「ヨコハマ買い出し紀行」最終回より
国勢調査が発表になった。報道によると、国勢調査で人口が減るのは、1920年の調査委開始以来初ということだ。
人口の減少自体は、例えば戦争などでも経験しているのではないかと思うが、ここ100年ほどの統計ではそうなったということ、それに、世間的に少子高齢化などと言われて随分久しいが、人々に「やっぱり・・」などと思わせる状況が続いていたこともあり、上記のような報道になったのだろう。
今年の初めごろ、増田寛也元総務大臣の公演を聞く機会があった。地方自治の問題を取り上げておられたが、そのとき資料として鎌倉時代ぐらいからの日本の人口動態を表として掲げていた。鎌倉時代の人口は約1千万強、江戸中期ぐらいから3千万人台前半で安定し、明治に入ってから急速に増加する。国勢調査の記事に掲げられた、1920年以降の人口を見ても、大正時代は4千万人ほどしかいなかった。
この百年で人口が急速に増加したのは、なにも日本だけのことではない。世界全体の人口も、20世紀初めの16億程度から2011年には70億を突破している。サンマやバッタなら異常発生といってもいいくらいの増え方といえるかもしれない。。
この話題はずっと温めていて、この機会にちょっと中途半端なかたちで掲げてしまうことになるが、考えてみると我々は(当然の話だが)、長い歴史の中の一局面を見ながら、物事を考えたり言っているに過ぎないのだ。そんなことは誰も言っていないといえばそれまでだが、人口が減ることは別に「衰退」ではない。将来長い目で見たら、今の時代は異常に人口が多すぎた、と思えてくる時期が来るのかもしれない。
いまの10分の1しか日本人がいなかった平安時代にも、都には多くの人がいて、今日に残る高度な建築、文化が築かれていた。やはり遠い将来に今の時代を見て、平安時代の10倍、歴史に残る文化が残っているかと考えてみると、それはどうだろうか。。
医学の進歩により、乳幼児の死亡率が減少、平均寿命も著しく上昇した。昔はすこしの病気で子供をなくしてしまうことも、珍しくなかったのだろう。また、適切な環境のもとでは、生物としての人間は100年ぐらいの寿命があるものなのだろう。
と、割り切った言い方をしてしまうと、色々異論が出てきちゃうかもしれません。たぶん、人口急増の背景には資本主義の発達もありそうな気もするのですが、そうしたことを語るには、ちゃんと勉強しないと責任ある発言ができなさそうなんですね。だから、ながいこと書けないでいるのですが。
それはそれとして、極めて情緒的、感覚的な発言を許してもらえば、明治以来の日本も、この辺で転換点に来ているのかもしれませんね。。
子供の頃、水田を埋め立て、山を切り拓いて住宅地にし、舗装道路ができて、通勤電車の編成がどんどん長くなっていくのを見てきた。それは当たり前のことのようにも思えたが、他方マスコミなどでは、昔の風景が失われたと、情緒的に訴えるような論調もあって、そうだよなあ、と思いながら育ってきた。
もうすでに始まっているけど、これからは、人のすまなくなった家がひとつひとつ崩れていき、鉄道が廃止され道路が草で埋もれていく。
とはいえ、それはただ、元の姿に戻っていくということに過ぎないのかもしれない。。
「ヨコハマ買い出し紀行」が描くように、次々と人の姿が消えていき、やがて「人の夜」を迎える、ということでもないんじゃないかな。たぶん。。