3月1日は、ビキニデーです。
1954年3月1日に、アメリカは太平洋ビキニ環礁で、広島型原爆の約1,000倍の威力を持つ水爆実験を行いました。この実験によって、マーシャル諸島の人々や多くの日本漁船などが被災しました。
日本のマグロ漁船「第五福竜丸」は危険区域外での操業中であったにもかかわらず「死の灰」を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長であった久保山愛吉さん(当時40歳)は、「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残して、その年の9月に亡くなりました。
この3.1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃を与え、広島・長崎を繰り返させるなと、原水爆禁止の声が巻き起こりました。
翌年1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、ビキニ事件はその後広がっていく原水爆禁止運動の発端ともなった事件でした。
3月1日のビキニデー行動では、故久保山愛吉さんが生前愛し、妻のすずさんが育ててきたバラを非核・平和のシンボルとして配りながら署名宣伝行動を行なっています。
今年のビキニデーも、熊本市中心商店街下通入口で、署名宣伝行動を行いました。
今年は、被爆80年の節目の年です。
昨年は、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。
1日も早く、日本政府が核兵器禁止条約を署名・批准するよう、頑張る一年にしていきたいと思います。
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1954年3月1日に、アメリカは太平洋ビキニ環礁で、広島型原爆の約1,000倍の威力を持つ水爆実験を行いました。この実験によって、マーシャル諸島の人々や多くの日本漁船などが被災しました。
日本のマグロ漁船「第五福竜丸」は危険区域外での操業中であったにもかかわらず「死の灰」を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長であった久保山愛吉さん(当時40歳)は、「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残して、その年の9月に亡くなりました。
この3.1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃を与え、広島・長崎を繰り返させるなと、原水爆禁止の声が巻き起こりました。
翌年1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、ビキニ事件はその後広がっていく原水爆禁止運動の発端ともなった事件でした。
3月1日のビキニデー行動では、故久保山愛吉さんが生前愛し、妻のすずさんが育ててきたバラを非核・平和のシンボルとして配りながら署名宣伝行動を行なっています。
今年のビキニデーも、熊本市中心商店街下通入口で、署名宣伝行動を行いました。
今年は、被爆80年の節目の年です。
昨年は、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。
1日も早く、日本政府が核兵器禁止条約を署名・批准するよう、頑張る一年にしていきたいと思います。
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