うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

2018年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の、こんな日常のなかで見つけた時間、目についた花たち。

 

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みどり

2018年03月30日 | まち歩き

桜が満開だが、花見を楽しむほどの余裕はない。

とはいえ、桜意外にも季節は動いている。

ふと見上げれば、新緑がこんなに芽生えていた。

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ゆきねえのセイ!ヤング

2018年03月29日 | 昔のラジオ、テレビ

深夜放送をよく聞いていたのは中学生ぐらいのころで、高校生になるころにはそれほど熱心には聞かなくなっていた。あの頃、友達が聞いていて学校で話題になるから、と番組を聞いたりしていたが、年齢とともにあまり話題にしなくなったのだろう。夜更かしして2-3時間寝ただけで学校に行く、なんてことをしていたから、身長が伸びなかったと、若いころ悔やんでいたこともあったな。まあ後悔後を絶たずみたいな話だけど。

ので、高校生ぐらいになると夜更かしもほどほどにする知恵もついてきたのだろう。今回これを書くために、wikipediaでセイ!ヤング(東京の文化放送が深夜1時~3時ごろ放送していたラジオ番組)のことを調べたら、僕が放送を聞かなくなってから間もなく、放送枠自体がなくなっていたことを初めて知った。

文化放送自体、それほど熱心に聞いていたわけではなかった。セイ!ヤングで多少でも聞いていたのは、谷村新司さんや、吉田拓郎さんの放送ぐらいか。

吉田拓郎は結構好きで割と聞いていたけど、放送当時の拓郎さんは、斯界の大御所ではあったものの、その活動状況は爆発的な人気を誇っていた20代の最高の時期ではなくて、そのせいかなんというかやや地味な番組という印象があった(そこが好きだったような気もする)。

とはいえ、最終回のとき、放送を担当してリスナーの声を聴いているうちに、新たな活躍をする良い刺激になったと、コメントされていたとおり、放送の期間はもちろん、その後も精力的な活動を継続していくことになる。

もう一人印象に残っているのが、兵頭ゆきさんだ。これもwikipediaを調べると、当初は東海地区を中心に活躍していたものが、ちょうど放送を担当してた頃から次第に全国的な人気を博すようになってきた、のだという。そもそもラジオを聞いたころ、兵頭ゆきというひとがどんな顔の人なのか、見たことがなかった。あのさばさばした語り口は昔から変わらないが、その後テレビで見かける兵頭さんは、また別のキャラクターを見せているような気もしないではない。ラジオの頃のゆきねえは、どちらかというとやはりとても地味な存在だったのだ(友人に兵頭ゆきのラジオを聴いている、と言ったら、あのシャンプーのCMの、と言われた。それは兵頭まこ。長い髪が素敵なモデルさんでしたね。ちなみにちなみに、これまたwikiで調べて、その後は声優として活躍されていたということを、これまた初めて知った・・)。

などと書いているが、正直ゆきねえのセイ!ヤングを聞いていたのはたぶん数回とか、そのくらいかもしれない。ただ、関心があったことは確かで、それが証拠に最終回のさいごの部分を、テープに録音したのが残っている。

だいたい、こういう昔話を書くときは、その放送を録音して、あとから繰り返し聴いているから、ということが多い。このゆきねえの最終回もそうだ。放送終了は3月の末頃なので、たぶん春休みで、たまたま遅くまで起きていたのだと思う。聞いているうちに最終回と知って、慌ててテープを探して録音したらしい。

セイ!ヤングでは最終回なのだが、聞いているうちにどうやら、来週からはTBSラジオ(パックインミュージック)のパーソナリティとして放送が続くことが決まっていたらしい。「来週赤坂(TBSのスタジオがある場所)で会えちゃうんだもん!(だから寂しくない)」などと言っている。

放送終了間際になって、リスナーのはがきを読みながらお悩み相談のようなこともしている。

たぶん高校生ぐらいの女の子だと思うが、「どうして何をやってもうまくいく人と、努力してもうまくいかない人がいるのでしょうか。あまりの不公平に私何も言えません。。」「幸せってどういうことなのでしょう。私のうちはふつうのサラリーマンで、お金持ちのうちの子からみたら不幸なのかもしれないけど、もしそのうちの子が病気だったりしたら、一家健康なうちは幸せなのかもしれない・・」などというはがきを紹介している。それを受けて、ゆきねえがなにか良いと思うことがあったら、夢中になってやってごらん、みたいなことを言ったのかな。細かいことは忘れたけど、ゆきねえがこういうストレートな悩みに答える姿を見ると、なんというか説得力があって、いいもんだな、と当時も思ったのだと思う。

最後に答えたのが、28歳のサラリーマンだかの人の投稿で、前半録音が残っていないが、「大人になるというのはいとおしさとか悲しさとか、そういうものを全部飲み込むことなのだ、と悟りました」みたいなことを言ったらしい。これに対し、「そんなことはない。そういうものが心の中にたくさんたまって、あふれ出てしまっている人のほうが、むしろ素敵ね。」と答える。

ゆきねえは、大人になって、そんなに堅苦しく自分を抑えるのではなく、もっと自分の粗野な部分を出してしまっても大丈夫、通用するから、という。もし通用しないなら痛い目にあって、それはダメなんだとわかる(そしたら直せばいい)。今日、仕事で会った43歳の中年のおじさんに、将来どんな風になりたいか、と聞いたら、「社長になりたんだ!」と言われた。なんか子供が意地はっていってるみたいで、いとおしい感じがした。だから、あなたもそんなに堅苦しく考えないで・。

当時の僕はまだ大人の世界など知らず、しかし、そろそろそこに仲間入りする自分を想像できる時期に入りつつあり、より身近に期待や不安を感じられるようになっていた。ので、28歳(すごい大人だ)の人も色々悩むことがあるんだなあ、とか、粗野な部分を出していいよ、という言葉に勇気づけられるなあ、と思ったりした。

そんなこんなで、僕にとってゆきねえは、フランクで頼りになる姉御、という印象が強い。

ずいぶん長く書いたが、もう一つ言いたいことがある。放送の最後に流れていた曲のことだ。wikiではセイ!ヤングの後テーマ曲は「夜を横切る君には」となっているが、僕が記憶しているのとは違う曲だ。エコーの効いた女性の声の歌だった。イントロはピアノで静かに始まる。歌のが始まるとすぐ、ゆきねえのおしゃべりが入ってしまうので、歌詞前半はほとんどわからない。雰囲気、少年が深夜に、部屋の窓を開けて星を眺めながら夢想するという、内容のようだ。

星降る夜は・・(以下歌詞不詳)

風に炎は ゆらめいて

ガラス窓が たたかれる

落ちて行け 落ちて行け

あなたの部屋に 僕の愛

今宵恋が僕を 染めて行く 

今宵恋が僕を 染めて行く

もしかしたら兵頭さんが歌っているのかもしれないし、正式にレコードとして発売されたものではないのかもしれない。いずれにしても、この曲に関する情報はネット上でも目にしたことがない。


今日もまた長い夜。

日中色々な人と会い、色々な話をした。

何年かしたら、今日のことを思い出すこともあるのかもしれないな。

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春の宵

2018年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

春よ、来いとか言って、来いも何も、一気に通り過ぎてしまってまるで初夏のような陽気ですが。これが1週間前は季節外れの雪でしたからねえ。この松任谷由実の曲とアルバム(THE DANCING SUN)は、個人的には90年代の邦楽ではいちばんよく聞いたもののひとつです。90年ぐらいからはあまり流行りの曲を聴かなくなり、93年ぐらいからはジャズ、クラシック系にはまり込んでいったのですが、これだけは例外でよく聞いていました。

たしか朝の連続ドラマのテーマ曲でしたね。放映中に転居して、越してから買ったテレビで時々見ていました。といっても、ドラマの内容は全く思い出せない。テーマ曲が始まると副音声(男性の声。視覚に障害のある方用に、画面を言葉で説明していた)で「連続テレビ小説 春よ、来い」というナレーションがかぶさっていたのが、なぜか耳に残っています。

転居前はテレビが壊れて、引っ越しまでしばらくテレビなしで過ごしていたので、妙なものが印象に残ってるんですね。。ちょうど阪神の地震と、地下鉄サリン事件の頃でもあって、騒がしい世の中だったな。NHKはまだ終夜放送ではなく、深夜は被災地付近の中継映像がBGMに乗せて流れていました。

これも10数年前になりますが、早春の1日、中央線の特急に乗って甲州まで出かけたとき、MDに録音したTHE DANCING SUNを聴きながら車窓を眺めていました。この季節らしい冬晴れの陽光のもと、暖かそうな色合いの木々や枯れ葉、トルコ石のような渓流の水の色、そして時折すれ違う列車の派手なストライプ模様、などが音楽とともに心の中で調和して。。「春よ、来い」って、ついリピートして聞きたくなるんですよね。5,6回繰り返した記憶があります。

1990年代。あの時代こそ、あれだな。人生に枝分かれする道がたくさんあって、もしここでこっちを選んでいたら、というのがたくさんあった。まだこの先、どんな未来が訪れるかもわからないし、何が起きてもおかしくないし、ちょっと無理すればどんなこともできそうな気がしていた。

もちろん、もっと若い学生や20代のころのほうが、秘めたる可能性は大きかったとは思うけど、まだ世慣れていないというか、いろいろ否定的な気持ちが強かったし、いろいろなしがらみが強くて自由になれなかった。

世相的には決して明るいものではなかった(それもいま思えばあれですけど)のですが、今思うとねえ。。


慌ただしい日々のなかでも今週はとりわけ色々あって、今は長い夜をこうして過ごしています。

ちょうど1年前のこのブログを見返していると、今頃は「シン・ゴジラ」のDVDを買ったり、家の片づけに追われながら、やはり慌ただしい日々を過ごしていました。もう感覚的には、あのころの自分に戻ることはできなくなっているけど、あれから1年たったという感覚もあまりないな。。

ああ、まだ夜は長い。。

 

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満開

2018年03月25日 | まち歩き

前回も書いた、旧宅から一番近いところにあった桜。21日にはちらほらつぼみが見える程度でしたが、それから3,4日のうちに一気に咲いたようです。

昨年は例年に比べても咲くのが遅かったのですね。たしか4月13日あたりでも、盛りを過ぎたとはいえまだきれいに咲き残っているのを、借りてきた車越しに見ていた記憶があります。 

これも以前に書きましたが、こと桜に関しては、旧宅付近のほうが数、咲きっぷりともにはるかに上です。桜というのは人が植えるものなので、新興の住宅地にはあまりないか、若木であることが多い。旧宅付近は昭和前半に多く開発されたせいか、立派な樹があちこちで見られます。

が、ことしの今は本当に忙しくて、これを撮影するのが精いっぱい。

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占領期 首相たちの新日本

2018年03月24日 | 本と雑誌

五百旗頭真 講談社学術文庫 1997(文庫2007)

1月に講演を伺った五百旗頭先生の著作。敗戦により一度は「滅亡した」日本国がふたたび立ち上がり、講和条約という軌道に乗せるまでの間に活躍した首相とその内閣を概観している。

第一章は2度目のご聖断、鈴木貫太郎首相の内閣から始まる。いきなり鈴木首相の人物描写がでてくるので、学者の文章というよりは「日本のいちばん長い日」などを思い起こさせる。が、読み進んでいくとさすがにその背後にある情報量が半端ないことに気がつき、圧倒される。そういってはあれだが、よくあるジャーナリストや作家の方のドキュメンタリーとはそこが全然違う。

とはいえ、文章は平易で読みやすく、また首相たちや占領軍側の人々の人物評も非常に公平で的確なものだ。現代史や政治史には素人で、大勢出てくる人物像を自分の中に定着させることが難しい自分でも、気楽に読み進むことができた。間違いなく、非常に優れた作品といえると思う。

折しもというか、マッカーサーについては、先に読了したハルバースタムの「ザ・コールデスト ウィンター」でも語られていたが、ハルバースタムにかかると極端な自己顕示欲と偏見に満ちた異常者に近い人物に見えてしまう。本書でもそんな「癖」は感じられるが、その一方昔ながらの騎士道精神を持つ軍人という側面も描き出されていて、人間の持つ多様な側面をきちんと表現しているように思える。

やはりそのあたり、五百旗頭氏の暖かなまなざしを感じながら読書している感じになっていて、それが読者に安心感と信頼感を感じさせるのだろうね。

「まえがき」と文庫版あとがきから、少々引用します。

「それも、官邸の主となった首相たちの苦闘を小バカにして見下げるのではなく、絶望的に困難な諸条件の中での奮闘、その成功と失敗、幸運と不運、喜びと悲しみを、内側から、できれば共感を持って理解したいと思った。しばしば「昔の政治家は偉かった。今はひどいのばかりだ」といわれる。それはいつの時代にも繰り返し語られている嘘である。この占領下の五人の首相たちは、事態が悲惨であっただけに、揃いも揃ってマスメディアに酷評された。偉大な政治家がいないと評されたのではなく、積極的に悪い政治家ばかりで、何の業績などないかのように語られがちであった。実際には、いつの時代にも最終責任を負わされる首相は、結果の成否はともかく、厳粛に状況との格闘に立ち向かっているものである。」

さいきんの日本でいえば、先の大震災のときの官邸の対応はどうだったのか。現政権の、マスコミの評価は?時代の洗練を経ないと、見えてこない部分はあるにしても、巷(いまは個人のつぶやきも広く知ることができますが)の評価をどのようにとらえるべきか、を考える一助とはなると思います。

「日本の歴史は、明治維新にも戦後の復興においても、素晴らしい跳躍力を示した。けれども双方とも旧社会の敗北と崩壊ののち、ゼロから出発しての成功であった。その型しか日本にないとすれば、世界第二の経済大国が大転落し、すべてを失ったうえで再出発せねばならないことになる。そんな馬鹿なことはない。この度はいささかの変調をきたしたところで、高いレベルを保ったまま改革を遂とげ、新たな活力を蘇らせて進まねばならない。その認識を、本当に国を滅ぼし地に落ちた社会再建の苦闘を見つめることを通して浮かび上がらせる願いが本書には込められていたように思う。転落無き再生への希望である。」

僕の興味の焦点もまさにそこにあります。加えて自分自身に照らして、再生に向けた視点をどう持てばよいのかの参考にもなればという気持ちがあります。

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寒空に咲く

2018年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

肌寒い朝だった。山沿いで雪とは聞いていたが、そのあとあんなに降るとは思いもしなかった。

昨年は自宅から一番近いところにあった桜の木。写真ではわからないが、つぼみはだいぶ大きくなっている。

こちらは17日(土)の様子。すっきり晴れた日だった。

雪の様子なども写真に撮れればよかったが、今日は怒涛の忙しさで(まあ世間の家庭ではそうやって過ごされている方も多いでしょうから、あまり声を大にしては言えないか。。)、それはかなわず。

これから半分徹夜状態に入りますが、省電力モードで乗り切ります。。

では。

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自動運転事故

2018年03月20日 | 鉄道、車、のりもの

アリゾナでウーバーテクノロジーズの自動運転車が死亡事故を起こしたというニュースは、日本でも大きく取り上げられ、20日にはこれが一因となって株価が下落するという現象も起きた。

言葉としてはニュースやネットで毎日のように見かける「自動運転」だが、将来自分がフルオートの自動運転車に乗って、どこかに行けるということを、たぶんほとんどの日本人はまだ想像できていないんじゃないかと思う。年配者や障碍のある方がつけられる、パワードスーツみたいなもの、ああいった近未来のテクノロジーと同じような、夢物語のひとつという感じかも。

というのは、日本の都市部の交通は、(日本人らしく?)とても複雑で微妙だからだ。

たとえば、交差点を左折します。信号が変わると少し前進して、横断歩道を行く人を待ちます。年配の小柄な女性がゆっくりわたっている。女子高生たちがおしゃべりしながらゆっくりと通り過ぎる。そろそろ信号が変わる。子供連れのお父さんが渡ろうとするが、車を見てためらう。視線を合わせて、どうぞという顔をして促す。もういいかな。と、自転車に乗った高校生が見えてきた。あれは突っ込んでくるな。。

渋滞しがちな通りでの合流。前が詰まりがちだったら減速して入れてあげる。それも、自分が入れてあげるのはふつうは1台かせいぜい2台。そう決まっているわけではないが、その辺は呼吸でわかる。前が流れていたら、後続の車に迷惑だから、そのまま通過する。詰まってると流れてるの中間ぐらいなら、そこは適宜判断する。

などと書いていたらきりがないが、車線変更や車間の取り方など、微妙な場の読みと判断はドライバーに相当高度な思考を要求する。狭い生活道路などは歩行者との関係がとても難しい。外国と違って日本の歩行者はひじょうに保護されているから、自分からよけようとあまりしないし。

機械にそんなことができるか?いやもしかしたらできるかもしれない。だって、将棋を見てごらんなさい。AIにもはや人間は敵わないかもしれない。時代の勢いというのもあるし、自動運転車が増えれば増えるほど、経験値が加速されていくことだろう。

心配なのはその先のことだ。

自動運転車が普及すれば、道路は従来からのドライバーと自動運転車との混在になる。ドライバーがいくら自動運転車の乗員に目配せしても、微妙な綾はつうじない。自動運転車はセンサーとAIで狭いところでもすいすい移動できるかもしれない。普通のドライバーは目の前をすり抜けていく自動運転車に驚き、腹を立てたり、肝を冷やしたりするかもしれない。。

よく似た状態になっているのが証券市場だ。高速取引で株価は瞬時に乱高下する。ベテランのトレーダーはため息。個人投資家など、出る幕ではない。道路もそれに近くなってしまうのではないか。ああ面倒くさい世の中だ。。

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色々雑感

2018年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

この週末は(僕にしては珍しく)興味ぶかそうなテレビ番組がいくつかあり、録画予約をした。そのうちアラーキーをとりあげた番組はまだ見ていないけど、そう、ダーウィンが来たでエナガさんを取り上げてましたね。エナガダンゴをみて、卒倒しそうになりました。。

日本沈没を取り上げた文学深読み(NHK BS)も興味深かったです。国民に厳しい事実を告げる役目を負わされた首相(映画では山本首相と言っていたと思ったのですが、小説では緒方首相という名前だったのでしょうか?)について、「存在感がない」と評されています。基本的に(日本の)首相というのは調整役であり、だれがやっても同じ。ただその首相が、こうした未曽有の危機に瀕して、矢面に立ってしまう。

彼は独白する。「こんな決断というのは、人間には重荷すぎるのだ。とても正気の人間にやれることではない」と。そういえば、「シン・ゴジラ」の大河内首相も同じような立場に立たされていましたね。「今、ここで決めるのか。聞いてないぞ・」と。

「シンゴジラ」でも、首相は総辞職ビームに斃れ、農水大臣が臨時代理に担ぎ上げられますが、ここでも「誰がやっても同じ」と言われています。日本人にとって、首相というのはそういう存在なのでしょうか。

考えるまでもなく、日本の首相は昔から次々と代替わりして、席の温まる暇もありません。戦前は大臣の任命や罷免もおぼつかない憲法のもと、文字通りお飾りそのものでしたし、戦後は憲法こそ改められたものの、しだいにその運用が首相の権利を縛る形になっていきます。日本人はたぶん、自分たちのなかに強いリーダーを持つことが本質的に苦手なんじゃないかと思います。。中国もロシアも、国民(のうち一定の数の人たち)がそれを支持するからこそ、長期政権が成立しうる。より民主主義的な国でいえば、ドイツ(苦しそうだけど)やカナダだってそうです。

それがいいか悪いかというと、国を方向付けるような大きな仕事がしにくいのは確かでしょうね。どうしても小手先になりがち。下の人たちはしっかりしているし長く勤めてるから、現状維持でこまかな改善はできる。

アメリカはというか、今のトランプ政権はこの逆で、優秀な人たちを使い捨てどころか使いもしないうちに捨ててる。ただ、ああいうやり方は、昔いた職場を思い出させるのですよね、個人的に。まるで戦場のような職場でしたが、慣れるとそんなものか、と達観はできます。ばかばかしいと思いながらも、不思議とそれで回っていくものです。むしろ、日本的に長く一緒に和んでいると、なにかを変えるというインセンティブが働かなくなる。創造的かどうかはともかく、壊してしまうことにも意味はある。。

上を変えるか、下を変えるか。。どちらも巻き込まれる方にとっては迷惑ですが、まあ世の中色々です(そういう結論かよ!)。

 

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シマエナガちゃん

2018年03月17日 | 本と雑誌

小原玲(写真、著)講談社2016

昨年まで花粉症の症状とはほとんど無縁(多少くしゃみや目のかゆみを感じる程度)でしたが、今年は結構ありまして、それにつれて体の調子もいまひとつであります。

ふだんあまりこういう写真集は買わないのですが、さいきんどうもこう、ぎすぎすした世の中でもありますし、体調もあれなのですこし和もうかと。

書名とかは一応めぼしをつけておいて、書店で手に取って決めました。

 

エナガは日本全国に生息していますが、北海道にいるエナガは本州以南の仲間たちのような「まゆげ」がなくて顔が真っ白。シマエナガのシマは島を表すのだそうで、ちょっとややこしいですね。無印エナガさんには縞があるのに。。丸々としてかわいいのは確かです。が、無印エナガさんもなかなか捨てがたいと個人的には思います。

 

この本、そういうシマエナガの様子を余すところなく伝えているとおもいます。ただ、なんというかちょっと素材に砂糖かけすぎというか、あんまりかわいいでしょ、みたいな主張が聞こえてくるみたいなところがどうか、というのが率直な感想ではあります。

それはわがままだとはわかっているのですが、不思議なもので人間、一見すました顔して、こんなことは何でもないんですよ、と言いたげにかわいいものを出された方が、より心に来るというか。。

たとえば、この春の伊勢丹のアクセサリーカタログみたいにね。これもネットでちょっと話題になりましたね。。

・・つい新宿まで行ってもらってきちゃいました(もう一月くらい前ですけど)。

話がそれてしまいましたが、小原玲さんという方は、かつて報道写真家として名を知られ、後にアザラシなどのネイチャーフォトに転向されたとか。少しそういう、ジャーナリスティックなアプローチの仕方が、この本にも感じられる気がします。そうした点もちょっと岩合さんとかとはまた違う雰囲気があるかな。

小原さんは今はミラーレス中心で、この写真集はフジX-T2等で撮影された由。この2年ほどで、時代はミラーレスに傾き始め、今年は更に加速している感じがありますね。。つくづく去年Pentax KPを買ったのは(個人的に)良いタイミングだったな、という気が。この辺はまた話がそれるので、別稿で(じかんあるの?)。

 

 

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新たな疑問

2018年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

14日がホワイトデーで15日は確定申告の期限。先日もちょっと書いたが、7年前の今頃、これらの定例行事はどうなっていたのだろうか。もちろん被災地や、影響の大きかった地域では申告期限の延長その他の措置が取られたと思うが、かなり広範囲にわたり影響が及んだはずだよな。。ホワイトデーについては、自分がどうしたのか全く記憶がない。バレンタインデーにはなにがしかもらっている(写真が残っている)が、お返ししたのかしら。。

ご記憶かと思うが、震災当日の夕方には、コンビニからパン、お菓子、電池などは消えていた。スーパーでは卵、缶詰、インスタントラーメン関係は全滅。僕は土曜日に米を買ったが、その翌日ぐらいにはこれもなくなっていた。どういう訳というかさもありなんというか、酒とかグレープフルーツなどは売れ残っている。その後徐々に復旧したが、納豆などは暫く見かけないなど、影響はあとあとまで残った。あの頃なぜか、塩せんべい1パック89円ぐらいで売られていて、行くと在庫があるものだからつい買いおきたくなる。買えば食べてしまうというわけで、太ってしまい弱った記憶がある。

上の写真は被災地の知人たちに送った食料。先輩の呼びかけに応じた。ラーメンはおひとりさま3パックだったのを、変装して(メガネ変えたかな?)2回買いに行ったのを覚えている。あと一回、野菜も手に入らないと聞いて、秋葉原あたりのハナマサでキャベツや大根だったかを買って送ってあげた。郵便局に相談して、ゆうパックは被災地への送付を停止しているが、小包なら可能(多少時間がかかっても確実に届けることになっているらしい)と聞いて、箱も買ってお願いしたことがある。局員の方も東北のほうの人だかで、とても親身に対応していただいた。僕の経験では郵便局の方は、概して素朴に親切な方が多いように思う。

食料がないといっても、なにがしかは売られていたし、食うに困ることはなかった。ただ、スーパーの営業短縮はちょっと困った。前日8時まで営業していたので、大丈夫だろうと7時過ぎに行くと今日は6時半で終わった、といわれたり。

電力事情についても、自分の住まいや職場は輪番停電の対象外で、正直非常に苦労することはなかった。

もし今、あの頃と同じ状況になったら、色々と大変だろうな。今の家の暖房は全部電気だし、通勤も難しいだろう。

そういえば、停電のときすごいなと思ったのは黒電話。普通の固定電話はAC100Vがないと動かないが、黒電話は使える(電話線から電気をとっている)。実家にこれがあったので、連絡が取れた。あと、これは自分で持っていたものだが、普通の反射型ストーブ(火を入れると芯が赤く光るやつ)。ファンヒーターは停電するとつかえないが、反射型は灯油さえあれば使える。昨年引っ越すとき、このストーブは捨てずに持ってきた(転居先は石油ストーブ禁止だったが、実家で保管することにした)。

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商店盛衰

2018年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

家の近くを車で走っていたら、「サンクス」がまさに閉店しようとしているところだった。看板の明かりが消え、シャッターが半分降りている。

改装するのかも、と思ったが、ネットで見るとサンクスはいま店舗整理をしつつあるそうなので、閉店だろう。この店は陸橋を降りていくと前方左に見え、反対側からは左カーブの外側つまり、運転手からは目の前に見える位置にある。ロケーションとしては実に目立ちやすい、いい場所なんじゃないかと思う。閉店に至る事情は不明だが、いつもついていた明かりが消えてしまうと、なんともいえない違和感を感じる。

家からは少し離れるが、別のところにあったサンクスも閉店していた。ちょうど買い物をしようと考えていたところなので、びっくりした。

コンビニは栄枯盛衰が激しいが、スーパーも長い目で見ると結構変動がある。1月ごろから何度か通っているルートの途中、大きな団地の中にあったスーパーも、先日見たら閉店していた。夕方通ることが多かったが、かなりお客が来ていて、道路も歩道も人でごった返していたのだが。調べてみると、開業から40年近くたって老朽化が進んだこと、数キロ先に新しいモールができたことが原因だという。建物の寿命は鉄筋でも50年ぐらいだろうが、同じ場所で建て替えるよりはそのままやめてしまうケースが目立つのは、その間に周辺の環境が変わることが多いのだろうか。

写真の店は昨年秋に閉店したスーパー。開業当時中学生だったが、この地域ではかなり大きな店だったので、夏休みなど毎日のように遊びに行っていた。2階、3階には本屋、レコード屋、カメラ屋、電化製品やおもちゃもあって、飽きなかった。お店の中というのは不思議なもので、どこになにが置いてあったという記憶が妙に心に刻み込まれていたりする。スーパーの場合、目をつぶって心の中で入り口の扉を開けると、どこにバナナがあってこの辺には冷凍食品があって、みたいのがかなり正確に残っている(気がする。記憶違いも多いだろうけど)。

もっとも、上記のスーパーの場合、そんな記憶を心に秘めながらエスカレーターを上がると、100円ショップとガシャポンみたいのが広い店内に雑然と並んでいて、現実の厳しさにがっかりしたりしたが。。

今は歩いて数分のところに、映画館まである大きなモールがあるのでそこに行くことがおおい。昔、店ができたときは、こんなところに大きな店が、と驚いていたが、自分が住むころまでにすっかり古くなってしまい、駐車場前のアスファルトに穴が開いていたりする。しっかり手入れして、長く商売し続けてほしいな、と思う。。

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ディアゴスティーニのビートルズLP13枚

2018年03月12日 | 音楽

ディアゴスティーニのビートルズLP(隔週刊)については、昨年秋にシリーズ開始のときに紹介しました。

あれから半年、2月中旬までに13枚のLPが揃いました。これはイギリスでオリジナル・アルバムとして発売された12枚に、当初イギリスでは2枚組EPとして発売され、後にアメリカでLPとして発売された「マジカル・ミステリー・ツアー」を加えたものになります。ディアゴスティーニのシリーズはまだ終わっておらず、BBCライブやアンソロジーなど、全23巻まで続くようですが、僕はここで一区切りとして、購入を終了することにしました。

特にビートルマニアという訳でもなくて、アルバムについても詳しいことは知らなかったのですが、ウィキペディアによると、ビートルズのLPは全世界同一の形で発売されたという訳ではないようです。デビューからしばらくの間に発売されたアルバムは、アメリカ、日本共に独自の編集、タイトルで発売されていた由。

なので、今回のWith The Beatlesも、当時の日本人はこういうタイトルやジャケット、曲構成のアルバムを聴いていたわけではないようです。今のようにインターネットはおろか、輸入レコードもラジオ(FMはまだ放送されていない)からの情報もかなり限られていた時代だったでしょうから、当時のファンはそうした状況をどんな思いでとらえていたのでしょうか。余談ですが、イギリスでWith The Beatlesの発売された1963年11月22日は、ちょうどケネディ大統領暗殺の日ですね。。

個人的には映画「三丁目の夕日」って、あまり好きではないというか、感情移入しきれないのですが、もし自分が1960年代半ばに高校生か大学生で、ラジオか何かで(東京ならFENー今のAFNがかなり鮮度の高い音楽情報を流していたことでしょう)、ビートルズに触れることができたらどんな思いをしたのか、思いをはせてみたい気もします。あの映画のような世界、銀座通りや日本橋あたりを歩く自分を想像したりします。

本当はこの記事も、2月半ばくらいに書いていないと情報鮮度としてあれなのですが、この冬は公私いろいろ忙しくて、時間が空いても精神的になにかをする力がなくなってしまい、すっかり書くのが遅くなりました。それにしても、ひんやりした朝晩の空気の中に、少しずつ春の息吹を感じる今日この頃でございますですね。。

 

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例年どおり

2018年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

2018.3.9

11日には2日早いけど、3月の第二金曜日ということで、7年前の足跡を偲んでみる。

こちらをよくお読みになっている方はご存知と思いますが、あのときは家族と合流するため、都内丸の内から親のオフィスのあった新宿まで歩き、更に都心近くの親戚の家まで二人で歩いた。翌年から毎年この時期に、当時をしのんで同じルートを歩くことにしている。

ただし、一度に新宿経由親戚の家まで歩くのは大変なので、年によって新宿行きとそこから親戚の家まで行くコースを分けている。昨年は親戚コースだった。

今年はオフィスから新宿を目指す。

2018.3.9

あの日を忘れないように、と思っても、人間なんだから細かいことは忘れてしまうのが当然だ。

街もだんだん変わっていくし。今回も当時のルートをいくつか間違えた。

2011.3.11

改めて当時の写真を見ると、当日は丸ビルにいったん寄り、大型スクリーンに映し出されたニュースを見て、状況を把握しようとしている。

たしかこれは、千葉のあたりのコンビナートの火災の映像だと思う。

今年もそうだが、この時期ホワイトデーの出店が出てたと思うのだが、写真には写っていない。スクリーンの下に、案内の看板らしきものが見える。店はやっていたのかどうか・・。

2011.3.11

前後してしまったが、その後(たぶん)郵便局の前を通り、国際フォーラムの角を曲がって明治生命、商工会議所のある交差点を横断しているようだ。2枚上の写真は今の様子だが、当時の商工会議所は解体され、新しいビルがほぼ完成している。ので、この付近の様子はこの7年で著しく変わった。

2011.3.11

傘を差している人がいる。これは当日にも記憶になかったのだが、この日、少しの間雨が降ったらしい。これは、当日夜に会社の子と電話したときに聞いて、へえ雨なんか降ったのか、という意味のことを話したことを覚えている。忘れたというより、気がつかなかったのだと思う。

折しも今日(金曜日)は日中長く雨が降り、夜には止んでいたものの、歩いている途中で霧雨がまた降り始めた。

ここからは下の写真は今日(金曜日)のものです。

新しいビルもできて、知らないうちに風景が変わってきている。

前にも書いたと思うが、以前は退勤後フラフラと街を歩くのが好きだったのに、さいきん(転居後)はとっとと家に帰るようになった。

年かもしれないですね。。

これまで7回ほど、当時のことをここで記事にしているので、書くことも同じことの繰り返しになってしまう。

今回歩いて思ったのは、内堀通りの歩道がかなり広いこと(当日はそれでも人でいっぱいで、地下鉄入り口のあるところは人が道路にはみ出していた)、首相官邸脇を通った時、竹やぶと沢(水が流れている)が、それまでの喧騒を忘れさせるようなたたずまいで、当日とても落ち着いた気持ちになったことを思い出したこと、などが印象に残った。

もっとも、7年前の当日に首相官邸付近でアジっている人はいなかったが、今日は多少騒がしかった。

写真はこれも、変わりゆく街の風景。昨年通った時はうずたかく本を積んでいた古本屋が、今年は閉店していた。「テナント募集」となっているが、これをリフォームするのはたいていじゃなさそう。。

というわけで、新宿につきました。

足が速いほうではないので、トータルで1時間半以上。さいきんは車の移動が増えてしまい、運動不足なので、普段ももう少し歩いた方がいいかもしれません(時間があればね)。

 

さて、今日はちょうど新宿の中古レコード店が移転リニューアルしたそうなので、帰りに寄ってみました。

なんだかやけにすっきりしていて、図書館みたいな感じがしますが、だんだん慣れていくのかな。

正直特に欲しいものもなかったのですが、先日コンサートに行った仲道さんのベートーヴェンが出ていたので買ってみました。

作品31と、告別、作品90、101あたり。この辺りの作品が一番好きです。。

作品101は不器用な男性の歌、という感じが自分のなかにあるのですが、どんな演奏をされているのか、じっくり聞いてみたいと思います。

 

 

 

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床屋

2018年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

この週末はいきなり春が来たようで、びっくりしましたね。

多少予定が抜けたとはいえ、この週末は非常に多忙で、どたばたしておりました。夕方、日の暮れたころにようやく解放。

床屋は午後7時ごろで閉まりますが、なんとかぎりぎりの時間に到着。

前宅にいたころから使っている店で、カットだけと頼めば数分でできます。

昔はどこの床屋も、カットだけというサービスはなかったと思いますが、時代とともに変わったらしい。

この床屋の前に、20数年間使っていたお店(犬を飼っているおばさんが経営していた)では、普通に洗髪と顔そりその他まとめてお願いしていたのですが、そういう伝統的なお店は次第に少なくなってきている模様。

駅構内などにチェーン店を展開している店などは、スピーディなカットが売り物ですが、見ていると結構混んでいて待たされることが多い模様。1時間待って診察が1分みたいな感じなのかもしれない。待つのが面倒で、今のところ入ったことがありません。

ここのお店は、前にも書いたけど中国人の女性がやっていて、(ちょっとゆるい感じですが)手際よくやってくれるし、割と空いている。というか、空いていた。

のですが、今日店に入ったら、カット中の人と、ベンチに順番待ちの人が一人。

すぐ終わるかな、と思って待ってたのですが、前の二人ともフルコース希望で、それぞれ30分以上かかり、なんだかんだで1時間半ぐらい待たされてしまった。

以前のおばさんの店だったら、一人当たりの時間は一律なので、だいたい待ち時間が読めたのですが、このお店はわからない。カットだけなら10分以内に終わりますが、客がなにを希望するかは鏡の前に座るまでわからない。

てなわけで、帰宅はまた夜遅く。家の片づけなどに手が回らず・。

 

写真は床屋のカットですが、実はこのお店で刈ったことはない。。駅前にあったので、毎日眺めていてとてもなじみはあるのですが。写真を撮った時(1年前)も、やってはいなかったようですが、今日見たらテナント募集の看板が掲げてあった。

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