旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

晴耕雨読日記 2020年(令和2年)5月18日 月曜日 朝の散歩『街中10kmコース』

2020-05-18 10:24:23 | 晴耕雨読日記
 港区といえば、「東京タワー」しか馴染みがないような気がします。


 いました。マスクを付けた「皇居ラン」。皇居外周は、場所柄24時間警察官が立って警備をしているため安全ということから、よほどの悪天候や深夜でなければ誰かしら走っているとは言われていますが、何時に起きて、どこから来て走っているんでしょうね。


 今日も5時前に出発。
 今日も昨日と同じ、今にも雨が降りそうな空です。


 今日は『街中10kmコース』。


 一面タンポポ畑。以前は水田でした。
 前回2015年(平成27年)の国勢調査での我が町の総人口は、13,524人。同じ年の農林業センサス(農林水産省が、5年ごとに農林業を営んでいるすべての農家、林家や法人を対象にした、農林業・農山村に関する調査。)での我が町の農業就業人口は、121人。身近にあった田植え風景、最近は簡単に見ることができなくなってきました。


 店内の対応が整ったのでしょうか、「車内での飲食OK‼」の張り紙がはずれていました。


 『本町』の中心部に「奥州街道」の碑が建っています。
 「奥州街道」は江戸幕府が定めた五街道の一つ「奥州道中」とも呼ばれた、厳密には宇都宮で「日光街道」から分かれ白河までを指す道と言われていますが、江戸時代後期の「五街道中細見記」には、「江戸日本橋ヨリ奥州道中筋」として三厩を終点とすると記されているそうです。
 当時、白河以北は各藩が管理していたため、仙台道・南部道・松前道等と呼ばれていたそうです。しかし明治に入り、東京・青森間の奥州街道は「陸羽街道」と改称して整備され、現在の国道4号の基となりました。


 昨日は昼頃から青空が見えてきましたが、今日は最高気温も15度以下の予想なので、どんよりとした一日になるのでしょうか。