手因縁の対決となった。

一ヶ月前の 7 月 10 日(金) 両投手の対決で、岸投手は一安打に抑えながらもスクイズによる 1 点で敗れている。

雪辱なるか?注目の一戦で27000 人の観客がつめかけた。

果たして試合は?白熱の投手戦となり、 7 回 日本ハムが 1 点を入れると、大谷投手がこのまま逃げ切るかと思われた。

ところが、その裏思わぬ落とし穴が待っていた。走者一人を置いてメヒア選手に一発をくらってしまったのだ。

大谷投手は、8 回を三者凡退に抑え 9 回の反撃を待ったが無得点に終わり、日本ハムは破れ岸投手のリベンジを許してしまった。

岸投手 131 球  被安打 4   奪三振 5  の内容で一点に抑えての完投だった。

        日本ハム  1 ー 2  西武ライオンズ