宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「狙ったものを手にする盛運と没落」

2006年09月11日 | Weblog
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「勤め人とも遊び人ともつかぬ一種独特の
風格を持つ三十年輩の男性が運勢を占って
欲しいと言ってきました。

『あなたは近く莫大な遺産を相続します。
狙いをつけたあらゆるものを手に入れる事が
出来ますが、よほど厳しくしないと全財産を
失います。田園生活は幸せをよび、都会は危険
ですから田舎で活動なさる事をお勧めします。』

その彼は田舎の父母の財産を相続する事になり、
とたんに富豪となりました。彼は田園生活の幸運の
暗示であるからと、目をつけたのがアメリカの西海岸に
近い砂漠の中の賭博の街のラスベガスでした。
そこで彼は大儲けが続き、美しい女性を数十名と口説き
落としていきました。

その彼が、金を生んだ幸運の街ラスベガスで最後には
負けに負けて、終に殆どの財産をなくしてしまいました。
ハーレムに数千の女性を囲う彼の夢は破れて、小さな
田舎住まいの身分に没落しましたが、腐っても鯛、
かつての王者の毅然たる態度を残しているのでした。」
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身につけるのみで大金や異性や財産が手に入るという
装飾品などがずっと以前から名前や外観を少しずつ
変えながら販売されていますが、こうしたものに対して
「もしその商品に本当にそれだけの効能があるならば、
自分なら販売する事は考えない。」と言った人がいました。

また近年のこうしたものの広告や宣伝を見ると、それを身に
着けた男性の周囲に女性達をはべらしたり札束を手にさせたり
するなどして真に迫ったものにしようとする苦心が見られますが、
人間にとっての真の幸福とは何か、少々考えてしまいました。

人間の幸福とは何かという話題の所で、極論としてこうした
たとえ話がありました。

「金銭的に豊かになり沢山の異性を得る事を熱望していた
一人の男性が、そうした求めるものを簡単に得られる力を
身につけました。
その後賭け事をすれば全て勝ち、金銭は努力せずとも
いくらでも得る事が出来ました。
また道で口笛を吹くだけで近くの女性が必ず喜んで寄り
付いてきました。
こうして男は際限なく金銭と異性を得る事となりましたが、
男は幸せを感じるどころか、『もういらない!こんな力など
ない方がよかった!』と言いました。」
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