デイヴィッド・ハルバースタム 山田耕介、山田侑兵平訳
文春文庫(Kindle版)
朝鮮半島は昨年来、大げさではなく世界中の注目を浴び続けている。今日は用務で休暇もらっているのですが、今テレビでは平昌オリンピックの男子スノーボードが中継中。片山が出ます。戸塚は大丈夫か?というところです。
こういう、平和な戦いは大歓迎ですが、ほんの少し前はそれこそ一触即発の危機に近かったわけですし、オリンピック後も予断を許さない。まあ、北京オリンピックの時のグルジア(現ジョージア)のように、祭典の陰でなにか起きている気配はなさそうなのが救いですが。
とにかく、この本を手にしたきっかけはそういう関心からです。わりとノーマルな関心ですね。。
あれ、平野1位です。音小さくして、なぜかブルックナー5番を聴きながら書いているので、詳しいことがわからない。
ハルバースタムははるか昔、日米自動車摩擦とかがあったころ「覇者の奢り」を読んだことがあった。緻密な取材に基づく、硬派なジャーナリスト(陳腐ないいかただな)でしたが、このザ・コールデスト・ウィンターが遺作となった。
冒頭で語られているように、朝鮮戦争は第二次世界大戦とベトナム戦争に挟まれてた「忘れられた戦争」なのだという。ベトナムはやはり、アメリカ人にとっては大きなトラウマとして記憶に残っているのでしょうし、第二次大戦は輝かしい勝利と位置づけられているのだろう。1950年に始まった朝鮮戦争は、いわば初めから無視されたような状態だ。帰還した兵士たちも、多くを語ろうとはしなかった。
戦争の記録というのは、文章にするとどうしてもわかりにくくなる。聞きなれない地理と多すぎる登場人物(将兵たち)。映画なら、主人公とその周辺を語ることで上手く整理しているし、ドキュメンタリーはリアルタイムで映像と語りを入れて、わかったような気にさせられる。本を読んでいるときは、たとえ地図などが添付されていても、なかなかそれと照合させることはできない。正直言って、本書も戦闘中の描写は、なんだか大変な苦戦だった、というぐらいの感想しか浮かんでこない。
他方、為政者、指揮官たちの状況は真に迫って伝わってくる。といっても、ほとんどが東京(第一生命ビルの米進駐軍)とワシントンの人々のことだが。なかでもダグラス・マッカーサーにたいする描写は舌鋒鋭いものがあり、印象に残る。ハルバースタムはとにかく、マッカーサーは自らを英雄として見せることに腐心するあまり、戦況をろくに見ることなく情勢を軽視し、アジア人(中国人、朝鮮人)を軽視し、ワシントンを軽視し、さらにはペンタゴンも顧みようとしなかった、のだという。
仁川上陸作戦はマッカーサーの読みが当たって、非常に鮮やかな反攻をみせることになる。そこまでは良かったが、中国軍の介入に関しては見通しを誤り、いわば深追いをする誤りを犯す。国際情勢を鑑みたワシントンの支持を余計な介入と見たマッカーサーは、政府批判を繰り返すようになり、ついには解任されてしまう。
このあたりは広く知られているところだが、その背景として、アメリカの政治情勢、共和党と民主党の争いや、蒋介石政権との関係、軍内部の情勢などが複雑に絡んでくる。とりわけ、アメリカと台湾の関係については勉強になった。また、アメリカの政権内部での力関係や、事態への対処の仕方も興味深かった。
巻末で語られている通り、戦争には誤算がつきものだ。朝鮮半島をめぐる戦いでも、金日成、李承晩、スターリン、毛沢東いずれも判断を誤った。マッカーサーもいくつもの誤りを犯しているし、トルーマン政権も誤算続きで、その代償を払わざるをえなかった。
日本(旧帝国陸海軍)の戦闘でも、この戦いはここが失敗だったとか、この判断は誤りだったという議論はさかんに行われている。各方面の権威が語られていることはもちろん傾聴に値するが、本書を読んで思ったのは、例えばアメリカでも、個別の作戦で失敗や誤算、味方同士の相克はあったわけで、何も日本だけが特別に失敗ばかりしていたわけではないのだな、と、ちょっと考えてしまった。
マッカーサー解任は文民統制がしっかりと機能したという点で、アメリカ政治史上評価されるべき判断であっただろう。
他方、日本では軍部の独走を許し、ということも確かに言えるが、終戦をめぐる最後の決断とその後の対処は、それが文民統治といえるかどうかは別として、困難な仕事であっただろうな、と考えてみたりもする。