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うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

水木しげるさん

2015年11月30日 | 社会・経済

NHKのニュースをリンクしておきます。すぐに切れるかな。

妖怪や鬼太郎の漫画で有名な方だったが、僕にとっては戦争で九死に一生を得た経験を漫画や本などで世に問い続けた方、という印象が強い。

前にも半藤一利さんのことを書いたときに触れたが、水木さんも、無念の死を遂げた戦友たちが、自分たちの思いを伝えるために、彼を生かせ続けてきたのではないか、という気がしていた。

ご冥福をお祈りいたします。

 

以前から本屋に行くたびに、水木さんの本を買おうと手に取るのだが、まだ読んだことはない。

Amazonでいくつかさがしてみたが・・。「総員玉砕せよ!」はベストセラー1位になっていて、一時的に在庫切れ、入荷時期は未定です、という表示になっている。「敗走記」も、「水木しげるのラバウル戦記」も軒並み売り切れみたいだ・・。「総員-」などは、中古で100,000円の値札を付けている店がある。なんだ、これは。

 

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千鳥足の観察、スマートキーなど

2015年11月29日 | 鉄道、車、のりもの

昨夜は同級飲みで、久しぶりに楽しんだ次第です。

ただ、まだ風邪の症状が残っていて、体調は万全ではない。

同じ道を女の子と歩いている間はまだしっかりしていたつもり、でしたが、一人になってからはどうも足元がおぼつかなくなった。

9月にも千鳥足状況を経験したことはありましたが、あの時よりも酔いはちょっとつよいみたいで、歩きにくい。

千鳥足なんて、この年まであまり経験したことはなかった気がするけどなあ。

不思議と、意識ははっきりしていて、自分の状況は理解できている。

ただ、体がすこしいうことを聞かない。

それと、以前は周りに歩行者や自転車などがいると、変な様子を見せまいとしてしゃきっと歩く努力をしたが、今回はちょっと厳しい。

なんとか、車のライトが見えたら立ち止まるとか、ほかの歩行者の邪魔にならないようにするのが精いっぱい。

歩いている自分を観察すると、左右に足を踏ん張りながら、前に進もうとしているが、上体が少し安定しない。

興味深いのは、気を付けないと右側にくるっと回ってしまうことだ。右足より左足の制御のほうが難しいのだろうか。気を付けていても、なんどか右側に体が回ってしまった。

それと、何百メートルかおきに、すとんと歩みが止まってしまう。止まりたいわけではないのだが、意識して前進しようと思わないと、一休みモードになってしまうのだ。

そんな状態ではあったが、ちゃんとコンビニに行って、183円のペットボトルを買うのに100円玉2枚と1円玉3枚渡して、おつりを忘れてレシートだけ出してきた店員に注意することができたのだから、不思議なものだ。まあ、運動神経が先に落ちてきたってことなんですかねえ。

 

 

さて、話は変わります。

今日は実家で、親の補聴器を買ったり、竹ぼうきを買ったり。

車を出そうとしたら、リモコンキーが動かなくなっていました。

付属の金属キーを、初めて引き出して使った。

エンジンはかかるが、ダッシュパネルにバッテリーサインが。

買い物のついでに、ディーラーまで行って電池交換してもらう。

電池の寿命はこんなもの、だいたい2,3年くらいだという(ただ、以前の車で電池交換した記憶、ないんだよね・・。)。交換に工賃はかからず、398円ですぐできた。

これだけなのに、ディーラーの女の子はコーヒーと茶菓子を出してくれて、車を出すときも外に出て深々とお辞儀をしてくれる。ありがたいですけど、なんだか申し訳ない気もしてきてしまいます・。

待っている間に、S660のカタログをもらってきてしまいました。

 

ミニヴァンばかりになって、車好きにはちょっと寂しい(「村上さんのところ」で、村上春樹氏がミニヴァンのことを「なんだか物置が走っているみたい・・と評していましたが・・ミニヴァンオーナーには申し訳ないですが、ちょっと笑えます)日本の車事情ですが、ここのところ、気合の入ったスポーツ・モデルも出ていますね。これは確かに本物ですね。

ただ、まあ価格は何とかなるにしても、実際自分のものにするには相当ハードルが高そうだな。あまりにも荷室がなさすぎるし、ロールトップだと、野天の駐車場では心配かも。色は、黄色はビートみたいでいいと思うけど、もう少し、グリーンとかも選べてもいいかも。

特に意味はないですけど、タイ焼き。

お隣からもらった、家庭菜園の蕪や水菜など。蕪の葉は鳥たちにあげてみた。

実家からは小松菜を根付きでもらったので、少し活けてみようかと。

 

 

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軽減税率やら、マタハラやら

2015年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

今週初め頃に風邪をひきかけて、熱とかは早々に収まったのだが、昨日くらいからのどが気持ち悪くて咳が出るようになってきた。外、風、冷たいし、夜は余計冷えるし。

週末、人に会ったりするのでちょっとまずいな・・。

 

さて、話はがらっと変わるが、消費税増税の際に軽減税率をどうするか、という問題が、まだくすぶっている。

以前にも、個人番号カードを使って還付請求という、素人の思いつきみたいなアイデアが報道されて叩かれまくったりしていましたね・・。

で、また、プリペイドカードを配って、と言う話が蒸し返されるように出てきています。そんなにやりたくないなら、もう複数税率にしないで9.89%とか、なんだかわからないけど、4千億円減らせるように一律増税幅を下げればいいじゃない、とおもうのですが・・。社会保障財源が問題だっていうならね。いや、1兆円なのかな?

いっそ物品税に戻したほうがいいかもしれません。

古い話ですが、僕は昭和63年9月に小型車を買って、結構な物品税(ウィキで調べたら18.5%だった由)を支払いました。同じ車を翌年4月以降に買うと、消費税3%で買えたのだから、購入金額はかなり低くなったとおもう(細かいことは忘れたけど)。ふしぎなことに(自分がまぬけだったから?)、あまりそれを気にした記憶がない。かなりの価格差だと思うけど。

商用車は非課税とか、家庭用だけど荷物室が一定程度あれば商用車扱いで税率が低いとか、いろいろ問題がありましたけどね。物品税は。

だんだんと党利党略的な議論になってきてる気がします(はじめから?)・。

テイクアウトとイートインで税率を変える、ぐらいが一番わかりやすいと思うが・・。

 

今朝、テレビを付けたら、マタハラのことを議論していた。とりあえずうちのオフィスには関係なさそう。。なのだけど、なんでこんなに今、話題になっているのだろう。

10数年前、働いていた会社は、当時としては出産、育児に関しては充実した制度を設けていたと思う。育児のため1年くらい職場を離れる人はたくさんいた。人事部の人が、自ら休みをとっていた。そういうのを見ていると、自分は関係なくても、ここはいい会社なんだな、と素直に思えた。

その後、3人チームで働いていた時、一人が産休を取り、そのまま1年の休暇に入った。ところが、外資系企業の組織は常に流動している。1年もすると環境はすっかり変わってしまい、1年前の3人チーム体制もなくなってしまった。結局、その人は職場に戻ることはできなかった。あのときは話題にならなかったが、あれはひどい話だったとおもうけどなあ。もっとも、子供のあるなしにかかわらず、誰もが等しく明日自分の居場所があるかどうか、わからない職場ではあったけど。

今のオフィスも人がすくない。

人はいろんなことで周りに迷惑をかける。

僕も昨年は、小鳥をお医者に見せるために、数週間の間、何度も午前中休んだりした。

それとこれとはちがう、って言われるかな。まあ、それは確かに。

だんだん話、まとまらなくなってきましたね。

この辺にしましょう。

 

 

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シベリウス交響曲サイクル 

2015年11月26日 | 音楽

昨夜の雨は朝まで残っていた。

雨の中駅まで行く。電車は故障か何かでひどく遅れており、来ることは来るが、ノロノロ走っていてさらに遅れていく。

昨日会社の子にあたって恥かいたので、全く体裁が悪いのだが、遅れます、とメールする。 なに、そういう恥の上塗りをすることこそが人生だ。

すし詰めの車内、隣の若い男は、音漏れさせながらスマホでゲームをしている。こんなものがあるからマナーが悪い奴が増えるんだ、と思うが、まて、もしかしたら、こんな混みあう電車があるから、スマホが存分に使えない、というほうが正しいのだろうか、とか思ってしまった・・。

すみません、前置きが長すぎた。

そんな一日の始まりだったが、今日は夕方に楽しみが一つ残っている。

今年はシベリウス生誕150周年なのだそうだ。

1865年。日本だと幕末。アメリカだと南北戦争の直後。

亡くなったのは1957年。喜びも悲しみも幾年月が公開された年だ・・(なんだ、それは)。

交響曲は1900年から1924年にかけて、7曲が作曲されている。

この、作曲家生誕150年を記念して、オッコ・カム指揮、フィンランド・ラハティ交響楽団の演奏で、3日間で交響曲全曲と、ヴァオリン協奏曲を演奏するサイクルが企画された。1日目が今日で、第1番、第2番。 27日(金)が、VCと3番、4番。そして29日(日)に、5番から7番までが演奏される。

日程の都合もあるが、どれを聞きたいか、と考えた。後半番号のものは、音楽的には洗練されているようだが、ちょっと初心者にはわかりにくいかな、という気もする。

2日目のVCも聞きたいが、結局なじみ深い2番が演奏される、今日にした。

ほぼ定時でオフィスを出て、初台へ向かう。めったに使わない地下鉄(都営線)を使ったので、時間につくか心配だったが、スムーズに行けた。

オペラシティコンサートホールは、実は初めて。

木曜日だが、観客席はほぼ満席。

楽団員たちが入ってくると・・なんか、みんな背が高いですね。ステージがとても狭く見える。

マエストロは黒の詰襟みたいな衣装でやってきた。彼もそれほど背が低いほうではないと思うが、周りがみんな大きいせいで、目立たなく感じる。

譜面を見ながら、座って指揮をしていた。

気の利いた演奏評は書けそうにないが、メリハリとスピード感のある、活気ある演奏だった。

第1番という曲自体、けっこう生き生きした曲調だ。この作曲家がわりと「新しい」作曲家であることを思い出した。

マーラーの交響曲だと、どのへんにあたるのだろう・・、って、今はすぐ調べられますね。だいたい4番、5番辺りらしいです。

休憩。みんなワインとか飲んでいて、うまそうだけど、アルコール弱いから我慢。グレープフルーツです。

廊下でトイレ待ちしてたら、楽団員がずっと雑談していた。ぜんぜん聞きなれない言葉だが、あえていえばドイツ語風に聞こえないこともない・・。

2番はシベリウスの交響曲の中では一番有名な曲だ。それほど深淵ではなく、シベリウスらしい、北欧の自然を思わせる雰囲気もある。

指揮者もそうだが、楽団員たちも熱がこもっていて、かなり派手なアクションで演奏していた。

アンコールは3度も応じてくれました。

楽しみました。

休憩して、SNSに書き込んだりしました。

オフィス近くのツリーは飽きてきたけど、ここはまた違う装いで・・。

というわけで、楽しかったです。

ちょっとは気が晴れました。

 

 

 

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秋時雨

2015年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

朝、コートを着てきてよかった。

予報にも出ていたが、今日は急に冷え込んだ。おまけに雨だ。

 

先月までのほほんと仕事していた(わけないな。結構カリカリして、呆れながらとっとと切り上げていた)。

が、今月から同僚が療養しているので、遅くなることが多くなった。

オフィスを出たときは偶々小やみになっていたが、乗換駅で地上に出たら、雨足が強くなっている。

電車の窓ガラス越しに外を見るが、ガラスを雨滴が流れているところを見ると、まだ強く降っているのだろう。

雨も、急な寒さも、心を滅入らせる。

Raindrops keep fallin' on my head
Just like the guy whose feet are too big for his bed
Nothing seems to fit..

今が悪い時期だと思えているうちはまだましだ。

いつかはよくなると思えるから。これが普通だとか、これでも良いとかいう話になると、ちょっと・・。

・・残念ながら、自分がこれからツイてくるという予感は、からだ中探してもどこにもないみたいだ。

さて、ボヤキはこのへんにして・。

さいきん、Galaxyでばかり写真を撮っているが(今日のも、昨日の池の写真もそうだ)、オートできれいに撮れるし、なにより手元にいつもあるので、それも道理だと思う。

ただ、僕はもともとその辺の感覚が合理的でなくて、きれいなものを見ると、やはりちゃんとしたカメラで撮れればな、と思う。

ここ数年、手元に置いておくことがいちばん多かったのは、Pentax Q10だった。なにより小さいのがいい。

ただ、もともと画質はあまり期待できないのと、フルオートで何でもきれいに撮れるとは限らないのが難点(同時に長所でもあるが。)

ときどき、何か別のものに替えられないかな、と思うことがある。

今、Qシリーズ最新(発売は'14年秋)のQ-S1が安い。ボディだけだと、量販店でも29千円くらいだ。

レンズはそのまま使えるので、ボディだけでもなんとかなる。

ただまあ、せっかくオーダーカラーであつらえたQ10ももうちょっと使いたいし、動作が遅くて癖があるけど、使いこなせばいいし、それにQシリーズは今、ライバルに囲まれて難しい時期だし・・。そう、僕がQ10を買って間もなく登場した、Lumix GM系などは、サイズはQシリーズと直接かぶる。僕はMFTユーザーだし、もしQ10を買うときにGMが出ていたら、どうするか真剣に悩んだことだろう。

GMシリーズって、最初のは2年前に出て、昨年マイナーチェンジしたらしい。価格はかなり下がっている。画質はまあ、こちらのほうがずっと上だろうね。

もう一つ、GFシリーズもかなり小型化されて、魅力的な存在になっている。

GM系よりすこしだけ大きいので、操作性にも癖がない、などの長所があるらしい。

カタログを見ると、ダブルレンズキットしかラインナップがないみたいだね。

このあたりを使えば、今Q10に感じているストレスを解消できるかなあ。

ただ、Qのレンズが生かせない。。

ま、そうやって迷っていると、少しは気がまぎれるね。。

 

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トルストイ「光あるうち光の中を歩め」

2015年11月24日 | 本と雑誌

原久一郎訳 新潮文庫

表紙の写真は先日まとめて撮ったものだが、隅が妙にぼけている。。PLフィルターが曇ってる?

 

 

書店の外国文学コーナーを見ていたら、これが平積み、というか表紙をこちら側に向けて展示してあった。ので、読んでみることに。

 

原始キリスト教時代、キリキヤの国タルソの町で、宝石商を営むユヴェナリスの息子ユリウスと、その学友パンフィリウスの物語。

パンフィリウスは家庭の都合で学問半ばで町を去る。ユリウスが次にパンフィリウスに出会った時、彼はキリスト教徒になっていた。

パンフィリウスは自分たちの暮らしを一度見てほしいと、ユリウスに説くが、ユリウスは内心心惹かれながらもすぐには行動せず、やがて日常生活にかまけて友のことを忘れる。

以後、ユリウスは金持ちの子息らしく、放蕩にふけったり、親と確執を起こしたり、また改心して身を固めてみるが、すぐに結婚生活に飽いたりと、俗世間にまみれて心安らぐことができずにいた。パンフィリウスはそんな彼の節目節目に姿を見せ、再び彼をキリスト教徒のもとに誘う。ユリウスはその度に神の道へ導かれようとするが、偶々出会った通行人に説得されたりして、なかなか心が固まらずにいる。

そうしているうちに、ユリウスの息子も成人し、自分がそうであったように遊戯にふけり、親を失望させるような行為をとる。かつて彼よりも改宗に熱心だった妻も今は亡く、自分は政治的に危うい立場に立たされている。

ユリウスは妻の部屋に行き、福音書を見つけて開いてみる。

『すべて疲れたる者、また重荷を負える者はわれに来たれ。われ汝らを休ません』

ついに彼は友の暮らすを訪ねる。パンフィリウスは来訪を喜び、ここでは今葡萄の収穫をしているから、明日それを手伝ってほしいという。

「どこが君のいるべき場所か、君は自分でわかるでしょう」

翌朝、ユリウスは葡萄畑に行き、まず若木がたくさんの房を垂らしているところに行く。しかし、そこは若者たちがおおぜいで収穫をしており、自分の場所を見つけることはできなかった。

彼は先に進み、少し古い葡萄畑に行く。実はやや少ない。しかし、そこではみな二人ずつ組になって働いており、彼のすべき仕事はなかった。

さらに進むと、老木の生える畑があった。畑は空っぽで、一粒の房もないように思われた。

「全くそうだ、俺の生涯もこのとおりだ」と彼はつぶやいた。

「もし俺が、最初の機会にここにきていたら、俺の生涯も最初の畑の果実のようだったろう。二度目に思い立ってきていたら、二番目の畑の果実のようだったろう。だが、現在の俺の生活は-ただ焚き付けに役立つだけの、老いぼれた蔓とおなじことだ」

ユリウスは自分の生涯を振り返り、驚き、悲しむ。

「俺は何の役にも立たない。今となってはもう何一つできない」

すると突然、老人から声をかけられる。

「働きなさいよ、兄弟」

老人から房の探し方を教わり、いくつかの房を見つける。

老人は言う。

「『光あるうち光の中を歩め』と我々の教祖は言われた。嘆くな、お若いの。我々は一人残らず神の子で、下僕なのだ。神のもとには大きいもの小さいものなどありはせぬ。あるのはただ、真っすぐなものとまがったものばかりじゃ。過ぎ去ったこと、大きいこと、また小さいことを考えるな。」

こうしてユリウスは安心し、喜びのうちに長く生きた。

というような、お話でした。

 

 

キリスト教の寓話には詳しくないが、おそらく物語自体はトルストイの創作なのだろう。

とりあえず、福音書の引用であるとか、そういうことは置いておくとしよう。

で、最近自分の歩んできた道を振り返りながら、嘆くことしきりの僕としては、なんだか身につまされる話ではあるなあ、と思いながら読んだ。

中学生の時に、アンドレ・ジイドなどを読んだが、まだ人生の何たるかをわからない若いころに読んで、どれだけのことがつかめたのかどうか。野口悠紀雄教授は、世界的な文学作品の主人公はたいてい、若者であり、文学は若い人のものだ、とか言った(ような気がする)。が、人生経験積を積まないと、身に染みてわからない文学というのもあるのではないかな。。

もっとも、ここで老境に入ったユリウスに共感したとして、それがトルストイの意図したとおりの共感かというと、そうではないだろうな、とも思うのだけど。

いやあ・・。

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まいなんばー

2015年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ようやく我が家にも通知カードが来た。

というか、来たのだが、郵便局が気を利かせて、比較的在宅していることの多い日曜朝に届けてくれた。

ところが、その日はひどく疲れていて、傍らでアル君たちが大騒ぎしていたにもかかわらず、眠り続けていた。ので、不在と判断した配達員が不在通知を入れて帰ってしまった。

・・つまり、再配達を頼むと明日火曜日でないと届けてくれない。

それも困るので、車で本局まで行って取りに行くことにした。

風邪気味で、おまけに外は雨がぱらつく寒々しい空もようだが、致し方ない。元気があれば自転車に乗るが、あいにくとない。

行ってみると、年末の年賀状受け付けの時のように、特設コーナーができている。番号札を受け取り、呼ばれるのを待つ。

IDが覚えやすいものかどうか、オフィスで話題になっていたが、僕の場合、番号は例えば電車の形式とかと紐づけて覚えたりします。

0235なら、山手線の新しい電車、とかね。読みかけの本を、しおりを付けずにとじなければいけないときとか、けっこう役に立つんです。

民主党の前原誠司(有名な鉄)いわく、「鉄は記号と番号だけで会話できますからね・・」

 

今回は通知カードを受け取っただけなので、この先個人番号カードを受け取る手続きがまだ残っている。

自分の写真を撮るのも面倒くさいし、役所に取りに行くのも大変だ・・。

スマホやPCからも手続きできるらしいが、ちょっとトラブルも生じているらしいし。

顔写真はできればこれで勘弁してほしい。

 

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映画「Foujita」

2015年11月22日 | 映画

小栗康平監督 オダギリジョー 中谷美紀

藤田嗣治は1886年の生まれ、27歳でパリにわたり、一時は貧困と闘いながらも独特の画法を確立、1920年代には売れっ子の画家となり全盛期を迎える。第2次大戦がはじまり、パリが陥落する直前に帰国。陸軍美術協会理事長に就任し、戦争記録画に携わる。戦後、戦争責任を問われるなど日本の画壇でのトラブルから、ニューヨークを経てパリに戻る。晩年はカトリックの洗礼を受けレオナールフジタと改名、1968年にチューリヒで没する。

この映画は、その藤田Foujitaを主人公に据えた作品である。

それほどマニアではないにしても、20年近く前に藤田のドキュメンタリー番組に触れて以来のファンで、展覧会が開かれれば極力行くようにしている。戦争記録画も国立近代で見た(今やってるんだよね。見に行きたいが、時間が取れるかな)。評伝を読んだりもしているが、まあ、これだけの信念、生命力というか、生きる力があっての業績なんだろうなあ、、と。先日、甘粕大尉のことを書いたが、とにかく既成の枠にはまらない人、というのはいる(いた)ものだ。昔のほうが社会の枠組みが厳しかったはずなのに、不思議なものだね。。むしろ今のほうが・(自分の身の回りにないだけかな)。

僕にとって藤田とは、日本人の枠に収まり切れなかった日本人だ。彼は本気で戦争記録画を書いた。それだけに、戦後手のひらを返したように戦争責任を問おうとする日本画壇には耐えられなかったのだろう。フランスは、彼を思想ではなく、尊敬すべき芸術家として再び迎えてくれた。この違い。。

さて、映画である。

事前にどんな作品なのかは知らなかった。ただ、これだけドラマチックな人生を送ってきた人なのだから、それをトレースするだけでもドラマになるかな、とは思っていた。

でも、もしかしたら小栗監督、そうやすやすとフジタに手玉に取られてはならぬ、と思ったかな。

エコールドパリで勇名をはせた時代と、日本に戻り疎開しながら戦争記録画を描いていた時代を対置させるという、ちょっと斬新な構成でした。。。

ストーリーらしいものはあまりなく、断片的なやり取りを連ねて、映像を見せていくという手法。特に前半のパリ時代は、フランス映画風説明不足感が横溢して、なんとも不思議なムードに仕上がっています。フジタは自信に満ち溢れ、仲間たちと派手な生活を繰り広げていきます。その根底には、強烈な自負心と、それを裏付ける旺盛な探求心、そして努力の積み重ねがが流れている。

後半は、日本に戻ったフジタが、戦争記録画を書きながらも、日本という国や、日本人の心の美しさを、改めて体感するという、流れにかわっていく。疎開先でのつつましい生活、雨の音、地元の人たちの、狐をめぐる伝説、川の向こうの人たちへの好奇心、などなど。

映像が美しい。

ほの暗いシーンの中に、強烈なハイライトが入るような画が、とても印象的だった。いままで、あまり見たことのない映像だ。

パリの街も美しいが、やはり日本の田舎の風景が印象的だ。ラスト近く、初夏の水を張った棚田が光るシーンなど。

そして、土地の古老のような、巨木。

静かな映画だ。

パーティで大騒ぎをするシーンですら、静かだ。

BGMもほとんどない。会話の多くは、スタジオでの後録りで、静寂観が際立つ。

 

オダギリジョーは、、フランス語、上手ですね。言葉、しらないからわからないけど。

それに、フジタにそっくり。

 

 

公開は11月14日。

ちょうど、舞台となったパリで、悲惨なテロ事件がおきた翌日のことだ。

それも、非常な努力をして、パリ美術界に受け入れられたフジタ(そして日本においては戦後、戦争に協力した画家、と 烙印を押され、パリに舞い戻った画家であるところの)が主人公というのは、なんとなく、いっそう印象深いものを感じます。。

昨日の夕方、出かける前に見た空。

同じ窓から見える、柿の枝に残る葉。

柿はメジロたちにあらかた食べられてしまった。まだ、ちょっとのこってるよ。

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風と共に去りぬ

2015年11月21日 | 本と雑誌

すこしずつランチをとりはじめている。ただ、加減が難しい。

仕事中、会社の子に鳥や動物、歌舞伎や能、歴史などの話をよくしていたが、さいきんはなるべく話さないようにしている。周りが飲み食いやら賭け事の話(かなり雑談のおおい職場だ・・)をしているときに、ここだけ浮き上がって見えるらしいこと、僕が周りの騒がしさを紛らわすために、つい話しかけて仕事の邪魔をしてしまいがちなこと、などの理由から・・。色々と気を使う。とかくこの世は住みにくい・・。

さて。

大久保康雄訳のほう。今年の初めごろから、新訳が刊行され始め、夏ごろに完結した(追記:これは新潮版で、岩波からも別に出ているようだ。こんな時期に、ブームですね)。

手元にある文庫本は、ここ1年ほどの間に買ったものだが、もしかしたらもう廃版なのかもしれない。第5巻は昭和52年7月30日初版、平成25年8月15日第56刷、とある。

ネットで、女性がこの物語の主人公スカーレット・オハラをどうとらえているかと検索したが、こちらの期待通り?嫌な女、みたいなことを書かれている方がちらほら。

幼い頃から人目を引くことになれ、男に気を持たせることを当たり前のようにして育ってきた。自分の欲望にきわめて忠実で、欲しいと思ったら妹の許嫁でも躊躇しない。母親を聖母のように慕ってはいるが、自分は母のような淑女にはなれない、と自覚している。しおらしい女も、頭の悪い奴も大嫌いで、一般的な教養はないが商才は大いにあり、金のためなら世間の目など全く気にしない。そして、そんな自分のことを、自分では良く理解できていない。

世の中の変化に対応できない貴公子、アシュレー・ウィルクスに固執し、その妻メラニーのことは軽蔑し敵意を燃やしながらも、彼女なりに妥協しうまくつきあおうと努力していく。

そう、単に嫌みな女なのではなく、スカーレットは若くしてものすごい苦労をしているのだ。衝動的に(好きでもないのに)結婚した旦那はすぐに死んでしまい、まだ十代の若さで寡婦として慎ましい振る舞いを強いられる。戦争が迫り、親類達を守るために奮戦する。母は亡くなり、父も惚けてしまう。金目当てで再婚するが、その旦那も・・と、運命はこれでもかと言うほどに彼女をさいなむ。

ウェブで誰かが言っていて、旨いこと言うものだと感心したのは、スカーレットはNHKの朝の連続ドラマには出られない、というものだ。日本人はおしんには感情移入できても、スカーレットは無理なのかもしれない。

しかし、僕はスカーレットのダメさ加減が、実にいいと思うのだ。なにより自分の気持ちに正直なところが良い。スカーレット自身、表面を繕う術は心得てはいるが(そういうことは今よりはずっと厳しい時代だった)、それを一皮めくったところが、実にストレートに自己中なのだ。かといって、悪ぶってるわけでもない。レット・バトラーがほれ込むのはよくわかる。

スカーレットはアシュレーのように単にダメ人間(失礼)なわけではない。その場の情勢や社会がそれを妨げている面もあるが、本当は事業家として素直に自分を認めることができれば、素晴らしい才能を発揮し、自分自身を肯定的にとらえることもできただろう。物語でもその片鱗を見せているのだが、スカーレット自身はそれでは満たされないようだ。そのあたりはやはり、当時の社会事情が大きく影響しているのだろう。彼女にとって、母エレンやマミーの教育が、適切だったのかどうか。

時代や、家庭環境がその個人にどういう影響を与えているか、そんなことがこの小説の一つのテーマだったように思える。全然環境や事情も違うが、僕がこの主人公に共感するのは、そういうところだ。スカーレットは、自分では努力しているつもりだが、なかなか幸福になれない。いじらしくも思うが、レットですら、それを救うことはできないのだ。

レットは、さえない男ばかりのこの物語の中で、数少ないヒーローだ。スカーレットとの違いは教養があり、自分というものをよくわきまえていること。頭の回転が速く、固定観念に縛られることもない。それでいて通すべき筋は通そうとするという、実にスマートな男だ。そんなレットの唯一の弱点は、アシュレーだ。これだけスマートな男が、嫉妬に負けてしまうのだ。

メラニーは、むしろ日本人好みのヒロインだろう。忍耐強く寛容で、強い信念を持ち気も回る。体は弱いが、強い心の持ち主だ。この3人はそれぞれ異なる面で、人としての強さを発揮している。

なんとなく、ストレートな性格の女として「カルメン」を思い出す。メリメの小説のほうは知らないのだが、オペラ「カルメン」では妖艶でやはり欲望にはストレートな女という設定だ。ただ、自分の運命には悲観的で(事実早世するのだが)、なんとなく生き急いでいるように思える。カルメンには事業家の才能はなさそうだ。ミカエラは何かというと姑(ホセと結婚はしてないから姑とは言わないか。ホセのママ)のことを引き合いに出す、これこそ嫌な女だ。エスカミーリョはひたすらかっこいい役で、レットのような悪ぶり方はない。

映画も見たいな。DVDも安そうなので、そのうち買ってこよう。新版も興味はあるが、なにしろ長いので、もう少ししたら。

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かんぽフォーラム2015

2015年11月19日 | 社会・経済

いつも拝読しているサイトで告知がありましたので、早々に申し込んでいって参りました。なんでも、けっこう申し込みが殺到していたらしいです。会場はなるほど、本当に満席に近い状況でした。平日日中の講演なのにね。平均年齢はたぶん・・60は越えてるんじゃないかな。引退されたビジネスマンの方々が中心みたいです。みなさん、お金持ちそう・・。

昨年参加した某フォーラムでは、講演内容をブログになんか書くなよ、とくぎをさされましたが、今回はそうでもなさそうなので、差し支えない範囲で・。

基調講演「日本経済のリスクとチャンスを読む」株式会社双日総合研究所チーフエコノミスト 吉崎達彦氏

かんべいさんですね。
テレビではお顔拝見してますが、実物を見るのは初めてなので、うわぁ、本物だ!みたいな、スターに遭ったような反応をしてしまった(いや、顔には出してないですよ)。
内容は、「溜池通信」で書かれていることを、ご自身の解説つきで紹介されたような感じで、新しいものは特にありませんでした。話の進行が絶妙で、観客の注目を最後までそらさずに、時間ぴったりに終わるあたり、すごいなあ、と感心しながらみていました。

パネルディスカッション「世界経済の潮流と日本経済の展望」
パネリストは先の吉崎氏、日鉄住金総研株式会社チーフエコノミスト 北井義久氏、BNPパリバ証券株式会社投資調査本部長 中空麻奈氏 コ-ディネーターとしてNHK解説副委員長 関口博之氏

そうそうたるメンバーですね・・。
特に北井氏の簡潔で的を得た回答が印象的でした。変な言い方ですけど、頭の良い方はよけいなことをいわずに、相手に伝えることができるんだなあ、と。中空氏も、こうした場でお目にかかれるなんて光栄です(ほとんどミーハーですね‥)。


内容は多岐にわたっており;

パリでのテロ事件の影響(限定的だろう)
新3本の矢(中空:初代は注目されたが、今度のは外国人は無視 北井:あれは選挙対策)
中国(吉崎:新常態につきる 北井:来年は持ち直すが、やっていることが依然インフラ投資なので、将来は?)、
米利上げ(吉崎:あわてるとよくない 北井:早く正常な状態に戻してほしい。新興国経済はそもそももうダメ 中空:マネーの世界では新興国に多少のかく乱も) 、
TPP(北井:経済と外交二つの側面があり、今回は対中国の外交効果が主 中空:自由貿易圏を広げる効果はある)

そして日本の2016年と、パネリストの方の持論が展開されました。

中空氏は世界のマネーフローについて、銀行への規制が厳しいことで流れがかく乱されている。原油価格に注目せよ、とのアドバイスが。


司会役の関口氏は、テレビでよく拝見しますが、その進行ぶりは名人芸をみるようでした。。




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樹村みのり 「見送りの後で」

2015年11月18日 | アニメ・コミック・ゲーム

朝日新聞出版社 2008年 Kindle版を購入

 

 週末に知人から言われた言葉が、いつまでたっても引っかかっている。

なんだか理不尽だな、と思う一方、この種をまいたのは自分なんだろうな、とも思えてくる。

そんな自分自身とつきあうのも、いい加減疲れてくるが・・。もうずいぶんと長いよね。

 

まあ、しかたがない。

11月なのに奇妙に暖かい中、今日は久し振りに友人とお気に入りの店に行き、、海外の土産話などを聞く。

これでちょっともやもやを飛ばす・・。

帰りの電車で、twitterを見ていたら、陸奥A子(むかしの少女漫画家)の選集が出た、というつぶやきが・・。

そういや、はるか昔に、花の24年組とか、読んだことあったよな。あ、10年ちょっと前、樹村みのりの単行本を六本木のABCで見つけて、喜んで買ったりしたな。

などと連想が次々と飛んでいく。オフィスに戻って「樹村みのり」を検索。電子版が出ているのを見つけた。つい、ぽちっと。

 

樹村さんを知っている人は少ないだろうな・・。初めて読んだのは「ジョーン・Bの夏」で、東京三世社から出ていた、「少年少女SFマンガ競作大全集」に掲載(初出はプチフラワーだそう)されていたものだ。どこか翻訳文学のようなムードを持った、文字通り異色の作品で、高校生だったのでとても強い印象を受けた。ただ、他の作品を読めるようになったのはそれから20年以上あとのことだ。(う~ん、今日はちょっと話がまにあっくですね)。

樹村さんは人の心の内面に深く入り込むような、独特の作品世界を持っている。画風はこの時代の人としてはとてもクールで近代的な印象だ。ただ、今見ると個性という点では、割と控えめな絵なのかな。いりぬきが少なく、白っぽくて平板な印象を与えるあたりが、心理学の講義のような客観性を連想させる。

実を言うと、タイトルになっている「見送りの後で」はまだ読んでいない。主題が重くて、ちょっと読むのがしんどそうだ・・。

今回いちばん印象的だったのは、「柿の木のある風景」だ。

戦後しばらくして、両親が建てた家の、隣の大きな家に住む広瀬さんと、主人公の家との交流の物語だ。

広瀬さんは、戦前には事業に成功して羽振りが良く、大きな家を残したが、その後は決して順調とは言えない境遇をたどっていく。たんに運命だけともいえず、家系の人達には人聞きがよいとはいえない癖や生活を送る人もいる。主人公の家では、紳士服店を営む父のもと、子供達(娘さん4人はたいへんだったでしょうねえ・・)も順調にそだち、まずは幸せな生活を営んできた。

最後の方で大人になった主人公が独白する。

「一時期わたしは わたしの家族がこの場所で一つずつ手にしていったものは 広瀬さんの家では少しずつ失われていったものかも知れない-と考えたことがあった

けれど年月が過ぎ去ってみると 多少のデコボコは大きな違いには思えなくなった 大人も子供も 今日より明日がより良い日であることを信じて日々を送っていたあの頃

どちらの家族も懸命に生きたのだった・・・」

家族や親戚、ご近所とのふれあいが、長い時間のスパンの中でたんたんと描かれている。こういう漫画は男性には書けないし、若い人にも無理だろう。読んでいくうちに僕自身が主人公(わたし=樹村さん?)の遠縁であるような気分になってくる。日本中、どこの家でも、こんなかんじなのかもしれません。

樹村さんの視点は常に暖かく、どんな人生であっても等しく愛情を注いでいるように思える。まあ、実際に泣きはしないのですが、ちょっとほろっと来る作品でした。

 

 

 

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甘粕大尉

2015年11月17日 | 本と雑誌

角田房子著 中公新書1979 

オリジナルは1975年7月に発行された。オリジナルには現在刊行中の文庫にはない写真図版があるらしく、amazonで中古を探した。しかし実際に届いたのは文庫初版だった。

 

・・どんどん書こうと思っていたけど、今週もいそがしいみたい・・。

甘粕正彦は明治24年(1891年)仙台生まれ、陸軍士官学校から歩兵課に進んだが、膝の故障で憲兵に転ずる。関東大震災の直後、いわゆる甘粕事件で逮捕され、懲役刑となる。出所後、フランスに留学、帰国後満州に渡り、満州国共和会理事、更に満州映画協会の理事となる。終戦直後、服毒自殺。

なんでいきなり甘粕のことに興味を持ったかというと、安彦良和の「虹色のトロツキー」を読み始めたからだ(まだ読了していない)。名前が変わっているので、記憶には残っていたが、どういう人物かという知識はなかった。「朝比奈隆 わが回想」にも出てきたが、よく知らないのになんとなくダーティなイメージがつきまとう感じがあった。

甘粕が大杉事件以来、陸軍の影の部分を支えてきたことは事実のようだ。その原動力は今日の我々には理解が難しい、天皇制国家に対する忠誠心であったらしい。ただし、官吏としては非常に優秀であり、合理主義者でもあったようだ。 優秀であるがゆえに、単なる雲隠れにすぎなかったフランスでの生活は身に堪えたようだ。かなり鬱屈した日々を送っていたらしい。。

終生甘粕と関わりのあった東条英機は、後に総理大臣となり対米戦争に踏み切った。もし甘粕が足の怪我をせず、事件にも巻き込まれずに順調にキャリアを重ねていったらどうなっていただろうか?戦前の日本軍人たちの同志意識は、今日の我々には理解しがたい。といいつつ、同じような感覚が自分たちのなかにあるらしいことも否定できない。。

とりあえずかんたんにね。またいつか追記します。

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2015年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

観音崎に行ってから、また間が開いてしまいました。本当はいくつか本のことを書こうと思っていたのだけど、週日はちょっと忙しくて。週末には所用で遠出もしていましたし。

ところが、そうしている間にパリでは酷い事件がおきてしまいました。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

土曜日の朝、出かける支度をしながらニュースを見ていましたが、こういうときに日本のメディアはちょっと弱いですね。別に今に限ったことではないので驚きはしませんが、一般的な日本人にとって(僕もそうですが)パリは今でも西の彼方にある遠い世界、ということなのでしょう。2005年のロンドン、2008年のムンバイでのテロの時はどうだったかな。911の時は完全にショー化してしまいましたから・。

これは別に批判とかではなくて、そういうものなのだと思います。

仲通のイルミネーションは、たぶんこの週末から始まったんだと思う。水曜日はなかったし、木曜は見ている暇がなくて。。(追記:12日(木)かららしいです)。

ネット上では既にいろいろな意見が飛び交っています。

こうした事件の後、そうした意見が瞬時に交わされるというのは、時代の変化を感じます。

個人的には・・。 これから10年単位くらいですこしずつ、西欧型民主主義社会というのは変質していくんじゃないかな、という予感がします。

よく、アメリカは理念先行で、物事をなんでも割り切らないと気が済まないけど、ヨーロッパは歴史の積み重ねがあるので、もうすこし柔軟で現実的な対応をする、などといいます。実際にはアメリカも歴史から学び、現実的な対応を取ろうとする傾向があります。南北戦争は経済的な利害の対立であると同時に、思想的な対立という面も強く、対立を武力で解決しようとして多大な犠牲を強いる結果となった、という教訓を残したという反省もあったようです。

フランスは王政を廃し、自由と平等を理念として作られた社会であり、自分たちの理念や価値観に沿う行動をとる人にはきわめて寛容かつ開放的である反面、異なる価値観、というかアイデンティティを主張しようとする人にはかなり厳しい目を向ける傾向があるそうです。

いずれにしても、歴史的にはここ200年ちょっとのあいだに定着してきたレジームであって、未来永劫おなじ価値観が続く、ときまっているわけではない。

現代の中国というのは、西欧諸国から見ると受け入れがたい面(言論、思想の統制、少数民族への圧力)があることは確かですが、それが定着していけば、そっちの方が世界的な標準となる可能性はある、というよりそうなって行くんじゃないかな、とおもっています。

いずれ日本も・・。たぶん日本人は、しらないうちに考え方が変わってきて、今いろんな意見を述べている人たちが、15年後には平気で違うことを言っている、みたいなことになるんじゃないかな、と。

丸ビルの広場丸キューブには、スケートリンクができた。例年そうだけど、この時期はまだこうした派手なイルミネーションなどに抵抗感があるんだよね。なんだか無理に感動を強いられているみたいな気持ちになる。

無ければ無いで、またちょっと寂しい気もするのだけど。

そんなことを言っているうちに、そのうちだんだん慣れてくる。年末頃にはすっかり取り込まれていて、年が明けると気が抜けたような気分になる。いつもそう。。

というわけで、続けて本のことを書いていきます。

 

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観音埼灯台

2015年11月09日 | 旅行記

三浦半島の観音埼灯台を訪れてみた。

「喜びも悲しみも幾歳月」冒頭で、有沢夫妻が最初に赴任した灯台だ。

最寄り駅は浦賀。快特で品川から堀之内まで行って、乗り換える。支線なのかと思っていたが、こちらが本線なのですってね。

おおむかし、防衛大学校に何度か行ったことがあって、そのときに利用したと思うけど、どういう駅だったのか全く忘れていた。

観音崎行きバスに乗り換えます。20分くらいかな。途中の停留所で見かけた家猫。

平日の午後なので人はほとんどいない。釣り客がちらほら。

海沿いの植物。肉厚の、ちょっと内陸では見かけない種類の草が生えている。

観音の由来になったらしい洞窟。

とんび。

鴫。249mm相当のレンズしかもってこなかったので・・。

さて、先を急ぎましょう。雨に濡れた坂を登っていくと、やがて坂の向こうに白い灯台が見えてくる。

昭和30年代にはまだ木々が若く、枝ぶりも小さかった。

このあたり、あちこちに碑や(歴史、灯台、動植物に関する)解説文が掲示されているが、残念ながら映画についての説明はなかった。

もちろん今も現役の灯台だ。手前の建物は資料館。以前犬吠埼にも行ったことがあるが、同じような感じだ。

明治2年に日本で初めての洋式灯台として設置された。煉瓦造りの灯台だったが、大正12年に地震でひびが入り改築。ところがこれは関東大震災でわずか半年で崩壊。今の灯台は3代目で大正14年完成。

今は無人。設備は近代化されている。

犬吠埼に比べるとやや小さいかな。

風はこちらのほうがずっと穏やかだ。もちろん天候にもよるのだろうけど。

昨日から雨で、道は濡れているが、日中は雨は降らなかった。

浦賀水道は自動車道路のように船が盛んに行き交っている。

船好きの人にはたまらない場所、なのでしょうか。

結構迫力ありますね。

日中はかなり気温が上がり、春のような湿気を含んだ暖かさだった。

しょっぱいようなねっとりとした潮風がほほをなでる。

 

というわけでした。

 

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喜びも悲しみも幾歳月

2015年11月07日 | 映画

木下恵介原作・脚本・監督 1957年

少し前に「私だけの十字架」を取り上げたときに、藍川由美さんのCD(をコピーしたMD)「木下忠治作品集」を聞いた話をした。木下忠治といえば数多くの映画やテレビドラマの主題歌などを手がけている。CDでも、水戸黄門のテーマ(「ああ、人生に涙あり」)なども収録されている。そしてこの「喜びも悲しみも幾歳月」も。そう、木下恵介の弟でもある。

それが頭に残っていて、映画を見たくなった。ちょうどアマゾンに中古の出物が出ていたので購入してみた(レンタル流れ、ですな)。

映画を全編ちゃんと見るのは初めてだ。ただ、テレビでちらちらと見た記憶はあって、最後のほうのシーンは記憶の片隅に残っていた。

それと、映画とは別にこの作品はテレビドラマにもなっている。これは見た記憶がある。wikipediaを見ると、1965年、1972年と、1976年と3回ドラマ化されたようだが、72年版が昼の時間帯に放映されていることから、たぶん72年版だと思う。

ちょっと自分でも信じられない気もするが、出征兵士の壮行会で、若手灯台員がけんかを吹っ掛けられた、というエピソードを覚えているのだ。先に書いたように、映画も断片的には記憶に残っているので、その勘違いである可能性もあるが、もう一つ別のシーンでは、戦争が厳しくなって金属供出を求められる、というシーンもあった。夫人たちの会話として、供出する金属とっても薬缶ぐらいしかない、みたいなことを言っていたような気がする。まあ、これもほかのドラマの記憶である可能性も否定できないのだが。

まあ、そんなことはともかく。

160分という、比較的長い時間を、映画は淡々と物語をつづっていく。有沢四朗が伴侶を得て、日本全国の灯台を巡るうちに出会う様々人たち、そして別れ。時代は日本に戦争の暗雲がたちこめはじめた昭和7年から始まる。冒頭シーンでも、灯台員達が上海事変のことを話題にしているシーンがある。

灯台は戦争中も重要な施設であり、職務的にも必要とされていたが、それでも若手灯台員が兵役拒否よばわりされるシーンがあったりする。末期には灯台を目標に米戦闘機が攻撃を仕掛け、灯台員が殉職するという描写もある。

この時代の日本人らしく、みんなとても折り目正しく、人付き合いもとても細やかだ。灯台員達がどういう職務だったのか、なぜたくさんの人たちが灯台に詰めていなければならなかったのか、よくわからないのだが、とにかく台長以下数人の灯台員が、家族ぐるみで灯台の元に暮らしている。

灯台は人里離れたところにあるのがふつうだから、人との関わりもさぞ窮屈だったことだろう。(高峰秀子さん、いいですね。あの日本語の話し方は、現代の人たちはもうできないんじゃないかと思います。実際には全然ちがうのですが、昔の祖母の話しぶりをどこかで連想します。やはり日本人はここ数十年で変わったのでしょうね)。

夫婦もしかりであり、勤め人や軍人のように普段は離れているのではなく、妻は夫の職場に暮らしながら、自らは主婦として夫を支え子供の世話をすることのみに専念するという、とても特殊な環境である。まあ、美談だけではすまないものもあったのかもしれないね・・。灯台員という仕事自体、自ら派手に動き回るものではなく、ひたすらその場を守る、という仕事であることも(とかいうのは勝手な想像で、本当はどうなのか知らないんですけどね)、ある種象徴的なものを感じます。

この映画が大きな盛り上がりもなく、淡々と綴られているのは、そうした日常の繰り返しを伝える、という意味合いが込められているのだろう。もちろん、全く何事もなく日々が過ぎているのではない。有沢夫妻には後年とても厳しい運命が待ち受けていたわけだし、折々の人々との出会いや別れも、彼らにとってはとても印象深く思えたに違いない。

夫婦を含む人々との関わりの濃さ、長い人生を生き抜くことの難しさなど、ともすれば現代の自分たちの生活では希薄になりつつあるなにかを思い起こさせてくれる作品だ。そしてこの歌が何ともすばらしい。勇壮でもあり、昭和的モダニズムも感じられる曲調。 ”ともに過ごした 幾歳月の よろこび 悲しみ 目に浮かぶ”という歌詞。

個人的には、この人生では果たすことのできなかったこと、そして逆に自らの職務と通じるもの、などをこの作品に見いだすことで、思いをあらたにしたりしている。

 

 

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