順番からいうと昨日の黒白よりこちらのほうがさきなのですが。良く晴れた、熱い風の吹く夕暮れ時でした。
もう半月ほどたつと、夕暮れはさらに早くなり、なんとなく暑さに飽いたような、寂しいような雰囲気も漂ってくるでしょう。
いまはただ、あわただしい夕暮れ時。寂しさなぞ感じていられない。
順番からいうと昨日の黒白よりこちらのほうがさきなのですが。良く晴れた、熱い風の吹く夕暮れ時でした。
もう半月ほどたつと、夕暮れはさらに早くなり、なんとなく暑さに飽いたような、寂しいような雰囲気も漂ってくるでしょう。
いまはただ、あわただしい夕暮れ時。寂しさなぞ感じていられない。
Pentax Q(2011年発売のオリジナル。うちでは中古を2014年に購入)の調子がちょっとおかしい。ここのところ2どばかり、起動してシャッターを押したときにシャットダウンした。また、画像再生中にフリーズしたことも。推定年齢5歳と、デジ物にしてはけっこう年数がたっているから仕方がないか・。
さて、すっかり夏空だが、今日はふと思い立ってQをモノクロ仕様にして使ってみた。
Qシリーズの場合、モノクロに種類(セピアとか、ラフモノクロとか)はない(注)が、カスタムイメージとデジタルフィルターの組み合わせで、変化を付けることができる。
例えば、ハイコントラストにすると、少し荒れたような、ダイナミックな絵になる(今回はそのまま使ってしまったが、効果の度合いを変えることもできる)。
このほかシェーデイングとトイカメラも使ってみたが、BW+トイカメラだとセピア調になる。
何枚か撮ったが、今回セピアはあまり良いのが撮れなかったので掲載はしていない。
(注)スマートエフェクトにハードモノクロームというのがあったのでした。それにしてもカスタムイメージ、フィルター、エフェクトと似たような機能がたくさんあるし、ものによっては重ね掛けもできるなど、じつにややこしいですな。。いまさら言っても仕方ないですが。
ハイコントラストは使う場所を選ぶと、面白い効果になる。もっとも、こういうのはフィルム時代だったら撮影後に何とかするものだよな。
シェーディングは文字通り四隅が暗くなる。が、パッと見てすぐにはわからない程度。
色がないというのも、いいものですね。
きょうは丑の日ですねえ。。
というわけでした。
このあいだ復帰されたというニュースを聞いた気がしていたのですが。。
You tubeのコメントを見ていると「カレーの似合うピアニストさん」みたいなコメントがあって、ちょっと微苦笑ですが。しかし、ある意味的を射ている言い方かなという気がします。なんとなく、ご自身がとても専門的な世界、セレブの世界にいて、だけどわたしはみなさま庶民の方々とともにあるんですよ、みたいなアピールをされている感じがあって。。
けっしてネガティブな言い方をしたいわけではありません。日本のマニア系音楽ファンの方は、もうちょっと朝比奈隆さんとか、ちょっと求道的な感じの方(ファンから見てということですが)が好きなので、中村さんはその点ちょっと損をしていたのかもしれない。ただ、このまま年輪を重ねていけば、またちがう評価になっていったかもしれないという気もします。
エッセイなどの著作も面白くて、良く読んだものです(そういえば、かくいう僕も、CDは手元に持ってないな)。岩城宏之さん同様、そういう面でも日本の文化に貢献した方といえそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
当地では平年より7日遅れて、今日梅雨明けした。
多少日差しは出ているが、昨日と同様空には雲が多め。ただ、空気はだいぶ湿っていてかつ暑い。
例年だとこの時期は容赦なく暑いが、それほどギラギラとした暑さは、とりあえず今日のところはなさそうだ。
きれいな夕焼けにはいまひとつ。
この時間に外を歩くのも久しぶり。
上着を着て出かけているが、すでにだいぶ前から、地下鉄や通りで見かける男性のほとんどは上着を着ていない。
普段の通勤だと別に暑くて困ることはないが、さすがにこうして歩くとちょっと持て余す。
LINEで昔の上司から聞いて、この街を訪れてみた。昔職場のあったオフィスビルが、いま解体中だという。
この先に農協系の施設があったのだが、解体されて再開発する、手はずだったのが、工事中止となりしばらく放置されていた。
そのうち手前にあったビルも解体が決まり、たぶん併せて再開発、と方針が変わったのではないか。。
中に入るとわかるのだけど、このオフィスビルは非常に変則的な敷地で、しかも奥のほうが斜面になっている、妙な土地に建っていた。ビル自体、いろいろなものを避けながら床面積を無理やり広げたようなつくりだった。通りから見るとほっそりと小さいのだが、実は奥が広くて、Lの字を逆さにしたような投影図となっている。ので、使いにくいのかテナントもなかなかつかなかったのだろう。築年数は30年ちょっとくらいだろうか。
驚いたのは、上の写真の真ん中あたりにあったはずの小高い丘と、その上にあった神社がそっくりなくなっていたことだ。ここも不思議な地形で、なぜかここだけビル3階分ぐらいの急な岡があったのだ。開発のために岡ごと撤去してしまったらしい・・。いいのか、そんなことして。
画面中央にあるマンションも建て替えのため解体中。
この界隈は20年ほど前から約10年ほど(途中抜けている時期もあるが)、通っていた。なじみの風景はいままさに変わりつつあるようだ。
とはいえ、この20年間、ほかのところが全く同じだったわけではない。画面より左のほうにある高層ビルは、以前は平屋のスーパー、もっと前は駐車場だった。地下鉄の駅付近には銀行の支店が3つあったが、1行は撤退、残り2行は合併して同じ銀行となり、片側が閉鎖となった。
他方、変わらないものは変わらない。画面にあるコンビニ、花屋、コーヒーチェーン、喫茶店、中華屋などは昔からずっと同じところでやっていた。コンビニといえば、昔はam.pmが幅を利かせていたのだが。
この街でかかわりのあったいくつかの事業所のうち、ほとんどはこの地を去り、今まだ残っているところももう間もなく移転する。
もとより、あのころいた仲間たちも四散してしまい、いまはどこにいるやら。街のたたずまいはまだ昔の面影があるので、誰かいそうな気もしてくるが。
まあ、こっちも変わっちゃったからねえ。。
さすがに暑くてくたびれたので、スタバで休憩。昼休みの時のレシートを見せたら(おかわり100円でのめる)、レシートの店舗名(オフィス近く)を見た店員が、僕春までここで働いていたんですよ、改装で1か月休業になったとき、こっちに移ってきたんです、と懐かしそうに話しかけてきた。毎日のように行っているので、向こうで会ったことがあるのかもしれない。
昔の同僚には会えなかったが、思わぬところで再会となったしだい。。
きょうはやすみです。
アル君は今、とやでちょっとお顔まわりがもわっとしている。。
ココちゃんはだいぶすっきりしてきたかな。
また蝋膜が白くなりかけている。
本当は忙しい時期が終わったら、先週あたりゆっくりしようとしていたのですが、もたついているうちに少し体調を崩し、午前中休んだりした。
そうしたら健康管理が云々と、いう話が出てしまったので。。どうも割が合わない気持ちがするが、まあこうして休めるのだから文句ばかりを言っても仕方がない。
昨年はだいぶ体重管理を頑張ったが、今月は見事にリバウンドしている。。経験的に、いちどうまくいって、それが維持できなくなると、戻すのは難易度が高そうだな。。
とくに出かけることもなく、だいたい家ですごした。昨年の写真ログを見ていると、けっこう積極的に出かけているが、多少事情もあり、さいきんはあまり出歩くことがなくなっている。気持ちの問題もあるが。。
ところで、夜遅くにまた地震がありましたね。
さいきん、また増えている気がするね。
関係があるかどうかはわからないけど、今日コーヒー豆を買いに、隣町の喫茶店に行ったら、入り口のレンガのたたきのところが、大きくひびが入っているのが目についた。店の前、建物が道路に面したところに、60cmくらいのスペースがあって、そこがレンガ仕上げになっているのだが、目地のところにヒビが入り、わずかに道路側が沈むような形になっている。
オフィスのちかくでも、石畳の一部でわずかに石同士がぶつかってせりあがったようになっているところがあり、石が膨張するはずないし、地面がすこし動いたのかな、と思ったことがあった。。なんだか「日本沈没」の冒頭部分みたいな話だが。
とはいえ、それは単にふと気がついただけであって、流言蜚語的なレベルの話ですが。。
体重が増えたことを確認した後なのに、夜出かけて安ワインを飲んだら、思いのほか酔ってしまい。。やはり健康管理は大事。
ピーターとゴードン。
・・そんなこんなで、彼女の白い肌は私に昔のことを思い出させた。ジミ・ヘンドリックスやクリームやビートルズやオーティス・レディングや、そんな時代の頃のことだ。私は口笛でピーター・アンド・ゴードンの『アイ・ゴー・トゥー・ピーセズ』のはじめの何小節かを吹いてみた。良い唄だ。甘くて切ない。デュラン・デュランなんかよりずっと良い。でも私がそう感じるのは私が年を取ってしまったせいなのかもしれない。何しろそれが流行ったのはもう二十年も前の話なのだ。二十年前にいったい誰がパンティー・ストッキングの出現を予測できただろう? (「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」より)
このシーンの前で、「私」は深夜、自宅から車で出かける。大きな通りで信号待ちしているとき、若い男女の乗るスポーツタイプの白いスカイラインが横に並んだ。その車のカー・ステレオから流れていたのが、デュラン・デュランだったのだ。「私」はなぜか、デュラン・デュランの音楽と、スカイラインに乗っていた女が左手首にはめていた銀のブレスレッドが後々まで気になって、何度も思い出すことになる。
考えてみるとこの小説の設定は、近未来風を装いながらも、結構ピンポイントで時代を特定できるような描写が出てくる。ピーターとゴードンのこの曲は1965年のヒット曲だ。それから20年を経るということは、やはり80年代の前半ということになる。あの頃はたしかにデュラン・デュラン、世間でよくかかっていた。スカイラインも当時の若者たちが結構乗っていた車だ。
僕自身は当時、デュラン・デュランはあまり聞いていなかったが、このI Go To Piecesはちょうどその頃に、ラジオのオールディズ特集で聞いて初めて知った。いろいろと、ちょっと参っていた時期だったが、この曲はそんな疲れた心を癒やしてくれるような気がした。
なんとなくしっとりした雨を連想する。ちょうど小説で「私」が最後に地上に出て自宅に戻った数時間の間、降り続いていた細かい雨のように、優しく、ひんやりと心を包んでくれるような気がする。
歌詞はあまり聞き取れないところもおおいが、ふられた彼女に道で会って、心乱れて体がばらばらになっちゃいそう、みたいな話らしい。たしかに、自分もそんな思いを味わった思い出はあるが、記憶には残っていても、痛みの感覚はもう忘れてしまって久しい。だんだんと、ひとはそうなっていくんですね。。
今年の梅雨は出始めはからっとしていて、明ける間際になって、急に思い出したようにぐずつくような降りかたをしている・。当地では先週来雨の日が多く、わりと涼しい日が続く。涼しい夏、というのも近頃はあまり経験することがないな。思い出すのは、たしか7年前も、いちど梅雨明けを宣言されたのに、その後もしばらく雨が続いたことがあったな。。たまには涼しい夏も良い気がするけど、まあこれから暑くなるのかな。
個人的には歩きスマホはマナーとして、やめてほしいと思っています。
立ち止まってスマホを見るのはもちろんOKだし、電車待ち、信号待ち、やエスカレーター(下りるとき注意)等々、街中でも立ち止まることは多いと思う。そういうときは見ていて、例えば電車が来たら、いったんスマホを閉じるなり目を離すなりして、電車に乗ったらまた見ればいい。
しかし現実問題、毎日通っている地下道で、5分も歩けばスマホ歩きしている人を10人は確実に見かける。通路の隅を歩いているのはいいほうで、中には点字ブロックを白い杖をつきながら歩いている人と正面衝突してしまうような輩もいる。
何が嫌なのかと考えると、一緒に歩いているほかの人に、全く配慮しようとしない独善性を感じるからでしょうね。。
ただ、もう世間の流れとしてどうにもならん。
それで、話は例のポケGoのことですが、案の定自転車乗りながら赤信号突っ込んだとか、さらに自動車で三重衝突やったとか、心配したとおりのニュースが流れています。電車に乗ると、ゲームアプリを使いながら歩くのは危険ですからおやめください、と車掌が何度もアナウンスしている。鉄道関係者、公安関係の人たちは苦虫噛み潰しているんじゃないですか・、あんなもん作りやがってみたいな。。
じっさい、道歩くのがちょっと怖い気がしますからね。向こうから自転車が来ると、ちょっと身構えたりします。そういえば昨日、これはスマホではないのですが、夜道を歩いていたら、道いっぱいに広がって走ってきた中高生ぐらいの男の子の一人が、僕の前に突っ込んできて、かばんと接触した。話に夢中になっていたらしい。何も言わずに行ってしまった・・。こういうの、経験的にはなぜか連鎖する傾向(道で人にぶつかる)があって、今朝も地下鉄で無理に押されたようなので押し返したら、その人ひどく怒りだして、床に座り込んだりしていた。これは危ないことになるかとひやひやしたが、すぐに車内が空いてきて(いつもそうなる)、恰好がつかなくなったと見え、どこかに行ってしまった。
(それはともかく)ただ、内心ちょっと期待していることがあります。これを機会に人々が歩きスマホは非常によくないことだ、という認識を新たにして、議論を深めていってくれるのではないか、と。対比させるのはちょっと不謹慎かもしれないからあれですが、飲酒運転が痛ましい事故をきっかけに厳罰に処されるようになりましたよね。大きな事故は起きてほしくないけど、みんなで危機意識を持ってもらって、マナーを向上させる原動力になってくれるといいな、と思ったりする。
東武鉄道さん、画像借りていいかしら。。
「世界の終わりとハードボイルド.ワンダーランド」(村上春樹)には、物語としての面白さだけではなく、随所にちりばめられた、主人公が語る様々な警句や人生観などの描写がとても興味深く、それだけ取り出して読んでも楽しめるところがある。
Twitterなどで、Botとして部分抜粋したところを流しても楽しめそうな気がする。すでにあるのかもしれませんが。。
先日、今年二回目の読了をしたので、まだ記憶に残る最後の部分を抜き出してみよう。
「私」は、日比谷公園で図書館の女の子と別れた後、自分と同い年くらいの、身なりの良さそうな女性とその子供を眺めながら、かつてのクラスメイトのことを思い出す。
彼女は革命運動家と結婚して、二人の子供を産み、そのままどこかに消えてしまい、その後の行方は誰にもわからないという。頭の良いさっぱりとした女の子で、J.D.サリンジャーとジョージ.ハリスンが好きだった。
『彼女にはもう子供を公園につれていってやることすらできないのだ。
私にはもちろん彼女がそれについてどう感じているかということはわからなかったけど、自分の生活がすっかり消えてしまうという点に関しては彼女と何かを分かちあえるかもしれないという気がした。
しかしあるいはーありそうなことだけどー彼女は私とその何かをわかちあうことを拒否するかもしれなかった。・・それぞれの置かれた状況も違うし、考え方も違う。それに同じ人生を引き払うにしても、彼女は自分の意志で引き払ったが、私はそうではないのだ。・・
彼女はおそらくそのことで私を非難するだろうという気がした。あなたはいったい何を選んだというの?と彼女は私に言うことだろう。確かにその通りだ。。』
「私」は、前日にレンタカーを借りたとき、応対してくれた女の子の笑顔を見て、クラスメイトのことを思い出したのだった。以前からずっと気にしていたわけではないのに、一度思い出すと渋滞の車内でも「革命活動家と結婚するというのはどういうことなのか」と想像を巡らせたりしている。
もうあと数時間で、「私」はいまの「私」としての意識を失い、別の場所に行ってしまうのだ。
「私」がクラスメイトのことを思い出したのは偶然ではないだろう。自分が、(意図されず)今までいた世界とは違う世界へと流れていくことにたいして、どこかで共闘できる仲間を求めようとしたのだろう。
さっきまで一緒にいた、図書館の女の子は、共闘できる仲間とはなりえない。彼女は「私」がこれまで守ってきた、限定されたヴィジョンのお客様の一人だ。入るときは靴をよく拭いて、出ていくときはドアを閉めていってくれる。昔結婚していた奥さんもその一人だった。
いま、「私」は、平日の朝公園で娘を遊ばせるような、身なりの良い女性と同じ場所にはいない、という自覚はある。しかし、それならかつてのクラスメイトが「私」のことを認めてくれるかどうか、という確信は持てずにいる。
「私」にとって、自分の意志で人生を選び取るということは、依然として価値のあることなのだろう。彼自身は自らのヴィジョンからすこしずつ解き放たれ、かたつむりや洗濯屋の店先にならんだ花といった、いままで気にも留めなかったことに目を見開きつつある。だが、自ら選び取らなかったが故、これから向かっていく新しい世界に、確信が持てずにいるのだ。これまではあらゆることを、自分の管理下におくことで、自らを保つことができた、少なくともそう思っていたのだが、その世界はなくなる、というより自分がその世界かから離れつつあるのだ。
僕は内田樹さんでもfinalventさんでもないので、この辺からまだ整理がつかないでいる。「世界の終わり」で「僕」は、彼女の心をみつけることができた。これは一緒に森で暮らすことができるようになったことを意味する。ここでは、「僕」は誰かと何かをわかちあうことができている。。
が、彼女は、「僕」自身がつくりだしたものであるはず。
「僕」はもといた世界に戻ることは選ばず、自分が作りだしていた不自然な「街」の住人となることも拒否し、しかし壁の内側である「森」での暮らしを選んだ。この選択はなにを意味するのだろう。。
さいごはわかりにくいはなしになってしまいましたね・。それにディティールの話とも言い難い。。
今年の梅雨は雨が降らず、水源地では水位が記録的なほど下がっているという。しかし例年なら梅雨明けでひどく暑くなっていることの多い今になって雨が続き、気温もぐっと下がっている。
木曜には残業の疲れが出て、遅れて出社したが、健康管理についてあれこれ言われてしまった。残業は割に合わず、よいことなど一つもない。
ふだんは全く興味ないというか、ゲームとかに足を踏み入れたことないのですが。
ねこあつめくらいかな。
あまりニュースでわだいになるので。
こういう合成画像、これからどんどん発展していくんでしょうね。。
1匹目は家の中でつかまえたけど、あとは外に出ないと。
スマホ歩き禁止論者なので、それはちょっと。。
クイズダービーなどのテレビ番組はよく見ていたが(11PMはほぼ知らない。引退する頃、偶々見たことはある)、僕は競馬はやらないしジャズのこともあまり詳しくない。また氏の政治的な見解はそれなりに筋の通ったものだとは思うが、自分の立場とは異なることが多い。ので、あまりあれこれ語れるような立場にはないのだが。。
以前、この週刊誌に連載した記事をよく読んでいた時期があった。特に、闘病生活をされた様子が書かれているところは興味深かった。良くもかく戦えり、という感じがする。
ただ、一番印象に残った記事は、これだ。若いころ映画のシーンを見てあこがれた豪華客船によるクルーズ旅行を、50代のころに経験したがすぐ退屈してしまい、「もっと年を取ったら再挑戦しよう」と思う。70代半ばになって2度、経験するがいずれも楽しめなかった。昔とは事情が違い、今はクルーズも非日常な世界ではなく、単に安価なレジャーのひとつへと性格が変わってしまった。ドレスコードなども守られなくなった。巨泉氏はこう結論付ける。
「もっと年を取ったら」という考えは間違っていた。年を取れば取るほど、現代とのギャップにさいなまれるような気がする。残念ながら、人間は世代的にしか生きられないのかも知れない。
ある世代が影響を受けた価値観は、必ずしも永続的なものではない。若いころあこがれた大人の世界が、自分がその世代になってみると雲散霧消しているように感じられる。単に昔は事実を理想化してみていただけなのかもしれないし、ほんとうに社会やしきたりがただ崩れていっているのかもしれない(どちらの意見もうなづけるものがある。。)。
自分に振り返って、もし将来、諸事情が好転して、昔やりたくてもできなかったことができるようになったとして、その時そのことを自分は心から楽しむことができるだろうか、それとも「こんなものか」などと、内心がっかりするのだろうか?
大橋氏のコラムは、この世代の人たちが何を感じ何を考えているのかを、わかりやすく伝えてくれる。自分だって、そう遠くない未来に(元気なら)大橋氏の年代になっていくのだ。
先日は永六輔さんも亡くなられた。どちらも子供のころ、テレビやラジオをつければ聞こえてきた声や姿だ。年代的には、今の僕などの世代と同じくらいだったのかもしれない。
ご冥福をお祈りします。
ふだんはガシャポンなど手を出さないのだが、先日Litle Birdでペレットを買った時、入口のところに「インコがちょっこり」というガシャポンが置いてあったので、つい手を出してしまった。ゴシキセイガイインコさんですね。
ちなみに、ちょうどお店の中にはコンゴウインコさんがいたが、こちらはつい手を出すようなことはできない。。
ふち子さんのように、グラスのふちにとまらせるのが基本だが、結構重い上に重量バランスが悪くて、なかなかとまってくれない。
ので、コーラの瓶が定位置になりそうです。
前回ちらっと書いたが、連休を利用して懸案だったwindows 10へのアップデートをした。
うちのPCは2014年春に買ったもので、購入時のOSはwindows 8.1だった(と思う)。スペックがどんなものか、すっかり忘れてしまったが、キーボードわきには’Core i7’ 、'NVIDIA GFORCE'とあるので、まあそういうものなのだろう。スロットのひとつがSSDになっていて、その容量はちいさい。もうひとつはHDDで、これも比較的ちいさくて500Gぐらいしかない。その辺までは覚えている。。win10にするには、それほど問題はないものではないかとおもう。
win8系の特徴だった、スタート画面。オリジナル8ではスタートボタンはなく、スタート画面がデフォルトだった。8.1でも、最初のころは起動時にスタート画面が出て、そこからデスクトップに行かなければならなかった(のちにアップデートで改良)。電源を切るときは、デスクトップからスタート画面に戻り、左上のアイコンを押す必要があった(ほかの手段もあったかな)。
スタート画面はスマホ、特にiPhoneの画面を連想させるが、こういうアイコンがタイル状に並んでいるのを見ていると、おおむかしのwindows 3.1が思い出されて、つい遠い目になってしまう、こともあったかな。。
皆さんご経験のように、このアップグレードの件はニュースなどでも話題になっていて、やり方が強引とか、しつこいとか色々言われていた。PCを起動するたびに、今すぐアップグレードしますか、それとも今夜しますか?などと毎回迫られては、面白くない、という人が多かったのだろう。
挙句の果てには、銀行のウェブバンクのトップページに「windows 10にアップデートしてしまった方へ」などというメッセージが掲示されて、まるで不本意にも過ちを犯してしまったかのような書かれ方をしたりもしていた(しかも一つの銀行だけではない)。。
しかしながら、そういう感情的な問題は別として、うちの機械の場合、アップデートして非常に困ることはなさそうだ、というのも事実であり、あとはいつやるか、ということが課題ではあった。まあ、アップデートすると帰って具合が悪くなるというのはAndoroid端末でしょっちゅう経験しているので、それが決断を鈍らせてきたということもある。
これが連日出てきたメッセージですね。
それで、とにかく意を決してアップグレードすることにしました。これの前に、USBメモリにドキュメントなどのデータをバックアップしています。
これには意外と時間がかかって、数時間待たされた。そのあと、アップグレードボタンを押して、設定の確認、win10のダウンロードと作業を進めていく。
すでに夜中であり、このダウンロードにはかなり時間がかかりそうなので、この日はこれを見届けて寝ることに。
翌朝、画面はスリープ状態になっていたので、復帰させて状況を確認する。
画面を開いたら、また「windows 10を入手する」ポップが立ち上がったのには笑った。もうダウンロードしたんだってば。
それでは、アップグレードを開始します。
お客様の居住地が米国内である場合、はわかるが、(またはお客様の会社の主たる業務地)というのは、いささか曖昧な表現であるように思える。お客様が今アップグレードしようとしている端末の所有権を有する法人が、合衆国の法施行地に存する場合または合衆国の法施行地で主たる業務を行っている場合、というようないみだろうか。そういうことを言うと、そんな表現はあいまいだとかなんとかかんとかああだこうだ言われそうな気配がするので、よけいなことは言わないほうがよさそうだなここは。
あとは待つだけ。
既定のプログラム指定とかをする。
ログインしなおす。
だそうです。
実際、パスワードを再設定したり、ブラウザのお気に入りを入れなおしたりする必要はなく、昨日までとまったく同じように使えた。
唯一、one driveのシンクロを設定しなおす必要があった。あ、ブラウザがエクスプローラからエッジになったので、お気に入りは再設定の必要はある。ChromeやFirefoxの設定は変わっていない(最初にひらくと、このブラウザを既定のブラウザにしようよ、といってくるが)。
これはEdgeの初期画面。「次はどこへ?」とは'What's next?'の直訳か?
そういうわけで、つつがなくアップグレードを終了しました。インストールされているソフトには古いものが多く(オフィス2007、一太郎2011など)、多少心配もありましたが、問題はなさそう。軽くて使いやすい、キヤノンの画像ソフト、ZoombrouserEXは、win8.1でまでしか公式に対応していないのですが、問題なく使えるようです。このブログで使う画像は、たいていZoomBrouserでリサイズしているのですが、使えてよかった。でも、もうカメラメーカーで画像管理ソフトを供給するのは、だんだんすたれてきているようですね。。
そんなわけで、備忘記録を兼ねた報告でありました。
一つ忘れてました。アップルのSiriみたいなCortanaさんが「何でも聞いてください」というので、なんか面白いこと言って、と聞いてみました。
と答えてくれたので、冴子先生、元気ですか?というと;
あとはだいたい検索エンジンに回されてしまうので、あまり会話になりませんでした。。
忙しかった時期、アルとココのお話も途絶えがちでしたね。
ふたりとも元気、ですが、また少し換羽しかけているようです。
ココの体重は33.8gで、この子にしては少し軽めです。先週からは横ばい。
あたまのあたりが換羽でデコボコしていますが、少しずつ綺麗になってきているところ。
アルは41gで、先週より1g減った。
ココちゃんから先に換羽が始まったが、アルもここにきて少し換羽しかけている。ぽっちりがとれているのと、おでこがすこし赤くなっている。
写真にするとわかりにくいですけどね。
仲はいい。
フンだ!
このあと、ココが部屋にある鉄道模型のレイアウト(いわゆるジオラマ)の隙間に入り込んでしまう事件が発生。狭いところなので抜け出しにくいらしく、ギイギイ言っている。手をさしのべると逃げるもんだから、更に助けにくい状態に。。なんとか助かったけど、困るよね。。
この数日は蒸してはいるが、気温はあまり高くはなっていない。とはいえ、本格的な夏がもうすぐだろうし、たまには水浴びもしたくなるかな、と。
ペン殿の時は、彼を肩に乗っけてシンクの所に行けば、自分から蛇口の下の所に行って好きに水浴びしてくれたものだが。
アルもココもそういう習慣はない。ので、ココには新たに水浴び用バスタブ(鏡付き)を買って来てあげた。恐がりだから、やってくれるかどうかわからないけど。。
アルには、ペン殿の頃から使っているアウタードバードバスをつけている(ココちゃんのケージだと、入り口にこのようにはつけられない)。
アルもしかし、ここで水浴びしているのはたしかまだ見たことがなかったと思う。
さて、これからWindows10にアップグレードしてみようかと思います。。
・・タイトルに特に深い意味はないです。偶々帰りがけにオフィスの近くで珍しく工事していたので。。
この日は9時退社。
来週からはふつうの生活に戻します・・。でも、まだちょっと生活が乱れているな。
スタバの新作、パッションフルーツクリームドーナツ。
前作はレモンでしたが、それよりは華やかというか、お菓子らしい味がします。