第3章は「個人と集団」です。
個人と集団という角度からの学びは、日本では縁遠いように感じます。
なぜ、私たちは一緒に暮らしているのでしょうか?
(前略)
人間と動物の決定的な違いは、私たちが言葉をもっていること、そしてお互いに学び合えることです。歴史上、昔に何が起こったかを学ぶことで、私たちは今起こっていることについて新しい見方を実践することができます。私たちは、お互いに話をして、他人の考えや思いつき、そして経験の一部を吸収するのです。
このような能力のおかげで、私たちは協力することができます。そして、このようにして、私たちは自らの社会を発展させることができるのです。(56〜57ページ)
これに続く大学生たちの感想は「驚き」に満ちています。
- 日本の小学校では、こんなふうに歴史を学ぶ意義みたいなことはあまり教えないよね。
- 事実として覚えるものって感じながら勉強していたかもしれない。現在と過去とのつながりは意識していなかったなあー。
- 人間しかできない特別なことであって、私たちはさらにその学びから「協力」という行動を起こし、社会を発展させて行く……。う〜ん小学生の教科書なのになんだか深いね。
- 小学生なのに、主体性を持って歴史から学ぼうという姿勢が、日本と決定的に違う点なのかもしれないね。
■家族について
この後は、昔の家族の姿について話が進みます。
「100年前のスウェーデンの子どもは、別世界で暮らしているようなもの」で、部屋もなく、たくさんのおもちゃもなかったことが記されています。学校でも、家庭でも、子どもを叩くことが認められおり、子どもも叩かれても大丈夫だと思われていたと書かれています。
今、大人は、子どもの言うことをより多く聞くようになっています
今日では、子どもがどのように考えているかを、大人が尋ねるのは普通のことです。(中略)100年前は、そんなことは考えられませんでした。子どもは口を挟めなかったのです。
しかし、社会の価値観が変わりました。この100年は「子どもの世紀」と呼ばれています。1989年に国連(国際連合の国々)が、学校や家庭で大人は子どもの言うことを聞き、子どもにとって何が最善なのかを見つける努力をすべきである、という決議をしました。世界のほぼ全ての国々が、「子どもの権利条約」と呼ばれるものについて一致団結したのです。(60ページ)
大学生たちの感想では、体罰について意見交換がされていきます。私は、小学校の教科書に子どもたちが置かれてきた状態の変化を記述していることがとても大切だと感じました。「社会の価値観が変わりました」と書いてある部分は、勝手に変わったということではく、主体的に変えていくことができるというメッセージになっていると思います。
新しい家族
昔に比べて離婚が増えましたが、お母さん、お父さん、あるいは兄弟姉妹とともに暮らす子どもはとても多いです。両親は結婚していることもありますが、結婚せずに一緒に暮らすこともできます。それを「サンボ」と言います。
(中略)また、多くの子どもたちが、お父さん、お母さんと交代で暮らしています。一週間をお父さんと暮らし、次の一週間をお母さんと暮らす、と言う形です。
二人のお母さん、二人のお父さん
二人のお父さん、もしくは二人のお母さんがいる家族で暮らしている子どもがいます。2009年より、同じ性別の同性愛の人が結婚できるようになりました。こうして結婚した人たちは、結婚しているほかの人々と同じ権利を持っています。(62〜63ページ)
家族の形が多様であることを、教科書で書いていることの意義はとても大きいと思います。「みんな同じ」ではなく「みんな違っていい」と捉えることを支える力になります。著作権があるので、ここで紹介するのは差し控えますが、「今の家族」「昔の家族」として描かれているイラストがとてもいいのです。
さらに、離婚について、踏み込んで記されています。その最後の一文には「『子どもの権利条約』よると、地方裁判所はいつでも子どもにとって最良の決定をしなくてはいけません。親たちは、子どもの未来にかかわる決定をする前に、子ども自身の意見を聞かなくてはいけません」(66ページ)とあります。
徹底的に子どもの権利を中心にした記述になっています。子どもの権利条約の視点が、教科書の隅々まで行き渡っているだけではなく、子どもたちが実際の生活の目線から物事を捉えられるような工夫が随所に見られます。
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