2月8日大人教室とコラムです。
今日は2人でした。
第9回 師匠と大師匠の墓参り
実力不足ながら1期でC級1組に昇級することができて前途洋々な気持ちでしたが、やはり成績としてはパッとしません。
注目される存在になったことでがんばらなければと、一息つきたい思いの複雑な心境ではありました。
余裕自体は出来ましたので、免許を取って車を運転するようになりました。
研究会はVS(1対1の対局での研究)のみにしました。
弟弟子の岡崎洋七段とのVSは長く続き、私が六段のころまで定期的にしていきました。
この時期平野先生から棋士になった報告を兼ねて師匠の師匠、斎藤銀次郎八段のお墓参りに行きました。
師匠はそのときしみじみと、大師匠からいつか一門の系統で名人を出したいという想いのことを話されました。
当時はよくわかっていませんでしたが、斎藤銀次郎門下では師匠の兄弟子の関口慎吾六段(贈七段)が名人候補と言われながら26歳で戦死され、無念の想いがあったわけです。
私が若いうちから弟子を取るようになったのは、そのような理由からです。
そしてご存じのように弟子の渡辺明名人が20歳で棋界最高位の竜王になり、ほぼ師匠や大師匠の夢を次の世代で実現できました。
ただ師匠は名人と言ってましたので、ようやく2年前、完全に実現することが出来ました。
さて初参加のC級1組順位戦は連敗スタートでした。
公式戦も4月から7連敗してしまいました。
順位戦は折り返しの5局までで、1勝4敗と厳しい洗礼を受けました。
この時点で公式戦は7勝13敗でした。
この星の中に大山康晴十五世名人との対局があります。
大名人との対局は、素早い動きから81手まであっという間の完敗でした。
普段の大山先生の棋風とは違った速攻で、意表をつかれました。
心理的要素も含めた、まさに盤に座って強さを感じるすごい先生でした。
大山先生とは3か月ちょっとあとの11月にまた対戦することになりました。
私の世代では大山先生と当たった方はそれほど多くないので、2局も教われるのはうれしいです。
またこの11月の対局が、私にとって大きな転機にもなりました。