不動明王と八大童子に供物を捧げて誦します。
「敬礼 大日如来(けいらい だいにちにょらい)
敬礼 不動明王(けいらい ふどうみょうおう)
敬礼 慧光童子(けいらい えこうどうじ)
敬礼 慧喜童子(けいらい えきどうじ)
敬礼 阿耨達童子(けいらい あのくたどうじ)
敬礼 指徳童子(けいらい しとくどうじ)
敬礼 烏倶婆ぎゃ童子(けいらい うぐばぎゃどうじ)
敬礼 清浄比丘 (けいらいしょうじょうびく)
敬礼 矜羯羅童子(けいらい こんがらどうじ)
敬礼 制た迦童子(けいらいせいたかどうじ)。」
「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
福智無辺誓願集(ふくちむへんせいがんしゅう)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
如来無辺誓願仕(にょらいむへんせいがんし)
無上菩提誓願証(むじょうぼだいせいがんしょう)。」
何遍も誦す。
「ナマー・サマンタ・ヴァジュラナン・カン。」
何遍も誦す。
「ナマ・サマンマンタ・ヴァジュラナンセンダ
マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン。」
(回向)
「願以此功徳(がんにしくどく)
回向一切有情衆生(えこういっさいうじょうしゅじょう)
得暫時之楽(とくざんじしらく)
究竟証得大日普賢位(くきょうしょうとくだいにちふげんい)。」
「文昌帝君 警世宝誥」
この「文昌帝君 警世宝誥」は
清代に出版されたものに記載されていたもので、
宝誥の最後に 「功過格」の基準に従って、
この宝誥を他者に教えて 他者に善事を勧めるならば
功が得られると書かれおり、
また実際に 大陸の中で色々な人が
この経文を他者に教えたり
焼香して 誦す事を繰り返した功徳によって
難病が完治したとか 危篤状態から健康を回復した、
神や神童が出現したなどの霊験を報告しており、
「太上感応経」と同様に 霊験非常として知られています。
「帝君曰(ていくんわつ)
天地一大父母也(てんちいちだいふぼや)
父母之於子無不愛(ふぼしおしむふあい)
天地之於人亦無不愛(てんちしおじんやくむふあい)
則必使人人飽暖也(そくひっしじんじんほうだんや)
人人安寧也(じんじんあんねいや)
人人寿考也(じんじんじゅこうや)
然而飢寒者不免(ねんにきかんしゃふめん)
危難者不免(きなんしゃふめん)
夭折者不免(ようせつしゃふめん)
斯亦慘矣(しやくさんい)
又有兵戈以そう之(ゆううひょうかにそうし)
瘟疫以そう之(うんえきにそうし)
旱乾水泛以そう之(かんけんすいほうにそうし)
死者血流屍積(ししゃけつりゅうししゃく)
生者東奔西馳(せいしゃとうほんせいち)
困苦千般(こんくせんばん)
顛連万状(てんれんばんじょう)
嗚呼(ああ)
天地誠何心哉(てんちせいかしんや)
既生之而又殺之(きせいしにゆうさつし)
然且怨天地之不仁(ねんしゃおんてんちしふじん)
而不知天地実有無可如何者(にふちてんちじつうむかにょかしゃ)
人悲之(じんひし)
天地更悲之也(てんちこうひしや)
人為人悲之(じんいじんひし)
天地早為人悲之也(てんちそういじんひしや)
天地為人悲之(てんちいじんひし)
而不能為人宥也(にふのういじんしょくや)
何也(かや)
人為之非天地為之也(じんいしひてんちいしや)
非天地為之(ひてんちいし)
天地何能為人宥也(てんちかのういじんしょくしゃ)
人自為之(じんじいし)
人又何得怨天地也(じんゆうかとくおんてんちや)
何言乎人自為之也(かごんこじんじいししゃ)
人之所以為人者理也(じんししょにいじんしゃりや)
理亡斯人亡也(りぼうしじんぼうや)
為臣者不忠也(いしんしゃふちゅうや)
為子者不孝也(いししゃふこうや)
為兄者不友也(いけいしゃふゆうや)
為弟者不恭也(いれいしゃふきょうや)
為夫者不義也(いふしゃふぎや)
為婦者不順也(いふしゃふじゅんや)
為長者不恵也(いちょうじゃふけいや)
為幼者不敬也(いようしゃふけいや)
為師者不厳也(いししゃふごんや)
為友者不信也(いゆうしゃふしんや)
士競文芸而忽徳行也(しきょうぶんげいにこつとくぎょうや)
農図良田而昧心地也(のうずりょうでんにまいしんじや)
工作偽而弗作徳也(こうあくぎにふっさくとくや)
商見利而弗見義也(しょうけんりにふっけんぎや)
官為家而無赤心為国也(かんいかにむせきしんいこくや)
吏為私而無実心為公也(りいしにむじつしんいこうや)
理刑名者忘善俗之遠猷也(りけいめいしゃぼうぜんぞくしえんゆうや)
司教訓者昧明倫之先務也(しきょうくんしゃまいめいりんしせんむや)
僧道滅綱常而傷風化也(そうどうめつこうじょうにしょうふうかや)
娼優棄廉恥而蠱愚頑也(しょうゆうきれんちにこぐがんや)
隸卒假虎威而蠹編氓也(れいそつかこいにとへんぼうや)
豪強肆鯨呑而凌寡弱也(ごうきょうしげいどんいりょうかじゃくや)
雜流矜奇異而蔵陰険也(ぞうるきょうきいにぞういんけんや)
遊民結黨羽而逞陰謀也(ゆうみんけつとううにていいんぼうや)
邪淫者比比(じゃいんしゃひひ)
奸詐者多多也(かんさしゃたたや)
腥聞在上(せいもんざいじょう)
黒気触空(こくきしょくくう)
是以劫数定而災害臨也(ぜにごうすうじょうにさいがいりんや)
然而天地甚愛人(ねんにてんちじんあいじん)
非遽以災害そう人也(ひりょにさいがいそうじんや)
其初亦望人悔過遷善而消此大劫也(ごしょやくぼうじんかいかせんぜんにしょうしだいごうや)
是故(ぜこ)
春之元(しゅんしげん)
教人以仁也(きょうにんにじんや)
夏之亨(かしこう)
教人以義也(きょうじんにぎや)
秋之利(しゅうしり)
教人以礼也(きょうじんにらいや)
冬之貞(とうしてい)
教人以智也(きょうじんにちや)
日之昃月之食(にっしそくがつししょく)
教人以持盈而戒満也(きょうじんにじえいにかいまんや)
雷之迅風之烈(らいしじんふうしれつ)
教人以恐懼而修省也(きょうじんにきょうくにしゅせいや)
人有不明之事(じんうふめいしじ)
天無不報之條(てんむふほうしじょう)
如一切飢寒危難夭折之迭出錯見者(にょいっさいきかんきなんようせつしてっしゅつさくけんしゃ)
無非欲以小懲大(むひよくにしょうちょうだい)
以一警衆也(にいっけいしゅや)
使人人体天地愛人之心(しじんじんたいてんちあいじんししん)
而望人悔過遷善者也(にぼうじんかいかせんぜんしゃや)
何至末劫臨頭(かしまつごうりんとう)
如此其惨也(にょしごさんや)
惟天地厚愛人而人不知(ゆいてんじこうあいじんにじんふち)
厚望人而人不覚(こうぼうじんにじんふかく)
悪業太重(あくごうたいちょう)
悪類太繁(あくるいたいはん)
尋常災害(じんじょうさいがい)
掃除不尽而大劫始臨也(そうじょふじんにたいごうしりんや)
兵戈所不及者瘟疫以そう之(ひょうかしょふきゅうしゃうんえきにそうし)
瘟疫所不及者(うんえきしょふきゅうしゃ)
旱乾水泛以そう之(かんけんすいぼうにそうし)
嗚呼(ああ)
天地誠何心哉(てんちせいかしんや)
吾奉上帝命(ごぶじょうていめい)
飛鸞開化(ひらんかいか)
所以正人心(しょにせいじんしん)
而救末劫者無不至矣(にきゅうまつほうしゃむふしい)
而人心卒不可正(にじんしんそつふかせい)
末劫卒不可救者(まつごうそつふかきゅうしゃ)
人之迷也(じんしめいや)
迷於前(めいおぜん)
吾猶冀其悟於後(ごゆうきごごおご)
故茲大劫既臨之余(こじたいごうきりんしよ)
復諄諄為爾世人言之(ぶじゅんじゅんいにせじんごんし)
使爾世人知(しにせじんち)
天地之愛人如此其深(てんちしあいじんにょしごじん)
天地之望人如此其切(てんちしぼうじんにょしごせつ)
庶乎末劫(しょこまつごう)
不能救於已往者(ふのうきゅうおいおうしゃ)
猶或可救於将来也(ゆうこくかきゅうおしょうらいや)
爾世人其速速悔過(にせじんごそくそくかいか)
速速遷善(そくそくせんぜん)
勿負天地厚愛人之心也(ぶつふてんちこうあいじんししんや)
勿負天地厚望人之心也(ぶつふてんちこうぼうじんししにゃ)
其遭劫而死者(ごそうぐうにししゃ)
愛之無可愛也(あいしむかあいや)
是自絶也(ぜじぜつや)
其遭劫而未至於死者(ごそうごうにみしおししゃ)
望之猶可望也(ぼうしゆうかぼうや)
宜自新也(ぎじしんや)
其未遭劫而安享太平者(ごみそうごうにあんきょうたいへいしゃ)
天地厚愛之厚望之也(てんちこうあいしこうぼうしや)
宜自省而自修也(ぎじせいにじしゅうや)
勿失愛而失望也(ぶつしつあいしつぼうや)
慎之慎之(しんし しんし)
一言恐天地聞之也(いちごんきょうてんちもんしや)
一行恐天地見之也(いちぎょうきょうてんちけんしや)
一念恐天地窺之也(いちねんきょうてんちきしや)
人可瞞(じんかまん)
天地不可瞞也(てんちふかまんや)
人可欺(じんかぎ)
天地不可欺也(てんちふかぎや)
天地在吾心(てんちざいごしん)
吾心即天地也(ごしんそくてんちや)
時時不昧心(じじふまいしん)
即時時敬天地也(そくじじけいてんちや)
吾心時時敬天地(ごしんじじけいてんち)
天地即時時佑吾身也(てんちそくじじゆうごしんや)
天地時時佑吾身(てんちじじゆうごしん)
則百福駢臻(そくひゃくふくべいしん)
千祥雲集(せんしょううんしゅう)
又何災害之不可弭(ゆうかさいがいしふかび)
何劫数之不可消也(かごうすうしふかしょうや)
世人見吾訓者(せじんけんごくんしゃ)
其思之(ごしし)
其細思之(ごさいしし)
為愚夫愚婦講説之(いぐふぐふこうせつし)
鈔写而伝送之(しょうしゃにでんそうし)
刊印而広布之(かんいんにこうふし)
勧人一善(かんじんいちぜん)
准五十功(じゅんごじゅっこう)
勧人十善(かんじんじゅうぜん)
准五百功(じゅんごひゃくこう)
造福良非浅也(ぞうふくりょいひせんや)
勉之勉之(べんし べんし)。」
「ウパク尊者の加持を受ける」
(ウパク尊者)
ウパク尊者の図像に 灯明や香などを捧げて誦す事で
障が除かれ 幸や福徳が得られ
賊難が去り 良い人縁が得られるとされ
特に世間財(現世的な豊かさ)を強く願う場合は
器の中に 緑色の半貴石の粒を敷いて
その上にウパク尊者の像を置き、
そして ウパク尊者の像に 日々 食物を捧げて供養して誦します。
「マハー・ウパクト・マハー・ラー(Lの発音)ポ
プットラー(Lの発音)パン・サッペ・チャナー
パホー・チャナー・ブリソ・イテーヨマー
ナモ・ジョエラー・メター・ジダン・エヒ・ジタン・ジタン
ビヤン・ママ・サテワガン・マヌッサーナン・サッパ・ラー(Lの発音)パン
パワントゥメ・エヒジティ・ジタン・パンタナン・ウパクタ・ジャ・マハー・テロ
プッタサーワガ・アヌパーウェナ・マーラ・ウィチャヤ・ニラパヤ・テチャブニャタ
ジャ・テワターナムビ・マヌッサーナムビ・エヒ・ジタン・ビヤン・ママ
イマンカーヤ・パンタナン・アティターミ・バ・アッイースタン・ウバジュサイ。」