文春文庫 2018年12月
阿川さんのお顔はテレビでよく見かけるのでもちろん知ってはいるし、エッセイも読んだことはある。長くテレビ等で活躍されているので多少の親しみは感じる(年齢的には少しずれるが、なんとなく自分の亡くなった叔母のことを連想する)。が、特に関心があるわけでもなかった。
多少心に引っかかるようになったのは、ご両親の介護とかについてよく触れるようになってからだ。ネット等で読める対談やエッセイを何度か読んで、参考というか、そうかあの人も、と思ったりしていた。どこで読んだのか忘れたが、介護は長期戦だからほどほどに、みたいなことを言われていて、わが意を得たりと思ったり。
『強父論』は介護の本ではなくて、お父様、阿川弘之氏との思い出をつづった本だ。冒頭と最後の章で、臨終間際の様子が描かれていて、本屋で立ち読みしたとき、そこが心に引っかかって、レジに持って行った。最後に交わした言葉とか、ちょっと意識が混乱した様子を見せたときに受けたショックとか。。
どの親子でも同じような経験はするもので、それも、なんてことはないささいなことが、心には強く刻まれているものだ。そういうことを語りたくなるはよくわかる。。また聞く方もなんとなく身につまされる。
先日僕も、幼馴染のミニ同窓会に出て、ふと気がついたら隣り合わせた友人に、父との別れのことをとうとうと語っていた。。聞かされる方はちょっとびっくりだったでしょうね。。
実はお父様、作家の阿川弘之さんのこともそれほど詳しいわけではないけど(鉄道好きだったらしいので、その方面で多少読んだことがあるかもしれない)、親子像としてはちょっと、個人的には身近にいないタイプですね。。うちは祖父(母方)もそんなに威張っていなかったな。年齢的に近い作家の城山三郎氏も(そういえば城山さんも海軍ですね)、戦後風のマイホームパパだったようですし。。向田邦子さんも、よくお父様や家庭の様子を書いていたけど、あれに近いかな。
二つ思ったことがあります。
これを書いている今、テレビでは小学生の女の子を虐待死させた父親と、その子が助けを求めて書いたアンケートを父に渡してしまった教育委員(この男が何故逮捕立件されないのか、もし法的にそうなっていないならなぜなのか、非常に不思議)のことで持ち切りです。
阿川親子は、本書で知る限りかなり強烈な親子関係だったようですが、少なくとも娘は父との思い出を(なつかしく?)回想しながらつづるぐらいのことはしている。昔の雷親父と、さきのニュースのような鬼畜親とはなにが違うのだろうか。
もしその背景のひとつとして時代が違うなら、いまと昔はなにが違うのだろうか。。
(もっとも、娘が親の横暴を語る、という点では、「ど根性ガエル」の吉沢やすみ氏の娘さんが書いた漫画が思い浮かびますが、このお父さんはもう、ニュースの鬼畜親に近いほうの描かれ方でした。ただ僕は、作中いわゆる良妻賢母風に描かれているお母様が、家庭を守ろうとして実は娘を傷つけていることに強い罪を感じましたけど。。話がそれました)。
阿川佐和子さんはごく平凡な結婚を望みながら長年果たせず、ごく最近になって伴侶を得ています。本書を読みながら、むかし阿川さんがお見合いを重ねながら踏み切れずにいたのは、阿川さんのご家庭(特にお父さん)が遠因だったのではないか、となんとなく思っていました。お父さんが娘の相手に反対するとか、阿川さんがお父さんに拘束されているとか、そういう直接的なものだとは全く思わないのですが、もっと深いところで自らブレーキを踏んでいたのではと。結婚されたのはお父様が亡くなられてから2年後です。。いや、そこは全く分かりません。。
長くなった割には、本の内容にあまり触れていませんがご容赦を。。